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【電子書籍化】この恋は秘密と醜聞で溢れている  作者: あだち
本編

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第四十三話 口が重い人々

 

 殴られたのか、鼻をおさえて目を潤ませたダミアンに形ばかりの謝罪をしたヴィクターは、入ってきたとき以上に素早い足取りで部屋から出た。

 その右手は気まずさに窒息しそうになっているシャーロットの左手首を強い力で掴んでいたので、仕方なく、シャーロットもせかせかと男の背中に続く。


「……ヴィ、ヴィクター……」

「……」


 返事はない。刃のような沈黙だった。

 しばらく無言のまま、二人は人気の少ない城館の廊下を歩いていた。


「……本当に、自分からあの部屋に行ったんですか」


 掴まれたままの手首を難しい眼差しで見つめていたシャーロットは、ヴィクターの言葉にはっと顔をあげ、そして再び、居たたまれなさに俯いた。

 

 堂々と啖呵を切ったことを忘れていないシャーロットには、後ろめたい質問だ。こんなことをわざわざ聞くヴィクターは、もしかして否定してほしいのだろうかと、穿って考えてしまう。


(でなきゃ、釘刺したかいがないものね)


 青い目をさ迷わせて答えを惜しむも、その躊躇いがヴィクターに伝えるものがあったのか、問いが重ねられることはなかった。かわりに、身長差にに配慮のない歩幅で進んでいた足が、ひとつの扉の前で突然止まる。


 シャーロットは相手の背中にぶつかる直前で踏みとどまった。何事かと視線を上げると同時に、掴まれた左手に吊られるように、シャーロットは扉の奥、ひとつの客室に引きずり込まれた。尋ねるまでもなく、そこがヴィクターにあてがわれた部屋だとわかった。


「適当に、かけてください」


 手を放されたシャーロットとしては、身を翻して部屋から逃げたかったのだが、それが後にどんな口撃を引き出すかわかったものではないので、のろのろと長椅子に腰かけた。


 部屋の使用者は、運ぶのに軽い猫足の華奢な椅子を、わざわざ長椅子の近くに持ってきた。真正面より少しずれた位置だったのが、圧迫感をほんの少し和らげていたとはいえ、肘掛け椅子に掛けるより、近い位置取りだった。


 逃亡阻止、としか、シャーロットには思えなかった。


(わ、わかるわ、グレイス姉様もわたしとリンディを逃がさないようにしっかり捕獲してから叱ってきたから、この感覚には覚えがあるわ……)

 

 青い目を閉じ、きゅ、と両手を組んで鼻から息を吐き出す。自分を落ち着かせるために。

 予想できる牙を前に、シャーロットは早々に、“ダミアンの部屋で手にいれた獲物”を差し出すことにした。きっとそれが、彼の機嫌を多少は改善させると、そう思ってのことだった。


「シャーロット、まずお聞きしますが」

「――だ、ダミアン様はフェリックス殺しに無関係だと思うっ。疑うなら、まずはレティシア様よ!」


 おかげで脈絡もなくダミアンを擁護するはめになった。

 しかし。


「……まずすべきことは、あなたが彼に危害を加えられていないかどうかの確認、ですよ」


 誰を怪しむか、ではなく。


 その言葉に、シャーロットは「え?」と目を二度三度と瞬いた。

 向かってくる黒い双眸は苛立ちに歪んでいる。なにも聞こえていなければ、どう考えてもシャーロットは目の前の男に冷たく厳しく怒られているところだとしか思えない。


「お、怒ってないの?」

「は?」


 男の目の下がぴくりと動いた。

 怒っている。シャーロットは氷の槍で額を貫かれている気持ちになりながら、全身を縮こまらせた。


「……な、なにもされてないわ。大丈夫、元気そのものよ」


 とりあえず、シャーロットは混乱しつつ、質問には正直に答えることにした。特段、怪我はしていない。


「……そうですか」


 黒い目が若干緩んだように見えて、シャーロットもほっと肩の力を抜いた。


(そ、そっか、心配させちゃったのね、そりゃそうよね……)


 ――改めて考えてみれば、椅子を真正面に置かなかったのも、わたしが傷ついていた場合に、なるべく怖がらせないようにしようとした、ヴィクターなりの配慮だったのかもしれない。それにしては、表情が厳しすぎた気もするけど。


「……ええ。自白剤も、軽い方しか飲ませられてないし」

「…………は?」

「なぜか顔まわりに水をかけられたみたいだけど、気がついたときには相手も顔面水浸しだったのよね」

「……なっ、は?」


 シャーロットは肩とともに軽くなった口から流れ出るままに語り、しまいに自信たっぷりに言い切った。列車で襲撃されたとき同様、安心させるために。


「でも大丈夫! ダミアン様は頭はよくないと思うけど、根は悪い人じゃないわ」

「…………」


 だから早く、自分の持ち帰った情報をもとに、レティシアを洗うべきだ。シャーロットはそう続けようとして、ようやく相手の様子がおかしいことに気がついた。


「………………だから、危害を加えられていないか、と聞いたじゃないか」


 唸るような低い声とともに、鋭い眼差しがぶり返した怒りを伴ってシャーロットに向けられていた。


「……け、怪我はしてないわよ」

「薬を盛られて、水責めの痕跡まであったのに? あなたは自分が死んでようやく“危害を加えられた”と認めるつもりなのか?」

「みっ……! な、なんで濡れてたかなんて知らないけど、とにかく違うのよ。彼はわたしを警戒してたから自白剤を使ったのであって、フェリックスやメアリーさんのことには無関係だってわかったの!」

