第70話:鍛冶工房
王国騎士ライブスからの依頼を受けてから、一週間が経つ。
オレは他の仕事もしながら、“北からの救世主”の情報を集めていた。
『北からの救世主、だと? そんな奴は見たことはないな』
だがダジル商店のネットワークを使っても、情報は掴めない。
オレも王都で調査をしていくが、なかなか尻尾を掴むことは出来なかったのだ。
思っていた以上に、“北からの救世主”は証拠を消すのが上手いらしい。
このオレにも尻尾を掴ませないとは大した奴だ。
今回の調査は長期戦になりそうな予感がする。
ライブスには定期的に報告をしつつ、気長に丁を勧めていくしかないな。
待っていろ、北からの救世主。
必ずオレが見つけ出してやる。
◇
そんなある日。
別件の用事があったオレは、王都の下級街にやってきた。
下級街の中でも特に薄暗く、騒音が鳴り響く職人街である。
「ねえ、オードル。本当にこんな所に、目的の店があるの?」
「ああ、もうすぐ着くぞ、エリザベス」
一緒にやって来たのは女騎士エリザベス。
平日なので他の皆は、学園や職場にいっている。ニースはダジルと商店で留守番だ。
オレたちは職人街の最深部にある、古びた工房にたどり着く。
「ここだ、エリザベス」
「ここなの? 随分と古びた外観ね?」
エリザベスが驚くように、工房はかなり年季が入っている。
人が住んでいるとは思えないくらいに、所々傾いている箇所もある。
「ここの主は自分の仕事以外は、まったく興味がない奴だからな。さあ、中にいくぞ」
「あっ、待って、オードル」
勝手に工房の扉を開けて、オレたちは中に入っていく。
玄関はかなり薄暗い。
「エリザベス、そこは、穴が空いているはずだ。気を付けろ」
「えっ……? 本当ね。中身までボロいとは……」
外観はボロイが、中の玄関と通路はもっとボロい。
オレたちは木造の床を踏み壊さないように、慎重に進んでいく。
「さて、この先が工房だ」
通路の進んだ先に、分厚い扉があった。
ボロい建物の中で、そこだけが異質に磨かれていた。
「入るぞ」
オレはノックもせずに扉を開けて入っていく。
どうせノックをしても、ここの主は返事をしてこない。勝手知ったる何とやらだ。
「えっ……? 凄いわね……」
工房の中に入って、エリザベスは言葉を失っていた。
彼女が驚くのも無理はない。何しろ工房内は、今までと別世界だったのだ。
「この中は……随分と整理整頓されているのね?」
ここは鍛冶工房だ。
鍛冶仕事に使う道具が、整理整頓さている。
ゴミひとつ落ちてなく、壁も全てキレイに磨かれていた。
「ここだけが別空間みたいね?」
「そうだな。奴にとって聖域なんだろうな」
外観や玄関部分は、廃屋のように汚れている。
だが仕事場だけは神経質なほどに磨かれていた。
10年位まえにオレが最初に来た時も、エリザベスと同じように驚いたものだ。
「さあ、こっちだ」
あまり広くない工房の奥に進んでいく。
ここの主……鍛冶師は奥の場所にいるはずだ。
「やっぱり、ここにいたか」
「……誰だ?」
少し間をおいてから、奥から女の声がする。
留守ではなく、ちゃんと仕事場の奥にちゃんといたのだ。
「ウチは一元の相手には、商売をしていない。帰りな」
相手の顔すらも見ないで追い返す接客。
女ながらに、ぶっきらぼうな職人肌だ。
「ヘパリス、相変わらず元気そうだな。そんな愛想だと、男に逃げられるぞ」
「余計なお世話よ! っ……男に逃げられたことを、何で知っているの⁉」
この女鍛冶師ヘパリは、過去に何度も男に逃げられている。そのことは客の中でも限られた者しか知らない。
驚いたヘパリスは奥から顔を出してくる。美しい顔立ちだが、煤だらけの筋肉質の女。
こう見えて大陸でも有数の腕をもつ鍛冶師だ。
「ようやく顔を上げたか。ヘパリス、相変わらず元気そうだな」
「その声は……それに、その声は……まさかオードルなの⁉」
オレの顔を凝視して、ヘパリスは目を見開いて驚いていた。
まるで幽霊を見たかのような顔をしていた。
「もちろんオレはオードルだ。それ以外に誰がいるんだ?」
「いや、それはそうだが……でも、一年前のあの火事で、アンタは、死んだはずじゃ⁉ まあ、アンタのことは、死神にでも殺せないってことだね」
ヘパリスは苦笑いしながら、表情を緩める。混乱していた記憶が、ようやくまとまったのであろう。
「ところで死にぞこないのオードルが、何の用?」
「預けていた剣の確認しにきた」
オレは愛用していた剣があった。
