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【電子書籍化】この恋は秘密と醜聞で溢れている  作者: あだち
本編

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第六十話 再会

 

 どれほどの速さで馬を走らせてきたのか、肩で息をする男がやはり息の荒い馬から降りてくる。その右手には銃ではなく、ランタンのつるが握られていた。


 その動きを、シャーロットは信じられないものを見る目で見つめた。

 安堵よりも、自分の目がおかしくなってしまった可能性の方が高い気がしていたのだ。


「……面白い顔になってますよ」


 それなのに、シャーロットに左の手を伸ばしてきたのは、紛れもなくヴィクター・ワーガスその人だった。少し迷うそぶりをしたくせに、わざわざそんな憎たらしいことを言ってくるところも、間違いなく。


「……なんで来たの?」

「なんでって。……そんなに意外ですか、俺が来るのは」

「だ、だって、わたし、誰にもここに来ること言ってない」

「……ああ、そっちか」


 そっちのほかに何があるのかとシャーロットは困惑したが、ヴィクターは構わず、ランタンを足元に置いた。そして、いまだ立ち上がれていなかったシャーロットの手を取ると、ぐんと強く引いた。


「ケインズが領主館にいないとわかり、急いで足取りを追ってきたんですよ。バットンでウィンバーの宿屋を出たきりだと聞いて、つれていかれた先はあの洞窟の森かと一瞬迷いましたが、こちらの森の方が広くて、あなたの遺体が発見されにくい。

 ケインズにとってシャーロットの殺害は計画外の犯行となる以上、事件の発覚まで時間を稼ぎたいに違いない。ケインズは、今度はこちらを選ぶだろうと、そう考えたんです」


 遺体や殺害と言われて、男の腕を借りてふらふらと立ち上がりかけていたシャーロットの体がまた固まった。銃を突きつけられた恐怖と危機感が蘇る。


「ほら、早くここを立ち去らないと」

「ま、待ってよ、今度は、って」

「……まさか、こんなところであの男に追い回されていながら、奴が今回の件の黒幕だと気づいていなかったんですか。思ったよりずっとおめでたい人だな」

「しっつれいね、気づいてたわよ!」


 吠えてから、シャーロットの口は大きな手に塞がれる。ヴィクターに『騒ぐな』と目で制され、はたと彼女は視線だけで周囲の闇を見渡した。


「……気づいてたけど、ケインズがどうやってあの日、フェリックスにヒ素を飲ませたのかわからないんだもの。彼、ずっと屋敷でほかの使用人といたんでしょ? ……それに、いくら人目につきにくい場所だからって、よく咄嗟に『次はウィンリールの森かも』なんて選択肢に出てきたわね?」


 解放された口からもごもごと繰り出された言葉に、ヴィクターはシャーロットの髪に絡んだ雪を払う手を止め、呆れたように眉を寄せた。


「……シャーロット、まさかあなた、フェリックス殿の手紙を読まずに俺に転送したんですか」

「まさか! ……ちゃんと、読んだわよ」

「書いてあったじゃないですか、『宿を囲む森の奥には、美しい湖がある』と」

「……それが? ウィンバーさんの宿で書いたんでしょ」


 ヴィクターが周囲に目を走らせて馬上へと誘うが、目の前の疑問で頭がいっぱいになったシャーロットはヴィクターの腕を掴んで離さない。

 シャーロット、とヴィクターは言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「……バットンでは町の中に森があって、けしてウィンバーの宿を囲ってはいなかった。町そのものが大きな森に囲まれた、ウィンリールと違って」


 そこまで言われてようやく、シャーロットは自分の頭の中で当然のように描かれていた情景が、くるりと反転した感覚を味わった。

 手紙に地名は書かれていなかった。隠そうとしたわけではないだろうが、結果的にシャーロットは思い込んでしまったのだ。バットンの郵便局に留まっていた手紙が、その町で書かれたものだと。


