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【電子書籍化】この恋は秘密と醜聞で溢れている  作者: あだち
本編

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第五十三話 シャーロットの物思い

 

「――遺体があったのは、どのあたりですか」


 ショックで卒倒したレティシアの傍ら、硬直したシャーロットを我に返らせたのは、隣室に続く扉の開閉音と同時に飛び込んできた男の声だった。



 ***



 降りしきる雪の塊は幾分か大きくなり、馬の蹄の跡もすぐに薄くなる大雪の気配を漂わせていた。


 それでも、案内された崖下に横たわる男と、その周囲に広がる赤い血の痕は隠しきれていない。ヴィクターの肩越しにそれを垣間見て、シャーロットは思わず天を仰いだ。直視する勇気はなく、降りた馬の側から先へは足が進まなかった。


 赤毛の男が冷たくなっていたのは、シャーロットが足を滑らせた森の、さらに奥へ進んだ崖の下だった。見上げた先、崖の途中に大きな岩が突き出ていて、落下中に頭を打ち付けたことを示すように血痕がこびりついている。


「シャーロット、気分が悪くなるなら、ケインズ氏と戻っていて結構ですよ。あなたは馬もひとりで乗れるみたいですし」

「き、気にしなくていいから、しご、確認してきて」


 仕事、と言いかけたシャーロットを置いて、ヴィクターは数歩先、使用人たちが立ち尽くす現場に近付いていく。シャーロットも薄目で窺えば、そばに細長いものがいくつも散乱しているのが見て取れた。

 猟銃とクロスボウの(たぐい)であると、直感で分かった。


「さぞや恐ろしいでしょう。まさか、ここに来る途中でもこの男に襲われていただなんて」


 シャーロットのそばに控えるケインズが慰めるように声をかける。ヴィクターは案内を渋る女中頭と執事に、列車でのことをかいつまんで伝えていた。無論、男がフェリックスの死に関わっているということは伏せて。


「ええ、厄介な賊に目をつけられましたわ」

「しかし、嫌な話ですが、ここで亡くなったとあればこの先は安心と言えますね」

「……ええ、まぁ」


 そこへ、雪を蹴散らす蹄の音が割り込んできた。ケインズとシャーロットが振り返る。


「ダミアン様」

「あぁ、シャーロット嬢までこんなところに? おや、君は馬に乗れるのか」


 シャーロットが手綱を握っているのを見て、ダミアンがそんなことを言う。さすがのぼんくら男も寝ていられなかったと見えた。


「で、ブレイド。どこの誰が死んでるって?」

「それが、領地内でもまったく見たことのない男でして……」


 ダミアンは執事に馬を預けると、嫌そうに顔を歪めながらヴィクターたちが囲む亡骸の方へと寄っていった。


「転落ねぇ。メアリーのことがあったばっかりだってのに。フェリックスの件を最後に意識なくした伯父上はかえってラッキーだな」


 とはいえ、通り過ぎざまのぼやきの不謹慎さには、鉄仮面のケインズもさすがに顔をこわばらせ、口髭を揺らした。


『ダミアン本人ではなく、その息がかかった者が動いた可能性はありますわ』


 シャーロットの脳裏に、レティシアの言葉が思い起こされる。しかし、それはレティシア自身にも同じことが言えた。


(でも、それならヴィクターに自白させられた内容が嘘か、わざと閉じ込められてたことになっちゃう)


 さすがに不自然だと、金髪を揺らすようにため息が漏れた。

 赤毛の男には、指示をした人間がいるはずなのに、シャーロットの中では容疑者がいない。


(……あ、でも)


「ケインズさん。公爵夫人はどういう方でしょう? フェリックス様やメアリーさんとは、仲が良かったんですか」

「え? あ、いえ、それは……いち使用人たるわたくしが、奥様を批評するようなことは」


 シャーロットは拍子抜けした。レティシアとダミアンのことは『無理を言う』と認識して、シャーロットとヴィクターを気遣ってきたからだ。レティシアに至っては『気難しい』とも言っていた。

 これは普段、よほどふたりに振り回されているのだな、としみじみ同情する。


「メアリーさんも苦労なさったでしょうね」


 思わずぽつりと漏らしてしまってから、シャーロットは慌てた。こんな言葉、たとえ本音では同感でも、シャーロットの前では答えようがない。


「……彼女は、そういう立場の人間ですから」


 ごく小さな、ともすれば聞き逃しそうな返事だった。心なしか苦々しげにも聞こえて、シャーロットは話題を変えようと思ったが、そこでちょうどヴィクターが戻ってきたので、ぎこちない会話はそこで途切れた。


「男の顔立ち、体格からして、列車で居合わせた例の男ですね。そして今の服装、猟銃にクロスボウ。散らかる矢も含めて、俺たちを襲った人間のものと見受けられます」


 ヴィクターから聞かされた言葉には、さして驚かなかった。



 ***



「ヴィクター、少し体を休めた方がいいわよ」

「休みましたよ」

「治療してっ! そのあと休むのっ! 治療時間に休む時間を含めないのっ! できることはわたしが代わりにやるから」

「あなたに頼みたいのは、部屋の中で大人しくしていてもらうことだけですね」

「なっ、うっ、……もぉっ!」


 屋敷の玄関の前で、それぞれの馬から降りたふたりはそんなやり取りをした。ヴィクターの表情は淡々としていて、狩猟小屋で見せた感傷は微塵も感じさせない。

 

 左腕で開けられた扉をくぐりながら、シャーロットにはその様子がかえって気がかりだった。しかし、今はそのことを掘り返す気になれない。

 狩猟小屋での話は、ヴィクターからの質問を最後にしている。


『そのあと、どうするんですか』


 今、このことを蒸し返されたら、シャーロットは答えを差し出さなくてはならない。


(すべて終わったら……)


 なぜそんなことを聞いてきたのか。おそらく、馬車の中で最初にそう聞いてきたときは、フェリックスとの恋の結末を受け止めたときのことを聞かれていた。アデルとの結末を受け止められなかった自分と比較するように。

 しかし今度も、同じ意図だろうか。

 彼は、二度も同じ質問をするだろうか。


『俺があのとき欲しかった言葉だけは、わかってるみたいだ』


 そんな言葉には、どんな意図が込められていたのか。


(婚約者の振りをする必要がなくなったら……)


 シャーロットは髪についた雪を右手で払う振りをして、こっそり男の背中を盗み見る。


 空いた左手で、あの右肩の雪を自分が払ってもいいだろうか。

 列車では『触るな』と言われた、アデルとの傷が隠れた右肩に――。


「シャ、シャーロット様……?」

「へっ?」


 髪がぼさぼさになるまで雪を払い続けていたシャーロットの意識を呼び戻したのは、先程の女中頭だった。


「大変申し訳ございません、シャーロット様にもお手紙が来ておりましたわ」


 申し訳なさそうに差し出され、シャーロットは「ああ、どうもありがと」とそそくさと受け取り、外套のポケットに差し込む。


「誰からです」

「えっ、さ、さあ。リンディか、お父様からのお叱りの手紙かしら……グレイス姉様じゃないといいけど」


 問いかけてきたヴィクターと別れ、自室に戻ったシャーロットは手袋を脱ぎ、襟巻きをくつろげた。そして何気なくポケットから封筒を取り出すと、宛名も、差出人も確認せずに封を切った。


「……え」


 文面に目を通すなり固まったシャーロットの足元に、もう一通、たった今開封された封筒と重なっていた、未開封の封筒が落ちる。


 “シャーロット・フェルマー様へ、イヴリン男爵ライナス・フェルマーより”と書かれた、真新しい封筒が。



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