第五十話 銃口
小屋の中の、冷え切った空気がより一層張り詰める。扉の外で立ち止まった何者かは、すぐには扉に手をかけてこなかった。
斧を、壁の斧を取ってこよう。
シャーロットがそう決意して、ヴィクターの腕から抜け出ようとしたときだった。
「……伯爵、そこにいらっしゃるの?」
その声と同時に、蝶番の軋む音が重なり、木製の扉が薄く開いた。
「れ、レティシア様っ!」
「……その声は、シャーロット様!」
脱出させまいとするように固く抱き込んで離さない腕の中から、どうにか声を上げる。シャーロットは見知った人間の声だったことに安堵し、――そして、身を強張らせた。
開いた扉の隙間から、緊張感に満ちた灰色の視線と共に、猟銃の先端が差し込まれてきたのだ。
「な、な……」
(や、やっぱり黒幕はこの人だったのっ?)
クロスボウの襲撃者は遠目で、人相はわからなかった。ただ、シャーロットは列車での赤毛男の一件から、相手は男だと思い込んでいた。
それが、まさか――。
「レティシア嬢、落ち着いて、銃を下ろしてください」
「……っ、伯爵……いいえ、聞かないわ、もう騙されませんことよ」
ヴィクターの声に、銃口が揺らいだ。思い人の声だったからだと、シャーロットは思った。
が。
「は、伯爵、わたくし、馬車でここまで来ていますのよ! わたくしが大声を出せば、すぐに御者が来ますし、じきにブレイドも馬に乗って来ます、観念なさい……!」
震えるレティシアの言葉に、シャーロットは何を言っているのだと混乱した。
(そ、そうか、この人、真実を隠ぺいするために、もうヴィクターも切り捨てることにしたんだわ!)
そもそも、狙撃の狙いは最初からヴィクターだったのだから、もうレティシアの思慕は彼女の凶行を止める材料になっていない。
(なのに、どうして……!)
シャーロットはヴィクターの右手を見る。
どうして、ここにきて銃を懐に戻しているのだ、と。
「レティシア嬢、あなたはなにか誤解なさっている」
「お黙りなさいっ、この、この悪党っ! 大人しく、出ていらっしゃいっ」
猟銃の向こうにみえる灰色の目は緊張に歪んでいる。バットンでみせたヴィクターへの殊勝さは欠片も感じられなかった。
シャーロットには、なぜヴィクターがレティシアを前に銃から手を離しているのか、わけが分からなかった。
(相手は、フェリックスを殺して、わたしたちも消そうとしているのに――)
「分かってましてよ、伯爵、シャーロット様。あなたたち、ダミアンの協力者なのでしょう。フェリックスのように、わたくしのことも殺すつもりだったのでしょう……っ」
聞こえてきた震える声に、え、とシャーロットは耳を疑った。
「な、何言ってるのっ? あなたこそ……」
「伯爵、あなた、この公爵家で育てられたわたくしが、気がついていないとでも? 昨日、あなたがわたくしのお茶に何か薬を混ぜたことを。……意識が混濁する何か……迂闊でしたわ、ダミアンとふたりきりにならないようにばっかり気をやって、まさかステューダー伯爵、あなたにあの男の息がかかっていただなんて!」
「……はっ?」
その言葉に、シャーロットはまた視線をヴィクターに向けた。男は公爵令嬢の方から目を逸らさないので、視線は合わない。
ただ、針で刺されたような苦々しい顔を――ばつが悪そうな顔を、していた。
「シャーロット様がいやに我が家のことに興味を示していたのも、情報収集のつもりだったのでしょう!」
「……レティシア嬢、落ち着いて。違います、俺も彼女も」
「最初から、変な組み合わせだと思いましたのよっ。婚約だなんて、どんな理由があってあなたたち二人が結ばれるというのかしらっ。大方、悪だくみでつながった者同士というわけなのでしょうっ!」
シャーロットはわなわなとヴィクターを見つめていたが、やがて意を決し、扉に向き直った。
「……れ、レティシア様、違うわ、わたしたちはフェリックスを殺してなんかいない」
「白々しい……!」
「本当よ、ダミアン様にきいてみて。彼もわたしを疑って、この館にある自白剤をわたしに飲ませてきたくらいなんだから」
「……言いくるめられると思っていて?」
扉の隙間から覗くレティシアの視線が、険しくなる。警戒を緩めまいと鼓舞するように。
「……お兄様のことに関わっていないと言うのなら、なぜここに来たの。わたくしも母も、コートリッツにいると、皆が思い込んでいるこのタイミングで、ダミアンと示し合わせたかのように……許さないわよ、お兄様の仇なら、たとえステューダー伯爵でもっ!」
血走ったレティシアの眼を見つめて、シャーロットはぐっとつばを飲み込む。
「わたしがここに来たのは、フェリックスの死の真相を知るため。……恋人だったの、あなたのお兄様の」
「……何を言っているの」
「ほ、本当よ! 去年の春の、競技大会で出会ってから、何度も手紙のやり取りをしたわ! 家の反対を免れないだろうからって、人気の無いところで会ったりして……“青百合商会”という差出人の手紙を、見たことはない? きっとフェリックスは、中身を見せることはなかったと思うけど……ほら、これ、見覚えはない? わたしが彼に贈った懐中時計と、彼から贈られたブローチ!」
シャーロットは外套の下から、銀色の懐中時計と、それに絡まるように出てきた燕の形をした金細工のブローチを取り出すと、掲げて見せた。
レティシアは銃を下ろさないまま、剣呑な目つきでそれらを睨みつけていた。訴えの内容を吟味するような沈黙と共に。
「……ヴィクターが、あなたに薬を使ったのは、誰が怪しいのか、判断がつかなかったからよ。わたしたち……わたしも、真相を知りたい、どうしてあの人が、あの日、あんな冷たいところで死んでいたのか。でも、それを阻もうとする人がいる。……ねぇ考えてみて、なんでこの小屋に私たちがいると思う? クロスボウと猟銃をもった人間に襲われたからよ、ついさっき」
二人にむかう、猟銃の先が震えていた。
「お、お嬢様……」
いつの間にか、レティシアの背後には執事のケインズが追いついて来ていた。それまではなかった、馬のいななきも聞こえる。
「……ここで待っていなさい。ブレイド」
短く命じると、レティシアは小屋の扉を開け、ひとり踏み込んできた。
その拍子に、白い雪に反射された光が小屋の中まで差し込んだのは、僅かな時間だった。後ろ手に、レティシアが扉を閉めたからだ。
銃は外套に包まれた体の脇に、力なく下ろされていた。肩には薄く雪が被っているのが、暗い小屋でもはっきり視認できる。
「……お兄様は、自殺なんかしていない」
「……ええ、きっとそう」
白い雪とは対照的な黒いドレス、黒い外套に身を包み、ぼろぼろと涙を流すレティシアに、シャーロットは頷いた。