 この辺りには、郵便局がない町もあるのに。


「フェリックスが泊まっていた町は、ウィンリール?」


 口にしてから、シャーロットもヴィクターに負けじと深いしわを眉間に刻んだ。しかしそれは、相手が導き自分がたどり着いた答えの不可解さ故に、である。


「そんなのおかしいわ、彼は馬車でグース駅からまっすぐバットンまで移動してたのに」

「……そう、五年ぶりで面差しの変わった、人前に出たがらないフェリックス殿がね」


 言われて、シャーロットの記憶から、エレの町で聞いた話が呼び起こされる。


 ――五年もあれば、体つきも大きくなられますし、面差しや雰囲気にも変わったところが出てくるものでしょう。


「……まさか」


 ヴィクターの黒い目が促す突飛な答えに、シャーロットは驚くというより、愕然とした。


「……馬車に乗っていたのは、偽者だった……?」


 渇いたシャーロットの声に、ヴィクターが続けた。


「宿に髪の毛ひとつ落ちていなかったのは、別人が泊まっていた痕跡を残したくなかったからでしょう。なぜなら、フェリックス殿を演じた偽者は」

「あ、赤毛だったから……?」


 ヴィクターが、無言でうなずく。

 列車で従者に一服盛って下車させたのは、赤毛の男がかつらや襟巻き、丁寧な物腰を駆使してフェリックスのふりをするのに、邪魔だったからだ、と。


「本物のフェリックス殿は、グース駅ではなく、二つ手前のノースローク駅で降車していたとみて、間違いないでしょう。そこからのびた街道を通って、この森を抜け、バットンに到着したんです。ほら、早く馬に」

「待って、なんでそんなこと」

「……理由はわかりません。けれど、そうすることでケインズには都合が良かったでしょうから、奴の指示によるものかもしれません」

「ケインズに、都合がいい?」

「それで、アリバイができる。フェリックス殿はノースロークから、馬車ではなく馬で進んでいました」


 ――馬での道のりは楽ではないが……


「そう、そうね。そう書いてあったわ」

「つまり、馬車での旅よりずっと早く進むことができるということ。ダミアン殿に聞きました。ノースロークからウィンリールまで休憩なしで馬を駆るなら、半日ほどで十分だと」


 もっとも、その後に雪深い森を越えなくてはいけないので、ダミアンはじめ公爵家の人間がノースローク駅で降りてランドニアに向かうことは滅多にないという。


「コートリッツを出てランド――、いや、現場になったバットンには、通常は出発から五日目の夕刻に着く。けれど、ノースローク駅から馬に乗れば、ウィンリールで一泊休んでも三日目の夕刻にはバットンに到着できるんです」


 ヴィクターが懐から封筒を出す。シャーロットが送った、フェリックスの最後の手紙だった。

 予定通りには発送されなかったそれに、『二月二日』とくっきり消印が押されていた。


 フェリックスの亡骸は、二月四日の朝に発見されていた。

 そして三日から四日にかけて、ケインズは館から出ていなかった。


「彼は二日の夜には、もう殺されていたんです。この土地の寒さが、そうとわからなくさせていただけで」

「……二月二日の、ケインズの行動は」

「所用で一日の夜から三日の朝まで館を出ていたと、女中頭が話してくれました。そんなことは、誰も聞いてこなかったから初めて話すと」


 貴族に仕える人間にとって、外部にあれこれ話すことは、特に深い意図がなくともご法度だった。


「三日の朝から四日にかけて閉じ込められていたレティシア嬢は、二日の午後には館で目撃されています。また盛大な癇癪(かんしゃく)を起こしていたそうで。

 ……しかも彼女、おそらくひとりで馬に乗れません。敷地内の狩猟小屋に来るのにも馬車を使っていたくらいですから。バットンで見せた様子からして、馬が怖いのでしょうね」


 そして、だからこそダミアンは、赤毛の男の遺体を見に来たとき、馬の手綱を引くシャーロットを見て意外そうに呟いたのだ。『おや、君は馬に乗れるのか』と。

 犯行のために、身軽にランドニアとバットンを行き来するなら、馬で動く方が効率的だ。


「……本当は、アリバイがないのはケインズだけだったのね」


 立て続けに示される予想外の事実に溺れないよう必死に思考を巡らせていたシャーロットへ、「それから」と低い、緊張感にはりつめた声がかかる。


「これからバットンへ戻るにしろ、ウィンリールに一時滞在するにしろ、ひとつ絶対に守ってほしいことが。……ケインズがフェリックス殿を殺すのに使った毒が、おそらくヒ素ではない、ということにも関連しています」


 次から次へと、息つく間もない。新たに投下された情報を掻き分けて、シャーロットはなんとか問いを返す。

 

「……解剖もしてないのに、なんでそう思うの」

「彼が自殺ではないからです」


 犯人が出てきた以上、そういうことになる。


「小瓶に入った毒を、そうとわからぬように飲ませるのは不自然ですから苦労します。力ずくならなおのこと、いくら相手が疲れていようと老いた身では難しい。だから、もっと彼が警戒しないものに、それとわからぬように毒を盛ったんです」

「何に?」


 動く気配のないシャーロットへ、ヴィクターが口早に答える。


「……うさぎですよ。つまり、」


「――ベラドンナの実を食べさせたうさぎを、用意していたんですよ」


 突如割って入った別の低い声に、銃声が重なる。

 シャーロットは、目の前が真っ暗になった。



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