第8章ー4
ミュンヘン会談が正式に始まった。
ミュンヘン会談の表向きの議長国は、米国だったが、表面上はともかく、実際には明らかに英仏日寄りで、中立が求められる議長には相応しくなかった。
そのために、参加した各国首脳が、思い思いに会談の場では、発言するという現実が巻き起こった。
「皮肉なものだ」
伊のムッソリーニ統領は、内心では物思いに半ばふけらざるを得なかった。
自分は、独のヒトラー総統に、半ば寄り添わざるを得ない。
英のチェンバレン首相、仏のダラディエ首相は、日本の米内首相を仲介役として、米のルーズベルト大統領と連携を深めている。
米内首相が、独語をしゃべるのはダメだが、聞くのは堪能と聞かされては、ヒトラー総統は、米内首相の目の前での独語の発言に注意せざるを得ない。
しかも、それが全くの嘘、とは言い切れない。
何しろ、米内首相は、先の世界大戦で3年以上も欧州におり、日本海兵隊の優秀な士官として、独軍と戦い抜いてきたのだ。
その際に、独語を学んでいたので、と聞かされては、本当なのだ、と警戒するのが、当然の話だった。
伊語なら大丈夫、とはムッソリーニ統領自身、口が裂けても言えなかった。
伊と日本海兵隊の因縁は、いろいろと深い。
実は、伊語も聞くのは堪能でして、と米内首相が口を滑らせ、慌てて、周囲の記者に秘密でお願いしますよ、と笑いながら言った、というのを聞かされては、それが本当なのだ、と自分は考えざるを得なかった。
実際、独語と伊語を理解している、と疑わざるを得ない言葉を、米内首相は、自分やヒトラー総統が発言するたびに、すぐに発してくる。
ミュンヘン会談の場で、ソ連のスターリン書記長は、半ばカヤの外に置かれていた。
何しろ、露語を理解する首脳が、他には誰もいないので、スターリン書記長が発言しても、すぐに反応は返ってこない。
一方、米内首相や自分が、英仏独伊語の発言ならば、すぐに介入の発言をするので、反応が激しい。
会談の公式通訳人が、米内首相や自分に黙ってもらえませんか、と言うほどだ。
ムッソリーニ統領は、こういった状況から、自分はヒトラー総統に寄り添うべき、と判断していた。
米内首相がいる以上、米英仏は、日本を仲介役としてまとまるだろう。
自分が入り込む余地はない。
少しでも会談の場で、自国、伊の地位を示そうとするのなら、直接は独と、間接的にはソ連とも手を組むことで、大いに発言するのが無難だった。
だが、そう内心で考えながら、ムッソリーニ統領には、疑念が巻き起こらざるを得なかった。
余りにも米内首相の動きが激しすぎる。
本当は目くらましなのではないか。
「義父上は、色々と大変そうですな」
「お気遣いいただき、痛み入ります」
日本の吉田外相と、ムッソリーニ統領の娘婿、伊のチアノ外相は、秘密裡に懇談していた。
「伊外相としては、間違っても米英仏に敵対するつもりはありません。軍部の大勢も同様です」
チアノ外相は断言していた。
「やれやれ。義子まで、父の意に沿わないとは。統領は大変だ」
吉田外相は、葉巻をくゆらせながら、皮肉を言った。
「逆命利君、という言葉が東洋にはあると聞きましたが。それと同じことです。私は祖国や父の為に動いていますので」
チアノ外相も、皮肉を返した。
「さて、伊は当面、中立を保つ、と伺ってよろしいかな。義父が暴走しても、周囲が押し止める」
「それは、できる限りのことはします。英仏のみならず、日米まで敵に回っては、独ソが味方に付いても、伊に勝算はありませんからな」
「では、米英仏に、そのように伝えましょう」
「よろしくお願いします」
吉田外相とチアノ外相は、そう会話した。
チアノ外相は思った。
伊は中立を保つのが最善だ。
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