第9章ー1 第二次世界大戦への道
第9章の始まりです。
「中尉、アラン・ダヴー中尉」
「うん、何かな」
「やはり、中尉と呼ぶ方が、私には落ち着きますな」
「止めてくれ。周囲からの嫉視が怖い」
アラン・ダヴー中尉は、スペイン内戦時代以来の部下であるフリアン軍曹をたしなめた。
ダヴー中尉は、1938年1月に士官学校に復学した後、3か月の特別補習授業を受け、同年4月にフランス陸軍少尉に任官していた。
そして、1年後の現在、陸軍中尉に特進するという処遇を受けている。
だが、ダヴー中尉を、直接、知る人間ほど、その処遇に賛成していた。
何しろ、ダヴー中尉は、スペイン内戦で約1年にわたって実戦経験を積み、スペイン陸軍中尉に任官すると共に、叙勲までされた軍人である。
更に、第一次世界大戦で、フランス陸軍と共闘し、世界的にも知られた名提督の土方勇志提督から、それなりに処遇されたい、という名指しの推薦状を、ダヴー中尉は受け取っているのだ。
そして、実際に、ダヴー中尉に、部隊指揮を行わせてみたところ、臨機応変に的確な判断を、演習でたびたび示される等のことがあっては。
「さすが、サムライ(日本海兵隊員の異名)の息子」
「ダヴー中尉の指揮下に、実戦でも入りたいものだ」
ダヴー中尉を知る下士官、兵からの人気は、極めて高いものがあった。
「あの男は、その名字(ダヴーという名字は、ナポレオン1世の部下の1人のとある元帥の名字でもある)に恥じない軍人だ」
「将来、フランス陸軍の将軍になるだろう」
上司や同僚の評価も高いものがあった。
こうしたことから、ダヴー中尉は、その人となりを、直接、知る人程、高く評価されていたのである。
とはいえ、ダヴー中尉にしてみれば、面映ゆい想いがしてならず、尚更、自己を磨くことに努めた。
そのため、ますます周囲から高評価されるようになっていた。
「ホチキス砲戦車の修理が完了しました。それにしても、歩兵と共に進むのに、砲戦車は悪くはない、と思いはしますが、積極的な戦車の代用にはなりませんな」
フリアン軍曹は、辛辣な批評を下した。
フリアン軍曹も、日系人(実父は、ダヴー中尉と同様に海兵隊員だったらしい。)であり、ダヴー中尉の部下として、スペイン内戦を戦い抜いた軍人である。
そして、車両関係についての知識を豊富に持っている。
そのフリアン軍曹の目からすれば、現在、フランス陸軍が積極的に導入している各種の砲戦車は、不満だらけの代物だった。
「全く旋回砲塔を積んだ通常の戦車を、大量に導入した方がいいですよ。現に、我々は、ソ連製戦車に、スペインで、散々苦しめられたではないですか」
フリアン軍曹は言い募った。
「仕方ない。我がフランス陸軍の戦車開発は、弟子の日本に見劣りするからな。早く新型戦車が量産できるようになってほしいが。1941年になる見込みだ」
ダヴー中尉はたしなめた。
「確かに、それでは、とても間に合いそうにありませんな」
「1人用砲塔に我が国は、拘り過ぎたな。悔いても仕方ないことだが」
「戦車に1人用砲塔では苦労する、3人用砲塔が欲しい、と日本では海兵隊でさえ、理解していたのに」
「それを言うな。父を誇りたいのは分かるがな」
ダヴー中尉とフリアン軍曹は、微笑みながら語り合った。
1937年、歩兵を直接支援すると共に、いざという際、対戦車戦闘もこなせる戦車を、開発せねばならない、日本から、数々の戦訓を伝えられたフランス陸軍は、そう考えたが、様々な技術的要因が、それを阻害していた。
困った挙句、フランス陸軍の目に入ったのが、ドイツが開発を始めた突撃砲だった。
それに、フランス自身、サンシャモン突撃戦車を製造した前歴があった。
こうしたことから、フランスは砲戦車の製造に踏み切った。
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