第47話:旧友との酒
熱戦の競技大会から日が経つ。
ルーダの街でのオレたちの生活は、平穏な日々に戻っていた。
「じゃあ、パパ。いってきます!」
「今日も気をつけていくんだぞ、マリア」
「うん! パパもお仕事がんばってね!」
いつものように校門前で別れる。マリアは元気に登校していく。その後ろ姿を見送る。
「娘の学生生活か……」
早いもので学園に通い始めてから、10ヶ月以上が経っていた。マリアの制服姿もだいぶ板についている。
「さて、今日も仕事に精を出すか」
オレも仕事に向かう時間。清掃員の仕事も慣れてきていたの、今日も午前中に全て終わらせしまおう。
「おはようオードル」
事務局に向かう途中で、声をかけられる。
「ん? リッチモンドか。おはよう」
声をかけてきたのは旧友リッチモンド。この学園の副学園長だ。
職場が同じ敷地内なので、こうしてたまに顔を合わせる。
「それにしても、キミがうちの学園の清掃員の仕事をしているとは……未だに信じられなよ」
「そうか? 悪くない職場だぞ」
学園に就職したことは、最初はリッチモンドには言ってなかった。
だが同じ職場なので、すぐに気がつかれたのだ。
「まさか戦鬼と呼ばれたキミが、こんな仕事をしているとは。王都の誰も思っていないだろうね」
「そうか? まあ、そうかもしれないな」
一応、オレは王家からの逃亡者ということになる。だがルーダの街でも一度もバレたことはない。
前と風貌を変えていることもあるが、意外な仕事をしていることも要因かもしれない。
もしも傭兵として今も働いていたら、顔見知りにバレてしたであろう。何しろオレの戦い方は独特。エリザベスにもそのことが原因で、バレていたのだ。
「そういえば、オードル。今宵、一杯どうだい? 昔話でもしながら」
リッチモンドが飲みに誘ってきた。この男から誘ってくるとは珍しいな。
「今宵か? ああ、いいぞ」
今日の夜は特に予定はない。家の家事は最近、リリィとマリアが頑張っている。
また警護もエリザベスとフェンがいれば問題ない。万が一、二人の手に負えない事件が起きても、繁華街から家まで飛んで帰ればいい。
「そうか。それなら前によく行っていた店に、集合しよう」
この街に前に住んでいた時は、リッチモンドとよく飲みに行っていた。闘技場で剣闘士をしていた時期である。
「わかった。それでは後ほど」
こうしてオレは久しぶりに、旧友と飲みにいくことになった。
◇
その日の夜になる。
繁華街の小路にある酒場にやってきた。どこにでもあるような小さな酒場である。
「オードル、ここだ!」
店内にはリッチモンドがすでに到着していた。端っこのテーブル席から、オレの名を呼んでくる。
ちなみに大陸では『オードル』という名の男性は、珍しくない。だから店内の客も特に反応していない。さすがに『戦鬼』と大きな声で呼ばれたら、オレも困るが。
「待たせたな、リッチモンド」
「いや、ボクもさっき来たばかりさ」
「そうか。それにしても、この店は変わらないな」
リッチモンドの向かいの席に座る。店内を見回すが、時間が止まったように変わらない雰囲気だった。
常連客の中には、前に見たことがある者もいた。だが向こうはオレに気がつていはいない。以前のオレと風貌がまるで違うので、気が付いていないのであろう。
「いつものエール酒でいいか、オードル?」
「ああ、そうだな。ルーダ産のエールをもらおう」
店員に麦酒のエールを注文する。しばらくして、泡だったエール酒が運ばれてきた。
「では、乾杯しよう、オードル。でも、今宵は何にしようか?」
「競技大会、お疲れ様……に乾杯でいいぞ、リッチモンド」
「そうだったな。乾杯!」
「ああ、乾杯!」
先日の競技大会の実行委員会として、リッチモンドは忙しく働いていた。その老を労い、杯をかわす。とにかく乾杯の名目になれば、オレたちの間は何でもいいのだ。
「料理は適当に頼んでもいいかい?」
「そうだな。オレは家で軽く食べてきた。ツマミだけでいいぞ」
我が家は基本的に朝夕の食事は、全員一緒で食べるようにしていた。
今日も先ほど家で、マリアたちと食べてきた。大食漢でもあるオレは、いくらでも腹に入る。だが酒を飲む時は軽くツマミがあればいい。
