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【電子書籍化】この恋は秘密と醜聞で溢れている  作者: あだち
本編

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第二十八話 雪の町バットン


 厚い、重い雲が立ち込める朝。

 雪の積もった街道に、馬車が一台立ち往生していた。そして、その馬車に寄り掛かるように立つ背の高い男がひとり。


 そのそば、冷たい道の端にうずくまる金髪の女が、ひとり。


「……あなた、平気なの」

「俺はそういう性質(たち)なんです。どれだけ飲んでも、後に残らないんで」


 そう、それは羨ましいことで。


 雪の冷気を感じながら、シャーロットは返事をしたつもりだった。

 声にならなかっただけで。

 シャーロットは忌々し気に、背後で手帳に目を落とす男を睨んだ。彼女の手には、二日酔いに効くと宿の女主人に渡された飴の袋がある。


「こっちのことはお気になさらず、気分がましになるまでどうぞ。まぁ、風邪をひく前には馬車に戻っていただければ」


 肩越しに見てくるシャーロットの心情を何と捉えたのか、男はけろりと言ってまた手帳をめくった。

 だれが遠慮なぞするものかと、思ってもやはり声は出ない。

 そんな余裕は、今のシャーロットにはない。


(……アルコールどころか、記憶も残らないタイプだって自覚あるのかしらっ!)


 酒精も記憶も翌日に持ち越すしかなかったシャーロットは、その静けさに反比例するように内心で口汚く罵っていた。 



 ***



 シャーロットの気分が落ち着いてくるころには、窓の外は徐々に暗くなり始めていた。


「フェリックス殿は、やはりノーバスタでもほとんど部屋から出ていませんね。町の中でも、彼とみられる淡い金髪の貴族男性を見た人間はほとんどいませんでした」

「……あら、飲みながら情報収集してたの?」

「仕事ですから」

「……へぇ……」


 涼しい顔のヴィクターに言われて、飲むだけ飲んでひとり部屋で潰れたシャーロットは相手から視線を外し、浅く頷くにとどめる。

 酒量と共に、彼は当初の目的も放り出したのではと思って心配していた自分を、バカみたいだと呆れていた。


「……フェリックス、バットンにはもう少し早い時間についてたのかしら」

「彼が動いていた時期は例年になく雪が深く積もっていたそうです。多少は早くても、そう変わらなかったんじゃないですか。ほら、我々もじきにつきますよ」


 その言葉に、シャーロットは馬車の窓を開け、進行方向に向けて顔を出した。

 揺れに耐えているうちに、新たな町の家々と、それに接する暗い森が迫っていたことを実感した。雪のなかのバットンを望むシャーロットの背中に、ヴィクターが声をかける。

 

「よかったですね、日没に間に合って」

「……ええ」


 冷たい空気が馬車に入り込むのにも構わず、シャーロットの青い目は道の先へと引き付けられる。

 ささやかな町並みでも、暗くなり始めた空でもなく、鬱蒼とした森をめがけて。



 

 地図で見たときは小さな森に見えていた。

 しかし、目の前にすればその存在感は不気味さとともに見る者を圧倒してきた。

 

 荷物を宿に置くと、シャーロットとヴィクターはカンテラを持った案内人に連れられて森の方へ来ていた。


「もう日が落ちますぜ。どうしても今行かないとだめなんですかい」


 町の自警団の一員だというその男は、フェリックスの遺体を見つけて通報した発見者だという。男は気が進まなそうに森の入り口でふたりにそう訊ねた。

 シャーロットは言葉に詰まった。時間に加えて、人が亡くなってまだそう長い期間も経っていない場所へ案内しろと言うのだから。

 しかし、ヴィクターは違った。

  

「申し訳ないのですが、どうしてもです。フェリックス殿の最期の地ですから」


 物言いは穏やかだったが、要求は頑として譲らなかった。

 公爵家の嫡子の名前をだすと、これまでの二つの町より一層公爵領に近い町の住民であるせいか、男は渋々森へと足を踏み入れた。

 

「若様もなんだって森に……。こんな寂しいところで」


 前を歩く男の言葉に、シャーロットは訊ねた。


「ここには、地元の方はほとんど来ないの?」

「俺みたいに、薪売りや狩猟を仕事にしている奴くらいですかねぇ。とくに夜更けなんて、どんな季節でも出歩きませんよ。今は寒いし、それ以外の時は湖に落ちたら危ないしで」


 それからしばらく、三人は黙って木々の間を歩いた。さくさくという雪を踏みしめる音がシャーロットの耳に響く。

 ヴィクターはというと、木々に小さな目印をつけながら歩いていた。そばで見ていてもシャーロットは一瞬で見失ってしまう、実にさりげないそれを、ヴィクター自身は後から見つけられるのかと疑問に思った。


 あたりが完全に夕闇に覆われたころ、案内人の足が止まった。


「ほら、あそこに湖があって、そこに洞窟が見えるでしょう。あれですよ」


 木々が開けた空間に、ぽっかりと暗い穴があるのがシャーロットにも見えた。その穴の端に歪んだオレンジの玉がぼうっと浮かび上がっていて、かろうじてそこに凍った湖面があり、カンテラの炎を映しているのだと示していた。


