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婚約破棄された直後に他の人から婚約を申し込まれた場合はご注意を

作者: 岩上翠

※※婚約破棄された直後に他の人から婚約を申し込まれた場合はご注意を※※


そんなチラシが、私宛ての手紙の中に紛れ込んでいた。


宛先は私、アリアナ・ブラックウッド子爵令嬢。

差出人は帝国騎士団青鷲隊。


青鷲隊は、特に扱いが難しい貴族の子女を対象とした部隊だ。

でもこれはただのチラシで、貴族学園の生徒全員に送っているものだろう。


私はそれを丸めて部屋のくずかごに捨てた。

婚約破棄なんて、きっと私には関係のないことだもの。



 ※ ※ ※



「アリアナ、ごめん。君との婚約は破棄させてほしい」


その日の放課後。

私は貴族学園の中庭に呼び出され。

婚約者のイライジャ・ダーシー子爵令息からそう告げられた。


……え?

これは現実?

どうしてそんなことを言うの?

イライジャは、私がいないとダメなはずなのに。


なぜ、彼の横にいるのが私じゃなくて、最近編入してきたばかりの男爵令嬢なの?


イライジャに寄り添っているのはスカイ・トルループ男爵令嬢。

その潤んだ大きなピンクブラウンの瞳が私に向けられる。


「……ごめんなさい、ブラックウッド子爵令嬢。あたし、そんなつもりじゃなかったんです。でも、貴族学園に慣れないあたしにイライジャはいつも優しくて……」

「スカイ、君は謝らなくていいんだ。これはぼくの問題だから」

「違うわ、二人で乗り越えましょう」


乗り越えるって……私は障害物?

それに、いつの間にイライジャと名前で呼び合うようになったの?

学園に慣れずに私の婚約者と慣れ合っていたというわけ?


信じられない。


私とイライジャは帝都の貴族街で育った幼馴染で、婚約者だ。

向かいのタウンハウスに住んでいるイライジャは昔から優柔不断で泣き虫だった。

だからいつも私が彼の前に立ち、いじめっ子からかばっていた。


それなのに今、イライジャは私に向かい合い、私からトルループ男爵令嬢をかばっている。

まるで私がこの二人をいじめているかのように。


今日は卒業パーティーのちょうど一か月前だ。

イライジャと出る予定だった、貴族学園最後の一大イベント。

今から他のパートナーを探すのは難しいだろう。

だから私が怒ってトルループ男爵令嬢に殴りかかるとでも思っているの?


