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【電子書籍化】この恋は秘密と醜聞で溢れている  作者: あだち
本編

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第十七話 淑女の着替えは男子禁制


 菓子の盛り合わせは、ヴィクターからではなかった。しかし、給仕は“お連れ様から”と確かに言ったのだ。

 それが、稀代のお節介であるはずがない。

 

(あの給仕が、きっと黒幕なんだわっ!)


 ほとんど反射的にそう思ったシャーロットは自分のコンパートメントの前を通りすぎ、食堂車まで走ろうとした。

 そこで、ふとかつての自分の失態を思い出した。


 ことの発端、伯母の屋敷での夜を。


「……っ」


 シャーロットは急停止し、通りすぎていた自分の個室の前まで戻った。


(相手がわたしより強かった場合のことも考えなきゃっ)


 慌てる手先で時間をかけながらも鍵を開け、シャーロットは扉の中に駆け込んだ。

 武器になるものを探しに。


 残念なことに、そのときの女の頭には、単独行動を思いとどまるという考えは微塵も浮かんではいなかった。

 もちろん、鍵穴のまわりの真新しい傷にも気がつかなかった。


「――んむっ!」


 部屋に入った途端、シャーロットは扉の陰に隠れていた人間によって背後から抱え込まれるように口を押さえられた。

 直後、扉の閉まる音と鍵の回る音が立て続けに響く。


「むっ……、むぅぅぅっ?」

「大人しくしろっ」


 苛立った低い声とともに、立て襟に覆われた首筋に固い感覚があたる。

 刃物だと気がつけば、シャーロットは突然の混乱から一転して、自分が危機のただ中にいることを自覚して身を強張らせた。


(だ、誰っ、なんなのっ!)


「大声を出すなよ。こっちの質問に答えろ。……なんで気づいた」 

  

 聞きなれない男の声だった。シャーロットは咄嗟にテーブルの上に置いていた鏡へ目を向けたが、用意周到にも倒されていた。

 口を押さえていた男の手がわずかに浮く。


「……な、なんのこと……」


 シャーロットが震えそうになる声で聞き返すと、男は舌打ちした。


「菓子だ。食べずに、男の方に相談しに行っただろうが」

「……っ! あ、あんなのバレバレよっ。怪しいったらないわ」


 シャーロットはようやく、背後の男が菓子を手配したということに気がついた。すっかり騙されていたことがばれるのが癪で、つい強がりが口をつく。

 やはり、あれはただの菓子ではなかったのだ。


「そっちこそ、なんで……」

「無駄口を叩くなっ」


 聞き返そうとしたが、喉元の刃物が首にいっそう食い込むのを感じ、シャーロットは口をつぐんだ。


「……あの男、事件の関係者か? 誰の差し金だ」


(……やっぱり、こいつ……っ)

 

 事件という言葉で、恐怖に竦んでいたシャーロットの心に、憤りがふつふつと湧き出す。

 

「あ、あんたがフェリックスの従者に毒を盛って、フェリックスを殺したのねっ」

「はぁ? 何の話だ。それよりおまえが質問をするなっ、答えろ! あいつからの指示か?」


(……、“あいつ”?)


 シャーロットはしらばっくれるなと返そうとしたところで、相手の言葉に眉を寄せる。それこそ聞き返したかった。

 ところが、そのとき室内の緊迫した空気を一変させるノック音が響いた。男がすばやく口を塞ぐ。

 

「シャーロット?」


 ヴィクターの声だった。急にコンパートメントから出ていって、自分のそれに閉じこもったことを不審に思ってくれたのか。

 シャーロットの心は一瞬歓喜に沸いた。が。


「……追い返せ。勝手なこと言うなよ」 


 男のナイフがシャーロットの喉元のボタンの合わせを切って肌に直接押しつけられると、さすがに背筋が凍った。

 仕方なく、つっかえそうになる喉を叱咤して声を張る。


「……な、なに? ちょっと……着替えの途中で……」

「は?」

 

 ヴィクターのぞんざいな答えに、侵入者の方が苛立った。扉の外の男の態度が悪いのは自分のせいではないのに、と思いながら、ナイフの切っ先の鋭さと冷たさに文句も言えない。

 シャーロットは観念した。ヴィクターに入ってもらうのを諦めざるを得ないと。


「……びっくりして汗かいちゃったのよ。あとでそっちのコンパートメントにいくから、その、ちょっと待っててくれる?」


 ヴィクターがため息を吐いたのが、扉越しでも伝わってきた。


「……そうですか。では」


 遠ざかる足音をきいて、シャーロットは悔しさに目を閉じる。ここに、自分のすぐ後ろに犯人がいるのに、一人では何もできず、味方は部屋から遠ざかってしまった。


「……いったな」

 

 男が呟く。ひとりで対処しなくてはいけなくなったシャーロットは毅然と答えた。

 相手の問うままに答えても、最終的に口封じされるのは目に見えていた。


「ねぇ、どうせなら取引しましょう」

「なに?」

「あなた、ランドニア公爵家のフェリックスに自分がしたことを、彼に見抜かれたくないんでしょ」


 男は黙って聞いている。「だったら」とシャーロットはどうにか声に動揺が現れないよう懸命に話す。


「婚約者だなんて親が勝手に決めたこと。わたしもあいつがいけ好かないの。あいつが恥をかくなら願ったりかなったりだわ。そうね、あなたに疑いが向かないよう誘導してもいいし、なんなら逃げるための金銭援助もしてあげる。うちはお金には困らないもの」


 男が考えているのか、わずかながら沈黙があった。


「……婚約者がいけ好かないからって、なんだってそんな提案をする。おまえに得なことが」

「嘘だからに決まってんでしょ、バカっ!」


 シャーロットはナイフを持つ手と自分の間に腕を差し込んで、空いた手で男の腹にひじを打ち込んだ。




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