第四十一話 和睦の杯(2)
その言葉に、シャーロットは再び向かいに腰かけた男に目を向けた。ダミアンは濡れたグラスを目の高さに掲げていたので、ガラス越しの目元は歪んで見えた。
「あの人の死で得られる利益は、あなたより少なくても?」
「利益って言うな、荷物だ。……そもそもメアリーの死が怪しいじゃないか。僕は階段での事故死だと聞いただけだけど、もしメアリーが公爵令嬢として認められたら、一番煽りを食らったであろうやつは、あの高慢ちきだぞ」
「……遺産のことね」
公爵家の遺産は、大部分を嫡子が相続するのはもちろんだが、それ以外の子どもたちにもある程度は保証される。遺言で変動することがあるとしても。
加えてダミアンは、「それだけじゃない」と苦笑いしながら首を振った。
「自分の取り分が大きく減るのはもちろんだが、それまで使用人として顎で使ってた女を、妹として扱わなきゃいけないんだから屈辱もありあまるってもんだろ。
なにより、公爵令嬢だなんて言っても所詮連れ子のあいつに対して、メアリーは正真正銘、公爵本人の娘。王国屈指の爵位の継承権は、自分を通り越してフェリックスとメアリーにしか認められないんだから、あの小娘の心中は推して測るべしってな」
シャーロットは顎に手を添えて眉をひそめた。
確かに、ダミアンに対する態度を見れば、レティシアにとって自分より劣ると思っていた相手に頭を押さえられるのは、耐えがたい屈辱であるように思われた。たとえ、ダミアンの人間性にも理由があるとしても、だ。
「ダミアン様。あなたは、レティシア様がメアリーさんを殺したと思ってるのね?」
念押しされて、ダミアンのくすんだ緑の目が悩ましげに遠くを見つめた。
「……無くはないと思ってる。屋敷内での転落死だろ、女一人でも不可能じゃない。で、それがフェリックスにばれて、やむなくそっちも手に掛けたか」
「……レティシア様は、そこまでする人なの?」
思い返してみても確かに鼻持ちならない態度ではあったが、正直なところ、人を殺すほどかと言われれば、シャーロットには判じかねた。
しかしダミアンは拗ねたように、「実利主義の商人と違って、こういう家にはプライドと体面のために人を殺しもすれば自ら死にもする人間だって普通にいると思うよ」と吐き捨てた。
その言いぐさのなかにイヴリン男爵家への嫌味を汲み取って、シャーロットはまた眉を跳ね上げる。
「そうやって人の家を小バカにしてっ、あなたもレティシア様と変わらないじゃないのっ」
「なんだよ、元商人なのは事実だろ。実利的なのも、ランドニア公爵子息との恋からたいした時間もあけずに、今度はステューダー伯爵に乗り換えておいて何を今さら。現実的な女は嫌いじゃないが、あからさますぎて怖いくらいだ」
「ヴィクターとのことはそんなんじゃないわよ!」
むきになって言い返したところで、それ以上は言ってはいけないとグッと飲み込んだ。
しかし結果的には、それでも相手の関心を引いてしまっていた。
「へぇ、フェリックスとの関係と、伯爵との関係は別物だって? そういわれちゃ、やっぱり君はフェリックスのことを知るために、父親より格の高い伯爵をたらしこんで利用してるようにしか見えないな」
この男にはシャーロットが相当な悪女に見えるらしい。ヴィクターの笑顔の裏を知っているシャーロットとしては、『あいつがそんな可愛い性質なもんですかっ!』と言ってやりたい気分である。
「……わたしの婚約のことは、フェリックスの死には関係ないでしょ。興味半分でつつかないでよね、彼の不興を買ったら、お父様の胃に穴があいちゃうわ」
憮然として空になったグラスをテーブルに置いたシャーロットに対し、酔いの赤みが抜けない男はハハッと笑い、とんでもないことを言ってのけた。
「もし伯爵との話が破談になったら教えろよ。今度こそランドニア公爵夫人にしてやるから」
「はああっ?」
「いや、それ思ったより結構いい案な気もするな。ダイヤの良し悪しなんて、僕より君や君の父親の方がわかってそうだし」
冗談だとわかっていても、とんでもない話だとシャーロットは憤慨した。
「言っておきますけど、わたしは次期ランドニア公爵が好きだったんじゃなくて、フェリックスが好きだったの! あなたなんか絶対願い下げだし、だいたい、やたらに絡んでくるのなんなのっ?」
「……なんなのって言われても。まあ、突然やって来たステューダー伯爵とその連れを、怪しまないわけもないだろ」
当然のように返されて、シャーロットも唇を尖らせたまま、「まあ、そうね」と少し反省した。
「しかもメアリーの事情を知ってるなんてブレイドに話すから、てっきりメアリーが妹だってことがばれてんだと早とちりしたよ。とはいえフェリックスが軽々しく口外したとは思えない。となると、これはただ者じゃないぞ、って結論になるし」
早とちりをしていた。だから、屋敷についたとき『まさか君、メアリーが恋人だったと思ってるのか』とシャーロットに驚いて見せたのだ。
女王からの密命を受けているヴィクターは確かにただ者ではないが、ケインズを揺さぶるはずが、思わぬ方向から疑惑を持たれてしまっていたのだ。
「……で、比較的口を割りそうな女の方をつついてみただけだよ。懐中時計を見てからは、君の方が黒幕で伯爵は隠れ蓑だったと思い込んでしまったけども」
しかし、もっともらしい言葉で締めくくられると、シャーロットはじと、っと相手の顔を半眼で見据えて確認した。
「近付いてきたのはフェリックス殺しを疑って? ……下衆な思惑がなかったと、誓えるわけ?」
「…………ま、まあ、あのステューダー伯爵が婚約し直したってことで、相手の女にちょーっと興味が湧いたってのはある、かもねぇ。なにせ、最初の相手とは何もかも真逆だからさぁ」
「……真逆?」
シャーロットはそこでまた引っ掛かった。
いわれて思い返せば、列車で聞いた陰口でも、前の婚約者には何もかも及ばない、と言われたところだ。
ダミアンの方は一瞬めんどくさそうな表情をしたが、すぐに合点がいったようにああ、と口にした。
「そうか、君はレティシアと同じくらいだから、二年前の噂をろくに聞いてないのか」
「噂?」
シャーロットはテーブルの上で身を乗り出した。話す相手もつられたか、誰に憚る必要もないのに声を低くする。
「二年前の冬、ヴィクター・ワーガス殿と言えば、結構な同情と興味関心の的だったんだよ。――彼の乗った馬車が崖から落ちて、一歩間違えれば命も危ぶまれたような大怪我するわ、その後にはエルノー侯爵のご令嬢、アデル・スクーパット嬢との婚約が、相手方から一方的に解消されるわでさ」
「……!」
シャーロットの脳裏に、黒い目の、紅茶色の髪の男の歪んだ顔が蘇る。
『もう二年も前のことです』
『半分気の病のようなものです』
白い喉が、本人の知らないままに上下する。
『お気になさらず』
残念ながら、ものすごく気になる話であった。