「なるほど、了解した。それにしても、あのオードルが家族と夕飯か……なんか、未だに信じられないね」
「そうか? まあ、それも、そうだな」
以前のオレは剣一本で生きてきた傭兵だった。飯を食うのも仕事。強い身体を作るためだった。
傭兵仲間と飯を食うことはあっても、基本的にはいつも一人だった。その方が落ち着くからだ。
「このオードルの変化も、あのマリアちゃんの影響かな?」
「マリアの影響だと? ああ……そうかもしれないな」
リッチモンドに指摘されて気がつく。たしかにマリアと暮らすようになってから、オレの生活は一変したといえる。
誰かのために家事をおこない、時間と空間を作るようにしていたのだ。
「その気持ちは分かるよ、オードル。マリアちゃんは本当にいい子だからね。成績が優秀だけじゃなくて、人として不思議な魅力があるよね」
「父親としてマリアのことに関しては、あまり冷静には分析はできない。だが、そうかもしれないな」
マリアは周りの人を変える力をもっていた。
クラウディアたち三人組を始め、他のクラスメイトもいつの間にか、マリアと仲良くしていた。誰も身分の差を気にすることなく、学園生活を笑顔で満喫しているのだ。
それは闘気術などの特殊能力ではない。マリアの笑顔で頑張る前向きな姿が、周りのクラスメイトに影響を与えているのであろう。
「ちなみに、このままでいけばマリアちゃんは、あと2ヶ月で初等教育の全部の単位を取得できそうだよ」
「なんだと? 全ての教科をか?」
「そうだね。ボクもビックリしているよ。まさか五歳の女の子、ここまで頭がいいとね……」
リッチモンドは大陸の中でも指折りの賢人。その男が驚くのだから、マリアはかなり賢いのであろう。
「2か月後に無事に卒業できると、ボクも保証するよ」
「そうか。それは楽しみだな」
ルーダの学園は一年単位で勉強できる。優秀なマリアは他の子の数倍の速度。五歳にして十一歳までの勉強を進めていたのだ。
(やっぱりマリアは頭がいいな。ルーダに来てよかったな……)
マリアは毎日楽しそうに学園に行っていた。授業にも誰よりも積極的に参加している。
清掃員の仕事をしていたオレは、いつも見守っていたのだ。
(あと二ヶ月で卒業か……その後は、どうするものか?)
当初の予定は、この街には一年だけの滞在の予定だった。
ルーダの学園では初等部までしかない。卒業後は村に戻って、またゆっくりと暮らす予定だった。
(だがマリアの意思はどうなのか?)
マリアは本当に勉強が好きである。もしかしたら卒業後も、更に上の知識を求めるかもしれない。
つまり12歳以上の教育を受けられる中等部の学園に、行きたがるかもしれないのだ。
(それは卒業が近づいてから考えるか……)
とにかくルーダの街での暮らしは順調だった。このままのペースでいけば、二か月後の卒業式までもあっという間になるであろう。
「卒業式か……」
その時である。酒を飲んでいたリッチモンドが、小さくつぶやく。その表情は暗くなっている。
「どうした。悩みごとか?」
リッチモンドがこんな暗い表情をするのは珍しい。もしかしたら酒を誘ってきた理由なのかもしれない。
「まあな……仕事の悩みだ」
「オレで良ければ話してみろ。一応は同じ職場だろ?」
副学園長と清掃係で、立場は大きく違う。だが昔からの友として、話くらいは聞いてやれる。
「そうだったな、オードル。実は学園の方の経営の方が、少しヤバイことになりそうなんだよ……」
「なんだと? 学園の経営だと?」
意外な問題であった。
ルーダ学園は貴族の寄付によって、今まで経営は成り立ってきた。貴族の寄付金はかなり高額。お蔭で多少の身分の問題はあるが、学園の経営自体は良好だと見ている。
それなのに一体どんな問題が起きたのであろうか?
「実は国王から勅命があったんだ。学園に対する課税を増やすと……」
「何だと、国王がだと?」
リッチモンドの口から出てきたのは、意外な人物。
「ああ、このままで今の学生に迷惑をかけてしまうかもしれない……」
「詳しく話をしてみろ」
こうして学園に襲いかかる大きな問題を、オレは聞いていくのであった。




