第三十五話 人に言えないあの娘の秘密(2)
シャーロットは自分のなかで不自然なひっかかりとなったとげを引き抜くように、ヴィクターに確かめた。
「……メアリーさんが亡くなったのは、フェリックスがここに向かうよりもっと前よね」
「一カ月ほど前ですね」
「……贈る気だった、っていうのはおかしくない?」
「あなたが言ったことです。違和感に気がついてもらえてよかった」
「……」
む、と、シャーロットは口を尖らせながら、自分の前に置かれたカップを手に取った。
「……でも、ケインズさんは、指輪の管理について聞かれてメアリーさんのことを思い当たったのよ。コートリッツで働いていたメアリーさんが、フェリックスに贈られる以外で門外不出の指輪と関わることなんてあるかしら」
「無さそうですね」
「でしょ」
「……」
ヴィクターは黙りこんだが、その顔はシャーロットの言ったことに納得したというより、考えに耽っているような表情をしていた。シャーロットはやきもきしながら「なにか、気になってるの?」とつつく。
「――確かに、コートナー嬢と指輪に接点なんて有りようもないでしょう。……人に言えない、不祥事でもなければ」
「不祥事?」
予想外の言葉が出てきて、シャーロットは目を瞬かせた。
「亡くなった使用人が、よからぬ理由で指輪と関わりを持っていたという疑いが、公爵家の中にあったとしたら。だからこんな時期でも、公爵代理としてフェリックス殿が秘密裏に確認に行かねばならなかったのなら。……公爵家の人間が口をつぐむ理由も、執事すら詳細を知らされない理由も、それらしいといえばそれらしいのでは。たとえ主人一家が黙っていても、内部に流れる不穏な空気というのは、家のことを取り仕切る執事ともなれば敏感に感じ取るものでしょうし」
シャーロットは、今度は呆気にとられて目を見開いた。と同時に、『不祥事』が示していたことに考えが及んだ。
貴族に仕える使用人の起こす不祥事と言えば、多いのは不貞か、窃盗だ。
「……まさか、フェリックスの恋人が、公爵家の指輪を……ぬ、盗もうとしたとか?」
「さてね。普通、代々の家宝を、執事や女中頭でもない使用人が簡単に触れるところに置いているとも思えませんし。しかし彼女、“ただの使用人ではなかった”ということですから、想像はいくらでもできます」
例えば、嫡子が特別目をかけていた女なら。
シャーロットは思わず片手で口を覆った。
「そんな……だって、フェリックスの恋人だった人なのよ」
「フェリックス殿の恋人だから、なんだって言うのです。それに、女の本音を見抜けない男なんて、ごまんといますよ」
そうだった、とシャーロットは自分を振り返る。自分だって、フェリックスのことを本当はわかっていなかったのかもしれないと。
フェリックスもまた、メアリー・コートナーの隠された部分に、ずっと気がついていなかったのかもしれない、と。
(……もしかすると、メアリーさんの死は偶然じゃなかったのかもしれない)
――フェリックスを死に向かわせたのは、ただ恋人を失ったというだけではなかったのかもしれない。
「……それにひきかえ、あなたは、わかりやすいな」
思考の沼に沈み込んでいくシャーロットを引き上げたのは、そんな揶揄するような呟きだった。
女ははた、と顔を上げ、そしてその表情は徐々に面白くなさそうなそれに変わっていく。
「な、なによ。単純で悪かったわね」
ヴィクターは睨みつけてくる青い目を平然と見返した。
「誉めていますよ。好きになったら一直線、いやになったら大声で拒絶。知らぬ間に溜め込まれるより、ずっといい」
「あなただってわかりやすいわ! 人を小バカにする態度、全く隠さないものね」
売り言葉に買い言葉で、ついシャーロットも嫌みを返す。
「前々から思っていたけど、あなた人をそこまで好きになったことないでしょ。他人に入れ込む誰かを一歩引いたところから眺めて、やれ遊ばれてるだの気に入らないだの、かと思ったらどうするのか興味はあるだの、傍観者なのに偉そうもいいとこよっ。そ、そりゃ一時の感情に振り回されないのは、女王近衛隊としては不可欠な要素でしょうけどっ、そんなんじゃ、将来奥さんと心からの信頼関係なんて築けないわよ!」
感情に突き動かされた自分の失態を忘れたわけではないから、シャーロットは時折口ごもることもあったが、一旦そこまで言い切ってから相手の反応を待った。
しかし、普段打てば響くように動く相手の口は、今回なかなかその反応を寄越さなかった。
「……俺はそんなに、人を好かないようにみえていますか」
「……え?」
代わりに、ぽつりと短く聞き返されて、かえってシャーロットの方が面食らった。
突然どうしたのかと困惑するシャーロットの前で、ヴィクターは何ごともなかったかのようにカップを呷ってソファから立ち上がった。
「……すみません。俺も夕食まで、少し、部屋で休んできます。やはり疲れていたようだ」
戸締りには充分注意するようにと淡々と伝えると、その黒い目はシャーロットの方へ向けられることなく、談話室から出ていった。
「……え? え?」
取り残されたシャーロットは、ひとり冷めかけたカップを抱えてその背中を見送るしかなかった。
***
「……」
ドレスのウォッチポケットから出した懐中時計を見つめて、シャーロットはため息を吐いた。
夕食が始まって二十分以上経つが、フェリックスの部屋を使っていないはずのヴィクターは食堂に下りてきていなかった。
「お従兄様、伯爵になにか失礼なことをいったのではなくて? 将来がどうであれ、現時点ではあなたなんて爵位も何もないただの凡人なんですから、気を使ってくださいませ」
「うるさいやつだな、どう考えてもおまえのうっとうしさを煙たがって避けてるんだろうが」
「……」
失礼な男とうっとうしい女に挟まれて、シャーロットははじめてひとりで卓を囲ったほうがましだったと思いながら、無心にナイフとフォークを動かしていた。