 そしてそのわきに、吸い込まれそうな闇の広がる洞窟があった。近づけば、ヴィクターでもかがまずに歩けるくらいには高さがある。


「……若様はちょうど、その辺に倒れてたんですよ」


 別のカンテラを片手に洞窟のなかを五、六歩歩いたふたりに、入り口で立ち止まったままの男が声をかける。

 それに反応したのはシャーロットの方だった。


「……ここで……」


 雪は凌げても、岩肌は冷たく、靴の下にはしゃくしゃくと氷を踏みしめる感覚がある。ヴィクターがカンテラで照らせば、ところどころ細い氷の筋が洞窟の外へと続いていた。

 外套を着こんでも、襟巻で首を覆っても寒さが身に沁み込んでくる場所だった。


「なんだってこんなところで……体調もよくないってんじゃ、歩いてくるのもしんどかったでしょうになぁ」


 案内の男は、また同じ言葉を繰り返したが、後半に付け足された一言にふたりは男の方を振り返った。


「体調が? フェリックス殿がそう言ったんですか」

「いやぁ、俺がきいたわけじゃありませんぜ。外套の襟を立てて、襟巻をきつく巻き付けて、部屋に誰も入れるなってウィンバー……宿屋のだんなに言ったそうで」

「か、彼、どんな様子でした? その、熱とか嘔吐とか」


 シャーロットは案内人のもとまで走り寄ってその肩を掴んで問いただした。


「へぇ? いや、俺はウィンバーからきいただけで、なんとも」

「彼を発見したとき、なにか変わったこととか!」


 突然のシャーロットの勢いにおされ、男は目を白黒させた。

 そこへ、同様に戻ってきていたヴィクターが、やんわりとシャーロットの手を男の肩から外しながら問いかける。


「いつ、彼がフェリックス殿だとわかったんですか。来ていても体調不良で町を出歩かなかったうえ、五年ぶりに訪れたとなると、間近に顔を見たところで、彼だとはわからなかったでしょう」

「へ、あ、ああ、そりゃわかりますよ。田舎だもんで、町に来られるってことは宿の予約が入ったときにみんな知ったし。で、公爵家の方ていやぁ、いつもけた違いに上等な外套を着ていますしね。それに、フェリックスの若様は、小さいころから変わらないきれいな御髪(おぐし)でしたし、なんだかんだ、顔見ればなんとなく昔の面影もありましたし。……しかし、体調が悪いってのも、人を遠ざけるための方便のような気がすんですがねぇ」


 ヴィクターによってシャーロットとの距離が確保されると、安堵の表情を見せた男の口は滑らかに動いた。

 しかし、最後のぼやきで、自分を落ち着けようとしていたシャーロットがまた沸騰してしまった。証言者が怯えないようにと、ヴィクターがカンテラを持たない方の腕ですばやく抱え込む。


「ど、どうしてそう思ったのっ?」

「……えっと、そんなはっきり根拠があるわけじゃなくって。ただウィンバーの宿の隣には昔っからの診療所があるんですよ。若様の調子が悪いってんなら、医者は呼びつけられれば訪問診療でも、時間外でも看ただろうに、それを呼ばなかったってんで……毒を飲んだって新聞で見たから、ひとりで心の整理でもしてたんかなぁって町のもんと話してたんです」

「……」

「思えば、ウィンバーの宿は公爵家お気に入りっても、町自体もこんなで小さいもんだし、人が亡くなった部屋ができたら夏の営業に響くだろうから……若様はお優しい方だったもんで、その辺気にしてこんな人の寄り付かないところまで来たんですかねぇ」


 黙り込み、大人しくなったシャーロットを抑え込む手は、支える手に変わっていた。

 そのまま、ヴィクターは男に質問を続ける。


「その時期、彼以外に、町のなかに見慣れない人間はいませんでしたか」

「ええ? どうでしょうねぇ、俺にゃあ心当たりはないですが」

「……例えば、赤毛の男、とか」


 案内人は、困惑顔で首を横に振った。



 ***



 ウィンバーという男が経営する宿に戻ると、ほどなくして夕食の知らせがシャーロットの部屋にもたらされた。


「……さっきも言ったでしょ。いらないわ」


 ドア越しに、従業員だというウィンバーの娘へそう返した。既に一度そう言って追い返していたシャーロットだが、今度は思いもよらない返事が返ってきた。


「またひとりで酒漬けになる気なら、さすがに明日は連れて行けませんが」

「っ?」


 驚きに寝台から起き上がり、裾をからげて出入口へと向かう。開けた扉の前には、おさげ娘の困り顔のほかに、旅の同行者のすました顔があった。


「急に増えた客人のために、急いで食材を調達してくれたそうですから、一口だけでも」

「……あり合わせでもよかったのに」

「無茶言いますね。ステューダー伯向けにつくる料理と同じ卓に並べるのに、そういうわけにもいかないでしょう」


 宿の娘から目を逸らして呟いたシャーロットに、ヴィクターはまた思いもかけない言葉をかけた。

 青い目は再び大きく見開かれ、まさかと言いたげに黒い目を見返す。


「……放っておくと、冗談でなく盛大に飲んだくれるようなので」


 ――その夜、ひと月あまり前にフェリックス・ロザードが泊まった部屋では、一組の男女が夕食を共にする光景があった。




「……そんなに睨まなくても、これくらいで二日酔いにならないわよ……!」


 男は「なんのことですか」ととぼけておきながら、ときおりシャーロットのワインの進み具合を注視していた。二杯目が勝手にぶどうジュースに変えられていたときは、一応シャーロットは我慢した。

 事前に説明されていた紅茶の供が、小さなサバランからココアクッキーに変えられたと知ったとき、シャーロットはとうとう「子ども扱いしないでっ」と喚き「もちろん、酔っぱらい扱いしかしてませんよ」と返されたのだった。


 


 



    

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