第8章ー9
こういった平和を何とか維持したい、続いてほしい、という動きもあったが、極東情勢は、全般的に悪化していく一方だった。
ソ連と満韓国境では、小競り合いが頻発するようになっており、日米は、ミュンヘン会談の結果に不満を持つ満州国と韓国を宥めるために、1938年10月には、両国の独立を保障した。
(表向き、日米両国の国内向けの説明では、そうなっているが、実際には、来るべきソ連軍の侵攻の際に、積極的に日米が対応するために動いた結果の独立保障だった。)
また、1932年の満州事変によって、事実上建国された蒋介石率いる満州国政府は、共産中国政府の屋台骨をぐらつかせるために、五族共和主義に基づき、チベット、ウイグルの自治国建国を使嗾していた。
更に、満州国政府は、モンゴル人民共和国政府(当時、主に呼ばれていたのは、外蒙古政府)は、ソ連政府の傀儡政権であるとして、その存在を否認すると共に、徳王等のモンゴル民族主義者を煽って、モンゴル民族の自治国建国を使嗾してもいたのである。
こういった満州国政府の動きについて、日米両国政府は、表向きはソ連等と緊張を高めるものである、として口先では制止していたが、裏では満州国政府を、様々な面から支援していた。
そもそも、日露戦争時に行われた、いわゆる明石工作以来、こういった民族、宗教対立を煽って、敵国に動揺を引き起こすというのは、日本が好むところではあった。
また、米国にしても、相手国に先に撃たせる必要上、相手国をいらだたせるのに最適な行動として、このような行動を好みこそすれ、反対する理由は無かったのである。
ただでさえ、ソ連は大粛清が行われた直後であり、共産中国は中国内戦の結果、華中沿岸部を日満連合軍に制圧された後だった。
モンゴル人民共和国にも、ソ連の大粛清の余波が及んでいた。
こういったことから、各国内では疑心暗鬼が募っており、(日米両国政府が支援する)満州国政府の工作はそれなりの効果を挙げた。
ソ連政府は、こういったことからも、満州国への侵攻を、本格的に検討することになる。
何しろ多民族、多宗教国家にしてみれば、こういった国内の民族、宗教主義を煽られ、国内対立が高まることは、何としても避けなければならない事態だった。
実際、第一次世界大戦の結果、オーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊してしまったのは、国内の民族、宗教主義の高まりによるものといっても過言ではなかった。
更に、(この世界で)つい、最近、アンシュルス(独墺併合)、チェコスロバキア解体を導いたのも、ヒトラー率いる独政府が煽った独民族主義によるものだった。
蒋介石率いる満州国政府としては、自らが策するソ連国内の民族、宗教主義を煽る反政府活動により、ソ連国内を疲弊させ、混乱に導くことで、ソ連の自国への侵略を押し止めようとしていた。
それには、韓国政府も積極的に賛成し、ソ連国内の朝鮮民族主義者を煽る行動をしていた。
そのため、ソ連国内の朝鮮民族は、強制移住の悲劇を味わうことになった。
そして、日米両国政府は、表向きは制止しながら、裏では満韓両国政府のこの工作に加担した。
こういった工作、行動は、確かにソ連政府の弱みを突くものではあったが、同時にソ連政府の逆鱗に触れる行動でもあった。
満韓両国政府は、確かに危険な火遊びだとは、認識していたが、ソ連政府の自国への侵攻を招く程、怒らせる行動だと、自国の行動を考えてはいなかった。
一方、日米両国政府にしてみれば、自国の手を汚さずに、ソ連を暴発させるのに最適な行動だった。
各国政府の思惑は異なってはいたが、その思惑によってもたらされる結果は、唯一つ、第二次世界大戦だった。
第8章の終わりです。
次から、転章を2話挟んで、最終章になる第9章に入ります(今回、エピローグを第9章は兼ねます。)。
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