放課後の中庭には多くの生徒たちがいて、何事かとチラチラ視線を向けられる。


────急にすべてがどうでもよくなった。


「わかったわ、婚約を破棄しましょう。もちろんあなたの有責でね」

「……ああ、もちろんだ。アリアナ、本当にごめん。君を傷つけたくなかったんだけど……」


こんな仕打ちをしたのに、悲しげな顔で言い訳をしようとするイライジャ。

我儘は通したいけれど、悪者にはなりたくないのね。

急速に彼への気持ちが冷めていく。


「もういいわ。お幸せに」


私はドレスの裾を翻して二人に背を向け、足早に立ち去った。




ひとけの少ない植込みの陰まで来ると、崩れるようにベンチに座りこみ、途方に暮れる。

ああは言ったけれど、これから先どうすればいいのかな。


中庭で婚約破棄されたおかげで、居合わせた他の生徒たちにもこのことは知られてしまった。

みんなゴシップが大好きだからすぐに全校に広まるだろう。

私、アリアナ・ブラックウッド子爵令嬢が、幼馴染から婚約破棄されたという噂が。


いくら相手の有責とはいえ、編入したばかりの男爵令嬢に婚約者をかっさらわれたというのは外聞が悪い。

うちはお金はそこそこあるけれど、ただの子爵家で人脈もなく、私は後継者でもない。

私には兄が二人いて、家を継ぐのは長兄だ。

次兄は帝国騎士団に所属していて、忙しすぎて滅多に家には顔を出さない。

両親も兄たちも優しいけれど、新しい婚約者を見つけてくれるなどとは思わない方がいいだろう。

それに、貴族学園も最終学年のこの歳になると、婚約者のいない令息の方が少ない。

「捨てられた令嬢」というみっともない傷のついた私が、今から新しい婚約者を探すのは至難の業だ。


タイルが敷きつめられた地面を見つめ、ぽつりとつぶやく。


「……私、このまま一生ひとりぼっちなのかな……」


世界が全部灰色に見える。

そんな私の視界に、ザッと足音を立て、革靴が映りこんだ。


「?」


顔を上げると、見たことのない男子生徒が私の目の前に立っていた。

制服のピンバッジからして同学年だろう。

サラサラのブロンドに青灰色の瞳の、長身でかなり顔のいい人だ。

彼は私にほほえみかけた。


「ブラックウッド子爵令嬢、突然話しかける非礼を許してほしい」

「あ、はい……」

「俺はバート・スレーター侯爵令息だ。留学から帰国し、先月編入したばかりなので君は知らないだろうが」


スレーター侯爵令息の言う通り、彼のことは知らなかった。

帝国の中心部にあるこの貴族学園は生徒数が多く、編入学する人も多いマンモス校だ。

顔を知らない生徒がいても不思議じゃない。


でも、侯爵令息などという高位貴族が、下っ端貴族の私になんの用だろう?

きょとんとする私の前で、彼はいきなり片膝をついた。


「え、あの……」

「戸惑うのも無理はない。だが、俺は編入したその日から、君に心を奪われてしまった」

「はっ?」


スレーター侯爵令息は、照れたように少しうつむいた。


「君の美しさはもちろん、他者に優しいところや真面目なところ、誠実さにも惹かれ……気がついたら、毎日君のことを目で追うようになっていた……」

「なっ……」


私も赤くなって目をさまよわせる。

こんな甘い言葉をかけられたことなんて、今まで一度もない。

イライジャだって言ってくれなかった。

スレーター侯爵令息は、美しい瞳で私を見上げた。


「失礼だが、先ほどの婚約破棄も見てしまった。君の傷につけこむような真似はしたくないが、うかうかして他の男に取られるのはごめんだ」


彼は決然とした表情を浮かべ、私に手を差し出した。


「アリアナ・ブラックウッド子爵令嬢。どうか、俺と婚約してほしい」

「……………………」


夢の中にでもいるような心地で、私はスレーター侯爵令息を見つめた。

さっきから急展開すぎて理解が追いつかない。

長年の婚約者に捨てられたとたん、こんなに素敵な男性からプロポーズされるなんて。


────でも、このプロポーズを受ければ、私はひとりぼっちじゃなくなる。

それに彼はイライジャよりもずっと身分が高く、美形だ。

出来過ぎているような気もする。

だけど、こんなチャンスはもう二度とないかも────


そのとき、風に乗って、二つ隣のベンチで男子生徒と話している女子生徒の声が聞こえた。


「ごめんなさい、あなたが婚約破棄される場面を見てしまったの。失恋につけこみたくはないのだけど、もう待っているだけなんて嫌なのよ…………私と婚約してくださらない?」


ん?

デジャヴ……?

いいえ、たった今、私がスレーター侯爵令息から聞いたセリフに似ているんだわ。


私は今朝丸めて捨てたチラシを思い出した。




※※婚約破棄された直後に他の人から婚約を申し込まれた場合はご注意を※※




……それって、今よね?


