二人だけがわかる秘密の合図
りこと暮らしはじめるまで全く気づいていなかったんだけれど、俺は照れると人差し指で鼻をこする癖があるらしい。
数日前、りこがいたずらっぽく笑いながら「湊人くんの癖、見つけちゃった」と言ってきて、初めて知った。
たしかにりこに微笑みかけられた時なんかは特に、照れ隠しで鼻を触っていたような気がする。
りこが「その癖、好きかも……」なんて囁くから、つい反射的に鼻を触ってしまい、俺はますます恥ずかしくなったのだった。
「新山、なーにニヤついてんだよ」
りことのそんなやりとりを思い出してぼんやりしていた俺は、茶化してくる澤の声で現実に引き戻された。
「さてはエロいことでも考えてたな?なになに、共有して楽しもうじゃないか」
「馬鹿言ってんなって。あと声でかい」
真っ昼間の学食でするような話じゃないだろうとたしなめてみても、澤はいつもどおり聞いちゃいない。
やれやれと首を振り、窓際近くの空いていたテーブルに着く。
澤は俺の向かいにトレイを置いた。
俺はりこが作ってくれるようになったお弁当を広げる。
このホールには持参した弁当の持ち込みも許可されているので、俺のように弁当を食べる生徒も少なくない。
そのせいもあって、まだ昼休みになったばかりだというのに、学食内は多くの生徒でごった返していた。
「……それにしても新山の弁当マジで美味そうだな……。しかも毎日めちゃくちゃ手が込んでない?まさかおまえがそんなに料理できたとはなあ」
「はは……」
やたらと感心してる澤に向かって、引きつり笑いを返す。
澤には、弁当を持参した初日に、根掘り葉掘り質問され、仕方なく自分で作ったのだと嘘をついた。
りことの結婚のことは、澤だけでなく誰にも言っていない。
これは一緒に暮らしはじめる前に、りこと話し合って秘密にしようと決めたのだった。
隠してたほうがいいんじゃないかと提案したのは俺のほうからだけど、りこもすぐに同意してくれた。
高校生で結婚をする人なんてそうそういないし、りこは黙ってそこにいるだけでも、注目を浴びるような子だから、知られればきっと大騒ぎになってしまう。
その相手が俺なんてのは、りこに申し訳なさすぎる。
俺も大概自分に自信のない奴だが、そういう感情を脇に置いておいても、目立たない地味な男と学園一の美少女が釣り合うわけがないのだから。
俺たちが契約結婚だと知らない周囲は、りこの趣味の悪さを疑うだろう。
俺のせいでりこの評判が落ちるなんてことは、絶対に避けたかった。
「あー……その鳥の照り焼き絶対美味いやつだろ。なあなあ、俺のおかずと交換してよ」
「だめ」
「ええー!なんでだよ!おまえはいつでも自分で作って食べれるじゃん」
「これは俺の」
「……なんかおかしいな」
「えっ。な、何が」
「新山ってわりとなんでも譲ってくれるじゃん。きっぱり断ることなくない?」
鋭いところを突かれてギクリとなる。
たしかに澤のいうとおり。
普段の俺はそんな感じだ。
人と競うくらいなら、さっさと譲ったほうが気が楽だから。
でも今回は話が違う。
これはりこが作ってくれた弁当だ。
おかずの一つだって恵んでやるわけにはいかない。
全部きっちり自分で食べて、美味しかったと伝えたい。
手間暇かけて作ってくれたりこに対して、失礼なことはできない。
……あと、まあ……何度も言うけど、これは俺のだ。
りこの弁当を、たとえ友人であっても、他の奴には食べさせたくはなかった。
「とにかくだめなもんはだめだから」
腕で囲んで弁当を守るようにすると、澤は文句を言いながらも引き下がった。
しかしまだその目はチラチラと照り焼きを追っているので、警戒を続けたほうがよさそうだ。
ところが突然、澤の視線が逸れた。
興味をひかれて背中越しに入口を振り返ると、数人の女子たちと一緒にりこが学食に入ってくるのが見えた。
うわっ。
俺は慌てて姿勢を戻そうとして、そのせいでテーブルの角に肘を勢いよくぶつけてしまった。
「痛った……っっ」
「おいおい、大丈夫かよ?」
「……なんとか」
肘はまだジンジンしているけれど、ぎこちない愛想笑いを返す。
家の外でりこに会うとやたらと緊張して、つい挙動不審になってしまうのだけれど、毎度これではまずい。
りこを見つけるたび、動揺していたらいつか怪しまれてしまうだろう。
現に今、澤は妙なものを見るような目で俺を眺めている。
俺は白々しい咳払いをして、箸を持ち直した。
俺と違って澤は相変わらず、露骨なぐらいりこの姿を目で追い続けている。
「……あんま見てると気づかれるんじゃない?」
「それが狙いだもん。おまえ覚えてる? 前に校庭見てたとき、俺とりこ姫の目が合った事件!」
「ああ、なんか言ってたな。てか、声のボリューム……! 本人に聞こえるって」
りこたち女子は、俺たちからそう離れていない並びのテーブルへ席を取った。
他の生徒たちのざわめきがあっても、こんなに大声で話していたら聞かれかねない。
澤はカレーの乗ったトレイを脇によけると、周囲を気にしながら身を乗り出してきた。
でも俺の心配を理解したというより、打ち明け話をしている感じを出したかっただけのようだ。
澤の目は完全に面白がっている。
「……実はさ、あれからも時々視線を感じる――ような気がするんだよね」
「気のせいだろ」
「速攻で全否定するのやめてくんない!? いや、気のせいじゃないって。目が合うまではいかないけど、パッて顔上げると、毎回、こっちを向いてるし!」
「だからボリューム……」
「多分、目が合ったら恥ずかしいから、俺の斜め横辺りを見るようにしてるんだって。絶対そう! そんな気しかしない!」
澤がいつもの無根拠なポジティブ思考を熱弁しはじめたので、俺は適当に相槌を打ちながら水筒の中のほうじ茶を飲んだ。
はぁ……あったまる……。
これも朝、りこが用意してくれたものだ。
りこには世話になりっぱなしだ。
彼女が何かをしてくれるたび、心からのお礼を伝えているけれど、到底そんなもんじゃ追いつかない。
正直もうずっとお返しの仕方を考えているけれど、まったくいい案は浮かばないまま、日々は過ぎて行ってしまう。
りこのため、俺にできることが何かあればいいのに。
何をしたら彼女は喜んでくれるのだろう。
俺にはまったくわからなくて、困り果てている。
見当違いなことをしでかしても、迷惑をかけるだけだろうしなー……。
澤にはあんまり見ないほうがいいなんて言ったくせに、ついうっかり横目でりこのいるほうを探ってしまった。
隣の席の女子に話しかけられ、微笑みながら頷いていたりこの瞳が視界に映った俺を捕えた。
俺もりこも驚いて、お互いに「あ」という口になった。
その偶然にまた驚いたとき、りこが人差し指の先で自分の鼻先をそっと触った。
え……。
なんで……?
それはりこが教えてくれた俺の癖だ。
今のも偶然か?
一瞬そう思ったけれど、りこはまだ俺を見たまま、いたずらが成功した子供のように少しだけ笑った。
その笑顔を見てさすがに気づいた。
彼女が誰にも気づかれないように、俺だけがわかるサインを送ってきたことを――。
ゆるんでしまう口元を慌てて掌で覆って隠す。
やばい……。
なんでりこがそんな行動に出たのかはわからない。
それなのに顔がにやけてしまう。
だって、こんなの……、ときめかないわけがないだろ……。
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