第四十話 和睦の杯(1)
「……当たり前だろ。こんな、先祖の手柄をありがたがって、外面ばっか気にしている陰険な家」
ダミアンは俯いたまま、なげやりな口調で言葉を返す。シャーロットは、この屋敷に着いたときにも、彼が同じようなことを言っていたことを思い出した。
しかし。
「……バットンでは、跡取りになったことをずいぶんひけらかしていたみたいだけど」
受付の主人に対する横暴さのなかには、ステューダー伯爵すら軽んじる言葉が含まれていた。
訝し気なシャーロットだったが、ダミアンは嘲るようにハッと笑った。
「笑えばいい、器じゃないって。僕は結局、爵位を背負って立つために生まれてきたようなやつらとは違うんだ。領地、屋敷内はおろか、近隣の町の人間すらも、フェリックスから僕へと“格下げ”された未来のランドニア公爵家に、がっかりしてるのくらい、わかってるんだよ」
それはそうだろうな、と思っていた。
思っていたが、シャーロットは黙っていた。
ダミアンは促されるまでもなく、ぽつぽつと語り始めた。琥珀色のリキュールも、無色透明の薬も栓をされたままだというのに。
「僕の方が年上だってのに、何やってもあいつの方が出来が良くて、人当たりも良くて、そんな都合の良い人間いるわけあるかよ。……絶対、なにか裏があると思ったのに」
「……」
シャーロットは寄宿学校で、社交界で、周囲からの小さな悪意に何度もさらされてきた。この旅でもそうだった。
それを気に病まなかったのは、悪意の根本にはたいてい、嫉妬と羨望、そして自分達の希少性が脅かされることへの危機感があると知っていたからだ。
目の前の男の傲慢な態度も、それは卑屈さと自信の無さの裏返しでしかなかった。
「……死ぬなら、むざむざ殺されるなら、もっとみっともない恥を残していけば良かったのに」
憎悪をまとって語られ始めた言葉は、だんだんと小さく、誰かを詰るような声に変わっていった。
「……あいつがいなくなること、誰も、先に逝ったメアリーすらも、そんなこと望んでなかっただろうに。……なんで、死んだんだか」
「……」
“なんで”
それはシャーロットも何度も、何度も繰り返し考えた言葉だった。
「……ダミアン様、わたしはフェリックスを殺していません」
シャーロットは、ガラス瓶をベッドに置いて、一歩二歩と男のくくりつけられた椅子に歩み寄った。
「なんでここに来たかなんて、少し考えたらわかるでしょ」
男の頭が、かすかに持ち上げられる。
「恋人が死んだのよ。偽名の手紙でやりとりして、公園でこっそり会って。たった一年しか一緒にいられなかったけど、あのフェリックスが、突然いなくなったのよ。……誰も教えてくれない真相を、探らずにいられるわけないって、あなたならわかってくれるでしょ」
虚飾の剥げた緑の目に浮かぶ悲哀を認めると、シャーロットは男の足元、かたく引っ張ったタッセルの結び目に手を伸ばした。
彼は、人を殺していない。分かってはいたが、それならば敵対するべきではない。
湧き出る寂しさとともに、結論はそう出ていた。
寒い土地では、体を温める飲み物が求められる。
つまり、日常的に強い酒が好まれる。
寝室に置かれていた優美な曲線のボトルであっても、例外ではない。
「――だいたいっ! レティシアといいあの伯爵といい、なんなんだあの他人を見下げる目はっ!」
「そうよそうよ!」
シャーロットは勝手に意気消沈した男の拘束を解くと、一方的に感じた親近感そのままに新たな酒を室内から拝借してきていた。
見た目は水のようだが、本来ごく小さなグラスで少量ずつ飲むものである。
「爵位を得た先祖が偉いんであって、お前らは運が良かっただけだろうがっ!」
「よく言ったわっ! 自分を棚に上げて、よく言い切った!」
「だいたい、今さら家督継げったってどうしろとっ? 何するにしてもフェリックスと比べやがってっ!」
「そう、下品なのは今さら直せないわ! 開き直りはそれ以前の問題だけどっ!」
男の手にある寸胴型のグラスが、音を立ててテーブルへと叩きつけられる。シャーロットは同じ形のグラスを手にやんややんやと同調した。ちゃっかり批判を織り交ぜていても、言っている本人も聞いている相手もろくに気にしていない。
一時休戦の酒を酌み交わした二人は、いつの間にか鼻持ちならない身近な人間の悪口を肴にすっかり出来上がっていた。
「フェリックスがいい人なのは自明の理! 妹への悔恨を遺書にしたためて後追うなんて! はぁ、あの冷たいヴィクターにも爪の垢煎じて飲ませたい!」
「だぁからシャーロット嬢、あれは絶対自殺じゃないって!」
シャーロットがグラスを掲げて朗々と言い放った言葉に、呂律の怪しい抗議が飛んできた。青い目を歪めて、「……なんで言い切れるの?」とシャーロットは怪訝な顔を見せる。
「別にあの兄妹、依存しあってたわけじゃないんだから。とくに、フェリックスの方はな。そりゃ妹のほうは、兄や父親に睨まれて追い出されでもしたら路頭に迷っただろうけどさぁ。ま、仲は良かったんだろうし、突然死んでショックだっただろうけど、老いた父親おいて自殺はしないだろ」
男の言葉はさらに続く。
「そっちだって、あいつの自殺が不自然だったからここまで調べにきたんじゃないのかよ。……わざわざステューダー伯爵までたらしこんで」
「別にたらしこんでなんかないわっ!」
確かに、シャーロットたちは当初、フェリックスの自殺を偽装と疑って旅立った。しかし、ここへ来る途中で、従者の体調やフェリックス本人の不可解な行動という思いがけない事実に向き合うはめになったのだ。
(それに、この家にはベラドンナの毒を昔から利用していた知識があるんだわ)
寝台の端に放られたままの透明の小瓶をちらりと見る。
しかし、身内であるダミアンが自殺を否定している。倒れた公爵もだ。
そして、ヴィクターもまた、自殺だと確定させていなかったと思い出す。
(やっぱり、あの人の死には誰かの意図が絡んでる?)
シャーロットは、ならばと問いかける。
「……ダミアン様は誰がフェリックスを殺したと思ってるの?」
呟くような問いかけに、ダミアンはびっ、と人差し指の先をシャーロットへと向けてきた。
「ちょっと!」
「と、思ってたけど、違うんだろう? わぁかってるよグラスを置け」
気色ばんだシャーロットに向けて、フェリックスを殺した相手が青百合商会に関わる人間だと検討づけていたダミアンが片手を振る。図らずも、シャーロットはヴィクターと合わせて二回も同じ疑いをかけられてしまったことを複雑に思った。
「……ただ、青百合が空振りなら、ますますレティシアが怪しいな」