うろ覚えだけれど、チラシには()()()()への注意喚起が書かれていた。

卒業パーティーを控えた今の時期には急増する、とも。


ちらりと二つ隣のベンチを見る。

冴えないメガネの男子生徒と、ブロンドの美しい女子生徒が何やら話し込んでいるようだ。


はたから見たら、私とスレーター侯爵令息も、男女を入れ替えただけで同じような状況だろう。


「ブラックウッド子爵令嬢……いや、アリアナ。どうか返事を聞かせてくれ」


焦れたようにスレーター侯爵令息が私の手を握り、顔を近づける。

間近で見ると彼の肌は荒れて不健康そうだった。

制服もなんだかヨレッとしていて、サイズが合ってない。

背筋に悪寒が走った。


私は彼の手を思いきり振り払った。


「やめてください!」


立ち上がり、呆気にとられるスレーター侯爵令息を見下ろしてはっきりと告げる。


「お断りいたします。それに、許可もなく女性の手に触れ、名前を呼ぶなど失礼ではないですか? 今後はご遠慮くださいますよう」

「は……」


ぽかんとするスレーター侯爵令息を尻目に、私はズンズンと二つ隣のベンチへ歩いた。

冴えない男子生徒が美女に手を握られているその現場へ。


びっくりした顔でこちらを見る二人に、いやその男子生徒に、私は勢いよく言った。


「お取り込み中失礼いたします。その女性のお話は詐欺かと思われますので、ご注意くださいね」


男子生徒のメガネの奥の瞳がぱちぱちと瞬く。

よけいなお世話かもしれないけれど、放っておくわけにはいかないもの。


「ちょっとあなた、何を言って……!」


女子生徒が顔を赤くして私に掴みかかろうとする。

そこへ、スレーター侯爵令息が割り込んだ。


「おい、ずらかるぞ!」

「くっ……!」


なんと二人は仲間だったみたい。

スレーター侯爵令息と女子生徒は、校舎とは反対の方向へ逃げていった。


「……うわぁ、本当に詐欺だったのね……」


今になって恐ろしさに襲われ、足が震えだす。


「大丈夫ですか?」


メガネの男子生徒は立ち上がり、私を心配してくれた。

優しそうなそのまなざしに、心が落ち着いていく。

私はニコッと笑った。

怖がっている場合じゃないわ。


「大丈夫です、ありがとう。それより今から帝国騎士団の詰所へ行って、詐欺に遭いかけたことを通報しようと思います。よかったら一緒に行きませんか?」

「え……」

「あ、無理にとは言いません。こんなこと外聞も悪いですし……でも、傷心につけこんで婚約詐欺をしようだなんて許せなくて……」


言いながら拳をグッと握りしめた。

怒りがふつふつとこみ上げる。


婚約詐欺は、この頃帝都で増えている、裕福な家の子女を狙った詐欺だ。

婚約者に捨てられた心の隙間に忍び込み、言葉巧みに婚約を交わすフリをしてお金を巻き上げたり、家宝を騙し取ったりする。

この手の詐欺は個人情報の収集が肝なので、裏には大きな組織が絡んでいるとも噂されている。


帝国騎士団青鷲隊が威信をかけて撲滅に取り組んでいるようだけれど、犯人たちがまがりなりにも貴族であるケースが多いことが、検挙を難しくしているそうだ。

戦争によって拡大してきたこの帝国には、戦で功をなした貴族がごまんといる。

数が多いと、当然ながら、資金繰りに困る貧乏貴族の数も増えるのだ。


だからといって、傷ついた人を食いものにしていいわけがない。


帝国騎士団には必ず犯人たちを捕まえてほしい。

そのためなら、恥を忍んで、婚約破棄された事実を洗いざらい証言しても構わない。


……まあ、それをこの男子生徒にも強要する気はまったくないけれど。

なんだか気弱そうな人だし、一緒に行くのは無理そうかな。


「ごめんなさい、私一人で行きますね。それじゃ……」

「あ、待って」


呼び止められ、くるりと振り向く。

彼はゆっくりと立ち上がった。

意外と背が高い。

メガネの奥の、澄んだ緑の瞳がほほえむ。


「わざわざ行く必要はないですよ。()()()()()()()()()()()()()

