転章-1
転章です。
土方勇と篠田千恵子の結婚式に関する話になります。
1939年3月のある日、東京にある林忠崇侯爵の別宅を、土方勇志伯爵は訪ねていた。
第74回帝国議会の開会中であることから、貴族院議員の林侯爵は、木更津の本宅ではなく、東京の別宅に身を落ち着けていた。
土方伯爵も貴族院議員である。
スペインへ義勇兵として行く際に、土方伯爵自身は、議員辞職して、スペインに赴くつもりだったが、林侯爵の政治工作により、無給の休職扱いで、貴族院議員として議席が残されていた。
そして、スペインから帰国した土方伯爵は、貴族院議員として活動していた。
この日、土方伯爵が、林侯爵の別宅を訪ねたのは、貴族院議員としてではなく、土方伯爵家の家長としての行動だった。
「今年の8月6日、孫の勇の結婚式を執り行うことにします。何しろ、こんな時勢ですから、急がないと。林侯爵にも、ご出席していただけないでしょうか」
「ほう、結婚式の日取りが決まったか、実にめでたい」
土方伯爵からの結婚式の招待に、林侯爵は無邪気そうに笑った。
「それでですね。新婦の篠田千恵子の代父役を務めていただけませんか」
土方伯爵は、嫌みを込めて、林侯爵に言った。
「縁も所縁もない、わしがしていいのか」
林侯爵は、ニヤニヤ笑って言った。
「篠田千恵子を猶子にしようか、と林侯爵が言ったと、孫の勇が口を滑らせまして」
「あいつめ、口が軽い。祖父を厳重に注意せねばならん」
「あなたの目の前に、その祖父がいますが」
「これは、したり」
林侯爵と、土方伯爵は、半ば毒の入ったやり取りをした。
土方伯爵にしてみれば、千恵子に咎はないとはいえ、千恵子を孫の嫁にすることで、親友の岸三郎提督から、半ば絶交されてしまったのだ。
あれから、約一年が経つが、未だに岸提督の私邸を、土方伯爵は訪ねられていない。
岸提督にしてみれば、今回の一件で、(婚約者のいる男性を略奪婚したという)いわれのない悪名が広まった娘の忠子が不憫なのだろう。
とはいえ、土方伯爵から、忠子の悪名は間違いで、とは言えない。
それを言ったら、千恵子を、勇の嫁に迎える根拠が壊れかねない。
千恵子の母、篠田りつは、正式な婚約者だったのであり、準婚関係から千恵子は産まれたので、華族の嫁に迎えてもいい、と宮内省宗秩寮から、勇の結婚についての許可を得たのだ。
忠子の言い分を認めては、千恵子は勇の結婚相手になれなくなってしまう。
厄介な話だ。
親友を取るか、孫(の嫁)を取るか、の話だ。
幸いなことに、岸提督の孫にして、忠子の息子、岸総司は、異母姉の千恵子の結婚を素直に喜んでいる。
総司を介して、徐々に岸提督や忠子の心を溶かすしかあるまい。
土方伯爵は、そう考えていた。
それに、この事がこじれたのは、この目の前の人物の悪気の無い行動からである。
これくらいのことは、してもらっても悪くは無いだろう。
それに後々のこともある。
「土方伯爵家夫人として、陰口が叩かれても困りますからね。林侯爵家所縁の者、という後押しがあった方が、華族社会で押しがききます」
「ほう、言うではないか。良かろう、千恵子が構わないのなら、務めよう」
林侯爵は、承諾した。
「ところで、千恵子の実父の親族は出ないのか」
「千恵子の父方祖父母は病死しており、父方伯父夫婦とは絶縁しているそうです。他はもっと疎遠な関係ですから、誰も出ないそうです」
「そうか」
林侯爵も、一応は知っていたが、改めて物思いに耽った。
総司や千恵子の父は、元をたどれば、会津藩の中士の生まれと聞いている。
一方、篠田りつは、上士の生まれだった。
結果的に、上士の娘に父無し娘を産ませたということで、千恵子の父方親族は、会津に居づらくなり、離散したと聞いている。
あいつも罪なことをしたものだ。
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