ぬいぐるみは遅れてやって来る
――洞穴の奥から聞こえてきた必死の叫び。
『……人魚? まさかさっきのは君が』
今や黄色の怪物と化したストラが低い声でそう呟いた瞬間、フィンは音響部隊を展開したまま、
「うっさい! 『水斧』!!」
鬼神もかくやといった形相で叫び放つと同時に、その両手に巨大な水の斧を発現させ、かつて森の中で蜂の群れに向けて叩きつけた時とは対照的に、ガリガリと苔むした地面を削りながら下から振り上げる様にして、眼前のストラを切り払わんとした。
先程の音の波の正体はこの人魚なのだろう、そう確信はしていても、やはり彼女は邪神の一柱。
舐めきった態度で嘲笑し、ローブが変化した鉤爪で迫り来る水の斧を止めようとしたのだが、
『その程度、で……っ!? ぐ、ぎゃぁああっ!』
彼女の想像を遥かに上回る水の斬撃で、哀れストラは真っ二つに……される事は無かったが、完全に外皮となっていた黄色のローブはミシミシと音を立て、フィンが泳いできたのとは逆の方向に吹き飛ばされた。
当のフィンはその一撃に確かな手応えを感じ、やってやったぜとばかりに満足げな顔をしつつも、
「ふーっ……みこ! 大丈夫!? 怪我は無い!?」
ここに来た主たる目的である、望子の無事を確認しようと振り向いてそう言うと、
『い、いるかさん……! うん、わたしはだいじょ……あぁっ! それよりろーちゃんが!」
自分に大した怪我は無いと伝えようとした望子がハッとして、気が抜けてしまったのか蒼炎と化していた身体を元に戻しつつ、そんな事よりと小さな身体でローアを支えてフィンに叫び放つ。
「ん? どうしたの……ってうわ! 血! 血ぃ吐いてるけど!? ていうか魔族に戻ってるけど!?」
正直、フィンは望子に言われるまでローアの存在を忘れていたのだが、尋常でない彼女の様子を見て流石に驚いたのか心配する様に目の前の魔族に声をかけ、
「何と言えば良いか……筆舌に尽くし難く……ぐっ」
その声に返事をする為少しだけ上体を起こしたローアがそう口にしようとしたが、傷が深いのか再び薄い胸を押さえて苦しみ出す。
「ろーちゃん! しっかりして! ほらこれ、ぽーしょんだよ! くちあけて! あーんして!」
彼女の様子に望子は慌てながらも、この洞穴で倒れていた――正確には嘘寝だったが――ローアに食べさせるつもりでいたフィン手製の蜂蜜水玉を取り出して手に取り、口を開ける様に促すと、
「う、うむ……あー……」
彼女は若干恥ずかしそうに……身体を襲う痛みに耐えていただけかも知れないが、ゆっくりと望子の細い指に唇で触れながらそれを口にした。
(いいなぁ、みこのあーん。 後でやってもらおうかな)
フィンはこんな状況下にあっても、自分の欲望に極めて忠実な考えを脳内で繰り広げており、
「こ、れは……凄まじい、回復速度であるな……だが闇菌蔓延は一種の呪術の様なもの……種を絶滅させた代償は、回復薬や治療術での治癒は期待出来、ぐっ」
その一方でローアの身体は淡い光に包まれ魔術の反動による傷がみるみる治っていき、されど彼女はそう告げると再び苦しみ始める。
「な、なおらないってこと? そんな……っ」
望子がそんなローアに、涙目になりつつもどうしようどうしようと焦燥感に苛まれていた時――。
「ミコ! ローア!」
「無事なのね!? 良かった……!」
『グルルァ!』
フィンが泳いできたのと同じ方向から、ウル、ハピ、そして鷲獅子のエスプロシオが、走ってきたり飛んできたりしつつそう声を上げると、
「……とりさん、おおかみさん……それに、しおちゃんも……うん、だいじょうぶだよ。 ろーちゃんといっしょに、がんばったから……!」
望子はローアを支えながらも、自分たちを助けに来てくれた仲間たちの方を向き、ウルとハピ、そしてエスプロシオにつけた愛称を口にしてそう言った。
エスプロシオが望子たちに謝意を示すかの様にその首をもたげつつ小さく鳴いて、それを見た望子が、だいじょうぶだよと嘴を優しく撫でていると、
「そうか……すまねぇ、遅くなっちまってよ。 フィンがいきなり大声出したかと思えば、二人の居場所が分かった何て言うからついて行ってたんだが、途中で虫だか蝙蝠だかよく分からん奴が襲ってきやがってな」
「そこそこ強いし、何より数が多くて……でも突然その全てが溶け出したのよ。 それ以来出くわさなかったから、スムーズにここまで来られたのだけれど」
ウルとハピが、息ぴったりといった様子で道中の出来事を語っていたのだが――。
「……あら? ローア貴女、人化が……」
「もしかしてあれはお前が何か――」
ローアが人化を解除している事に気がついたウルとハピが、怪訝な表情でそう尋ねようとする。
――その、瞬間だった。
『……よくも、やったな……っ! 邪神である、この僕に……っ! こんな……っ、こんなぁああああ!!』