「……え?」


彼は制服のポケットから一枚の紙を取りだし、広げて見せた。

それは、エンブレムの透かしが入った帝国騎士団の内定通知書。


彼の名前はセス・ユークリッジ侯爵令息。

所属は────青鷲隊。


驚く私を見て、ユークリッジ侯爵令息は楽しそうに笑った。


「まさか、おとり捜査中に颯爽と助けが入るとは思いませんでしたが」

「…………おとり捜査!?」


ああもう、今日は色々ありすぎだわ。

今度こそ本当に、理解が追いつかない…………。



 ※ ※ ※



それから私はユークリッジ侯爵令息に馬車回しまで送ってもらった。

後日、改めて事情聴取に来るという。


その言葉通り、彼は二日後の週末に、私の住んでいるタウンハウスを訪れた。

私の次兄、アンドリュー・ブラックウッドとともに。


「ド、ドリュー兄様!?」

「アリー。元気か?」

「ええ……でも、どうして……」


私は目をぱちくりさせた。

ユークリッジ侯爵令息がにこやかに教えてくれる。


「ブラックウッド隊長は前回の配置換えで青鷲隊の隊長になったんです。つまり、俺の上司」

「青鷲隊……」


帝国騎士団でも、特に貴族の子女を対象とした部隊。


それでは今回の婚約詐欺は、ドリュー兄様の管轄だったというわけね。

身内に事情聴取されるなんて変な気分。


とにかく二人を居間に通し、座ってもらう。

帝国騎士団に入って三年目、騎士服がすっかり板についている短髪のドリュー兄様は、相変わらず寡黙だ。

ユークリッジ侯爵令息は私服姿だけれど、先日よりもさっぱりとして垢抜けているように見える。

今日はメガネもかけていなかった。

おとり捜査と言っていたから、あのときはわざと野暮ったい格好をしていたのかしら?

彼も婚約破棄されたということだけれど、それも嘘?

なんにせよ、まだ正式に叙任もされていないのにこき使われるなんて、ちょっと気の毒だ。


メイドがお茶を出して退出すると、ユークリッジ侯爵令息が話しだした。


「さっそく本題なんですが……ブラックウッド子爵令嬢、ご安心ください。先日の詐欺犯は二名とも捕まりました」

「えっ、もう!?」


びっくりして思わず身を乗りだす。

ユークリッジ侯爵令息はにっこり笑った。

その笑顔が可愛くて、心臓がぴょんと跳ねる。


「はい。あの女子生徒に手を握られたとき、ひそかに居場所を探知する魔道具を仕込んでおいたんです。あのあと俺は騎士団の詰所に戻り、青鷲隊と合流して詐欺犯のアジトを急襲しました。証拠物件はすべて押収し、その場にいた八名が拘束されました」

「そんなに手際よく……」


私は呆れてつぶやいた。

完全に美女にたぶらかされそうになっている冴えない男子生徒に見えたけれど、実際はおとり捜査中の有能な騎士内定者だったのね。

勘違いして割って入った自分が恥ずかしい。

私はシュンとして謝った。


「……ごめんなさい。捜査の邪魔をしてしまって……」

「とんでもない! あなたが俺に注意してくださったおかげで、あの二人は動揺してアジトに逃げ戻り、グループごと挙げられたんです。俺だけだったらそんなにうまくいきませんでした」

「本当に?」

「ほ、本当です」


見上げると、なぜかユークリッジ侯爵令息は赤くなって目をそらした。


そのあとはドリュー兄様が説明してくれた。

バート・スレーター侯爵令息と名乗ったあの男は、実際は侯爵家の傍系で、去年のこの時期にも上級生相手に婚約詐欺を働いていたらしい。

そのときは証拠不十分で捕まえられなかったけれど、今回はアジトから私とイライジャの個人情報が見つかったこと、そしてあの中庭での言動から、詐欺未遂で捕まった。

今は余罪を追及しているようだ。


一通り話が終わると、ドリュー兄様は眉根を寄せ、私を見つめた。


「アリー、イライジャとの婚約破棄は、その……残念だったな」

「……もういいの、ドリュー兄様。詐欺のことで忘れちゃったわ。ありがとう」


安心させようとほほえみを浮かべる。

でもドリュー兄様は珍しく、困ったように言葉を探しているようだった。


「いや、実はそのことなんだが……」


そのとき、ノックの音がして、執事が来客を告げた。


「アリアナお嬢様、イライジャ様がお見えです」

「えっ?」


意外な名前に戸惑っていると、当の本人が案内も待たずにドタドタと入ってきた。


「アリアナ、ごめん、許してくれ!」

「イライジャ!?」


元婚約者のイライジャは勝手知ったる様子で居間を横切り、目の前まで来ると、がしっと私の手を握った。

そして異様な目つきでまくしたてた。


「あの女……スカイ・トルループ男爵令嬢は詐欺グループの一味だったんだ! ぼくを騙して君との婚約を破棄させて、それで君に婚約詐欺を仕掛けるつもりだったんだよ!」


なんですって?