「だから今、フェリックス殿の話はしていないだろ」

「わたしたちがここに来たのはそれが原因でしょっ! 少なくともダミアン様は人殺しじゃないんだってわかれば、わたしだってそこまでの危険な目には遭ってないってわかるでしょ!」


 ヴィクターの声が固くなり、シャーロットもだんだんと顔つきと声の熱を上げていく。

 シャーロットは、自分でもなぜこんなにもダミアンの肩を持つはめになったのかと、心の隅で成り行きに疑問を持っていたが、責められるように言われては言い返したくなるのが性分だった。


 そしていつの間にか、二人はすっかりにらみ合う態勢になっていた。


「…………なぜ、ダミアン殿が殺していないと信じるんです」


 じりじりと火種がくすぶるような沈黙を経て、ヴィクターが口を開く。シャーロットは顎を上げて腕を組み、彼がビルダース伯爵夫人と一緒にいたという話を伝えた。


「裏付けを取るまでは仮の証人としか言えませんが。財政が火の車のビルダース伯爵が、次期ランドニア公爵に恩を売ろうとしてもおかしくない」

「……じゃあ、レティシア様はフェリックスが死んだとき、どこにいたかはわかっているの?」


 シャーロットは唇を尖らせて問い返す。


「彼女は、……ここに、いたそうです。ケインズ氏とともに」


 シャーロットは目を剥いた。あの黒髪の女は、馬車の中でフェリックスの話をしたとき、そんなことは一言も言っていなかったのに、と。


「それならレティシア様、断然怪しいじゃないっ! ここはコートリッツよりよっぽどバットンに近いわよ」

「……しかし彼女は」


 ヴィクターが珍しく口ごもったとき、廊下から、扉を叩く控えめな音が割って入った。

 さっきからノック音に邪魔されてばかりだ。そう思いながらシャーロットが見つめる先で、ヴィクターに許可されて入室してきたのは、公爵家の白髪の執事だった。


「お夕食の時間について、ご確認に……」

「ちょうど良かったわケインズさん! フェ……三週間ちょっと前、二月三日の夜から四日にかけて、レティシア様はどこにいたのっ? ずっとこの館にいた?」


 その実直そうな顔を見て、シャーロットはずばりと問いただした。直前までの不機嫌さも相まって声に勢いがついたので、ケインズは僅かに目を見開いて、戸惑いの表情を見せた。


「……それは、フェリックス様が亡くなられたとされた時間、ということですか?」

「え、ええ。このヴィクターには、あなたともどもここにいたと、そう話したみたいなんだけど!」


 人差し指を向けられたヴィクターは、止める間もなく真正面から切り込んだシャーロットに、呆気にとられたような顔をしていた。そしてすぐに苦い顔を作ると、顔の前で揺れるシャーロットの無作法な手をぐっと引き下ろした。


「……ええ、確かにお嬢様はその日、こちらで過ごしていらっしゃいました。ずっとここにいたか、というのは……わたくしめは、厨房でほかの使用人たちとともに銀食器の磨き上げをしていましたので。ただ、出かけるときには、いつもわたくしめにお声をかけておられましたから、三日の午後も、四日も、特に外出はされていないかと、思いますが……」


 ケインズの返事は歯切れの悪いものだった。眉を寄せたシャーロットに対し、執事は口髭の下で咳払いをして、さらに言い添える。


「その時間、とくにお呼びがかからなかったので、わたくしはずっとほかの使用人たちとともにおりました。酒類や食器、工房等の確認など……こちらは、コートリッツの館ほどは、人手が多くありませんもので」

「え、食事は?」

「特別用事がない日は、朝はお取りにならない方ですから」


 その日は午後も二時を過ぎた頃に、最初の食事を取ったということだった。


「じゃあ、お付きの女中がいますよね? その方に会うことなんかは……」

「それが、今は固定の者がいないのです。いえ、もちろん近いうちに決める予定ですが、なにぶんお嬢様は気むずかしいところがおありなので……」


 公爵令嬢ともあろう者に固定の女中が着いていないだなんてことは、ジュリアを追い返したシャーロットにすら、にわかには信じられないことだった。

 思わず理由を問いただすと、執事の口はまた重くなったが、見つめるシャーロットの視線に根負けしたかのように言葉を吐き出した。


「……もとは、メアリー・コートナーが専属でついていたのです。それが、あんなことになってから、お嬢様は前にもまして使用人を厳しい目で見るようになってしまって……」


 その瞬間、シャーロットの開いた口は塞がらなかった。


 喉に舌が貼り付いたかのように声がでなかったので、視線だけで、そばに座っていたヴィクターに問いかける。


 知ってた? と。


 男はわずかに唇を尖らせて、視線をそっとそらした。

 それは先程までのシャーロットの、“答えは決まってるけど言いたくない”顔にそっくりだった。



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