今から一年ちょっと前に、王都で屋敷を襲撃された時まで。
あの直前に、このヘパリスの工房に調整に出したままだった。
今のマリアたちとの平和な暮らしに、人を殺す愛剣は不必要。
だが少しだけ気になったオレは、愛剣の所在の確認に来たのだ。
「オードル……“アレ”は、ここにはない」
「そうか。どこにある?」
「火事の後に、王国のなんとやら騎士団が詰めかけてきた……」
ヘパリスは申し訳なさそうに説明していく。
オレの愛剣は王国騎士団が徴収していったと。
ヘパリスも抵抗したが、相手は王国騎士団。仕方がなく差し出したという。
「なるほど、そうか」
王国騎士どこかで情報を調べて、この工房を見つけ出したのであろう。
オレの痕跡を徹底的に消すために。執念深いあの国王なら有り得る話だ。
「代用として、この剣はどう? 私の自信作だ」
武器を身につけていないオレを見て、ヘパリスは奥から剣を取り出してきた。
オレにひょいと投げ渡してくる。
ふむ。
刀身に見事な刃紋が浮かんだ片手剣。見ただけで分かる名剣だ。
「これは凄いわね、オードル。公爵領のお抱えの鍛冶師でも、ここまで打てる者はいないわ……」
ヘパリスの自信作に、エリザベスは感嘆の声をあげる。
腕利きの騎士として彼女の腕を、ひと目で見抜いたのだ。
「こんな汚い外観だが、ヘパリスの腕は本物だ。もう少し商売っ気があれば、金持ちになれるんだがな」
「汚い外観とは失礼だわ! 私は気に入った奴にしか、武器は作らない主義なの!」
ヘパリスは変わり者の上に、稀代の頑固者である。
だが鍛冶師としての腕は、大陸でも数本に入る。まだ30歳にして鍛冶師として、天賦の才を極めようとしていた。
だからこそオレも自分の愛剣の調整を、この匠に頼んでいたのだ。
「これ悪くはない剣だな。だが今のオレは傭兵を辞めている。必要はない」
「あの“戦鬼”が、戦いから身を引いている? 時代も変わったもんね」
ヘパリスの好意を丁重に断っておく。
どうせ今のオレは名剣を使う機会はない。せいぜい果物ナイフがあれば十分だ。
「そうだ、変わりにヘパリスに作って欲しい物がる。果物ナイフを一つ作ってくれ」
せっかく顔を出したので、仕事を頼んでおく。
ちょうど新しい果物ナイフが欲しいと思っていたところだった。マリアのために上質なナイフが欲しい。
器用なヘパリスなら最高の果物ナイフを作ってくれよう。
「アンタに娘だって? まったく時代というヤツか……ああ、2週間後に来てちょうだい」
呆れながらもヘパリスは仕事を引き受けてくれた。
偏屈だが細かい事情を気にしないのが、この女の良いところと言えよう。
「そういえば、この剣はどうする?」
「そっちのお嬢ちゃんにくれてやろう。見たところ、かなりの才があるんだろう?」
「そうだな」
ヘパリスの自信作はエリザベスが貰うことになった。彼女の今の剣も、だいぶ傷んできた。ちょうどいいタイミングだな。
「いいの、オードル? でも私は……」
「ヘパリスがお前のことを認めたということだ、貰っておけ、エリザベス」
腕利きの職人であるヘパリスは、エリザベスの身のこなしから察していたのであろう。
もしかしたらオレが受け取らないことを、最初から予測していたのかもしれない。
相変わらず偏屈な女鍛冶師だ。
「じゃあな、ヘパリス。また遊びにくる」
「もう帰るの? 今度来るときは土産の酒でも持ってきてね」
「ああ、そうする」
ヘパリスは女ながらも酒豪。
再会の約束をして、別れの挨拶をする。
「さて、戻るとするか」
「そうね」
エリザベスと工房を後にする。
名剣を手に入れてエリザベスは、足取りが軽い。
オレたちは工房から、職人街を歩いて抜けていく。
(ん?)
しばらく進んだ時だった。
オレは何かの気配を感じる。
隣のエリザベスはまだ気が付いていない。
つまりかなりの隠密の使い手だ。
(これは……)
気配には覚えがあった。
数ヶ月前に相対した相手だ。
「そんな薄暗い所に隠れていいないで、出てこい。風邪を引くぞ」
誰もいない裏路地の向こうに、オレは声をかける。
「えっ⁉」
まさかの事態にエリザベスは剣を抜く。
気がつかない間合いに、相手に接近されたのだ。
「ふふふ……やはりバレてしまいました。さすがですね、オードルさん」
誰もいなかったはずの裏路地から、一人の姿を現す。
「よく言う。わざとオレだけにバレるように、待っていたのだろう? ……ガラハッド」
待ち伏せしていたのは一人の騎士。
大陸でも屈指の腕をもつ剣聖ガラハッドであった。