ドリュー兄様の方を見ると、小さくうなずかれた。

さっきはこのことを伝えようとしてたのね。

アジトにいたメンバーの中に、スカイ・トルループ男爵令嬢がいたと。

それにしても、手の込んだ詐欺だこと……。

イライジャは泣き出しそうな顔で私にすがりついてくる。


「アリアナ、許してくれるよね?」

「ちょっと、放して……」

「ああ、ぼくはなんて愚かだったんだ! 君はいつもぼくを守ってくれていたのに、その手を放すなんて……お願いだ、アリアナ。もう一度やり直すチャンスを与えてほしい」

「そこまでだ」


怖い顔をしたユークリッジ侯爵令息が、私からイライジャを引き離した。

イライジャは他の人がいることに今気がついたようだった。

ムッとした顔で私を見る。


「アリアナ、この人誰? どうしてぼくたちの邪魔をするんだ?」


まるで子どものような彼の言動にため息が出る。

ずっとそばにいたから、私もこれまでは感覚が麻痺していたのかもしれない。

どうして彼には私がいなきゃダメだなんて思っていたんだろう。

あの手は、とっくに放しておくべきものだったんだ……お互いのために。


「……イライジャ。今さら元に戻ろうなんて無理よ。私たちの婚約は破棄されたわ。あなたと私は、もう関係のない他人なの」

「そんな! ひどいよ、ぼくは君がいないと……」

「いいかげんにしろ!」


ユークリッジ侯爵令息が私をかばうように前に立った。

毅然とイライジャに向かい合う表情は凛々しく、あの冴えない男子生徒の面影はどこにもない。


「すべて自分で選んだ結果だろう。彼女は嫌がっている。これ以上迷惑をかけるな」

「なっ……君には関係ない! そこをどけよ!」


しつこく食い下がるイライジャの前に、ゆらりと長身の影が現れた。

ドリュー兄様だ。

イライジャがさっと青ざめる。

昔から、イライジャはドリュー兄様のことをとても怖がっていたのよね。


ドリュー兄様は血も凍るような低い声で凄んだ。


「……貴様、よくもアリーの前に立てたな」


イライジャは顔をひきつらせた。


「お、お兄様……違うんです、あれは誤解だったんです。ぼくは……」

「黙れ! 私は貴様の兄ではない! 二度と妹に近づくな!!」

「ひぃっ……!」


帝国騎士団で隊長を任されているドリュー兄様の怒号はすさまじかった。

目に涙を浮かべ、イライジャは一目散に逃げ帰った。


ドリュー兄様は振りかえり、苦々しい表情で私に言った。


「あいつがこれ以上この家に近寄らないよう、父上と一緒に相手方に申し入れをしてくる」

「……ありがとうございます、ドリュー兄様。お願いいたします」

「ユークリッジ、あとは頼む」

「はい、隊長」


あとには私とユークリッジ侯爵令息が残った。

ちょっと気まずい。

私はちらりと彼を見上げた。


「……さきほどはありがとうございました。変なことに巻き込んでしまって、すみません……」

「いえ、気にしないでください。隊長がいつも話してる『アリー』のお役に立ててうれしかったですし」

「え?」


彼はふわっと笑った。


「ブラックウッド隊長は無口で厳しい人ですが、たまにかわいい妹の『アリー』の話をしてくれるんですよ。だから俺もあなたのことを以前から知ってました。でもまさか、二つ隣のベンチで婚約詐欺に遭うとは思わず……あのときは自分のおとり捜査よりもあなたが心配で、気が気じゃなかった」

「ええっ……!?」


ドリュー兄様がそんなことを……。

というか、ユークリッジ侯爵令息はあのときから私を知ってて、心配してくれていたの?

そんな人に勢い込んで「それは詐欺ですよ」と注意しに行っただなんて。

恥ずかしくて、ぶわっと顔に熱が集まる。

私を見つめるユークリッジ侯爵令息の目元も、なぜか朱に染まっている。


「ですが、そんな状況にも関わらず、あなたは俺を助けようとしてくれて……隊長の言う通り、困っている人を放っておけない、強くて優しい人なんだと好ましく思いました」

「!」


突然そんなことを言われ、体温が急上昇する。

でも、彼だって目元だけでなく、耳や首まで赤くなっていた。

あのスレーター侯爵令息とは全然違い、こんな状況には慣れていないみたいだ。


「……その……もしよかったら、一か月後の卒業パーティーで、俺にあなたをエスコートさせてくれませんか?」

「え……で、でも、お相手はいないのですか?」

「あの中庭で婚約破棄されました。俺は騎士団の内定をもらうのでずっと忙しかったし、もらったらもらったで入団前研修や実技指導が詰まっていて、『それでは騎士団の方と結婚なさったら?』と愛想を尽かされ……」


帝国騎士団は狭き門で、入るためには学園時代からの準備や実習が欠かせない。

ドリュー兄様も学園時代は浮いた噂一つなく、卒業パーティーも騎士団の招集が入ったとかで欠席したくらいだ。

私はもごもごと呟いた。


「……お気の毒に……」

「いえ、元々しがらみと打算だけで決められた婚約だったので清々しました。俺は侯爵家とは言っても三男で、騎士か司祭になるしか道はなかったのですが、まったく理解してくれず……ですが、そんな事情でおとり捜査に抜擢されて、あなたに会えましたし」


ストレートな言葉をかけられ、じっと見つめられる。

私はどぎまぎしながらユークリッジ侯爵令息を見上げた。


細身だけど鍛えられた体に、今日はきちんと整った黒髪に、誠実そうな緑の瞳。

どこからどう見てもかっこいい。


……だけど、こんなに素敵な未来の騎士様が私を卒業パーティーに誘ってくれる?

そんな都合のいい話、本当にあるかしら?


小さく首をかしげる。

彼は慌てて言った。


「あの、誓ってこれは、詐欺などではありませんから!」


その言葉に、思わず笑ってしまった。




それから私とセス・ユークリッジ侯爵令息は、結婚を前提にお付き合いをすることになった。


一緒に卒業パーティーに出て周囲を驚かせたり。

そのパーティーで、カクテルに違法薬物が混ぜられた現場に偶然居合わせて摘発したり。

セスから正式にプロポーズされたときは、張り込みをしていた騎士団に婚約詐欺と疑われて、捕まりそうになったり。

それから無事にセスと結婚した私に、なんと帝国騎士団から特別諜報員として働かないかという勧誘が来たり。


「はぁ……なんでかわいい奥さんを危険な任務に送り出さなきゃならないんだ……」

「ふふ、私なら大丈夫よ。強くて素敵な騎士さんが守ってくれるから」


諜報員の仕事はやりがいに溢れていてとても楽しい。

心配性のセスには、気苦労をかけてしまっているけれど……。


玄関でため息をつく彼の頬に、ちゅっとキスをする。

すると、セスは私に向き直った。

唇にキスをされ、強く抱きしめられる。

そして、真剣な表情で懇願された。


「頼むから無理はしないでくれよ、アリー」

「わかってるわ、セス。こう見えて私は結構慎重派なのよ?」


見つめ合い、ほほえみ合う。

そして帽子をかぶり、身支度を整え。

仕込みナイフや防犯スプレー、魔道具の発信機や暗視スコープといった装備を確認すると、一緒に玄関を出た。


ねえ、セス。

あなたが私のことを「強くて優しい」と言ってくれたから、私はこれからもそうでありたいと思うの。

……でも、どんなときも、注意深さは忘れないようにするわね。


悪い人に騙されないように。

お読みいただきありがとうございました!

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