フィンの魔術の一撃で、外皮として大きく変化していた部分のローブは剥がれ落ち、傍目には満身創痍にしか見えないストラは更に怒りを増した様に叫ぶ。
――彼女の声は既に、元の女声へと戻っていた。
「どうせキミがみこを拐ったんでしょ!? 自業自得だよ……ってあれ? じゃしん……?」
「……邪神!? あれがか!?」
フィンがビシッと指差してそう苦言を呈そうとしたその時、彼女は何処かで聞いた事のあるワードに引っかかり、一方ローアの話をしっかり覚えていたウルはマジかよ!? と臨戦態勢をとる。
「……どうして邪神がこんな山奥に? 魔王とも張り合える程の力があるって聞いてるけれど」
翻ってハピは冷静に、現状を把握しようと少し離れた場所で息を切らすストラにローアから聞いた情報と照らし合わせる様にしてそう尋ねた。
『……リフィユ山には風の女神の加護を強く受けた奴らが多い。 翼人や、そこにいる鷲獅子が良い例さ……そいつらの魂を喰らう事で僕は風の邪神として更に高みへ行けるんだ。 だからこの洞穴に籠って、一匹一匹殺して回ってたんだよ』
『グルォ……!』
するとストラはくくっと嘲笑うかの如く喉を鳴らして語り始め、その内容を理解していたエスプロシオは低い唸り声を出しながら彼女を鋭い視線で睨む。
「……貴女なら、集落そのものを襲う事も出来たんじゃないの? どうしてそんな面倒な事……」
今にも飛びかからんとする鷲獅子を片翼で制しつつ、更なる情報を得る為ハピがそう問いかけると、
『さっき言った筈だよ。 風の女神の加護を受けてるって。 下手に暴れるとあいつに……カルデアに見つかるからね。 悔しいけど今の僕じゃああいつには敵わない、だから君の言う面倒な事をしてでも目立つ訳にはいかなかった……でも、状況は大きく変化した』
「……勇者、か?」
ストラは先程の様子から一転して、苦虫を噛み潰したかの様な表情でそう告げていたが、何故か言い終わる頃には再び笑みを浮かべており、それに心当たりがあったウルは神妙な顔で警戒しつつ尋ねた。
瞬間、彼女は我が意を得たりと晴れやかな笑顔を望子たちに向けてから、
『その通り! 召喚勇者ともなれば、カルデアどころか他の神の加護だって厚く受けてる筈! そんな存在を喰らう事が出来れば! 神も! 魔王も! 邪神でさえも! 全てがこの僕、風の邪神ストラの前に跪く!!』
自らの身体の状態など微塵も気にかけず、己の大いなる野望を両手を広げてそう告げる。
「……そんな事させると思う?」
望子を喰らう……その言葉だけがフィンの脳内に強く刻みつけられ、完全に怒りを通り越した彼女がだらんと下げた両手をバキバキと鳴らして威圧した。
『いい度胸だね人魚! さっきは少し油断しただけ! 今度は君たちがこれを受けてごらんよ! 眷属を失って初めて行使出来る、この風を!』
だが、有翼虫螻たちを失い、人魚に吹き飛ばされ……怒りを通り越していたのは何もフィンだけでは無い。
ストラが一体何をしようとしているのか、それにいち早く気がついたローアは、
「っ!? まずい! 闇……っぐぅっ!?」
防御用の闇魔術、かつて幹部のラスガルドも扱った闇番守己を行使せんと右腕を伸ばしたのだが、その腕に突如黒い蛇の如き紋様が浮かび上がり、彼女の魔術行使を妨害した。
「ろーちゃん!? なにやって……!」
自分の腕の中で未だかつてない程に苦しみ出した彼女を見た望子は、ローアを軽く揺すりながら心配そうに声を荒げる。
(やはり、呪い返しが……! だがあれは……土の邪神が魔王様に行使しようとした力と同じ……! あの時は不発だったが、それは魔王様であったからで……)
最早望子の声さえ届かない程に深い思考の海で溺れていたローアは、身体中を襲う痛みに耐えながら、
「……防御を! あれを受けてはならぬのである!」
前線に立つウルたちに向けて、警告と共に対処せよと叫び放つと、彼女たちは一瞬顔を見合わせ、
「……よく分かんねぇけど、ヤバそうってのは同意だぜ! やるぞお前ら!」
「どのみちみこは守るんだから、同じ事だよ!」
ウルとフィンはいつもと違う焦った様子の彼女の言葉に対し、そう言いつつも炎と水を発現させた。
「エスプロシオ、貴方は二人をお願いね」
『グルルァ!』
ハピが真剣な表情をエスプロシオに見せて、風を纏いつつそう頼むと、彼は大きく嘶いて望子たちを庇う様に前に立ちはだかる。
そんな彼女たちをよそに先程から何かを小さく呟いていたストラの掌には、濃い黄色に所々黒が混じった様な風がグルグルと渦巻いており、
『――さぁ完成だ! 効果の程は……君たちが保証してくれるだろう! 誰も僕に……逆らうな!!』
笑顔の中にも確かな怒りを滲ませながら、腕を振りかぶり洞穴の天井まで届こうかという程に規模を増したその竜巻をウルたちに向け放つ。
彼女たちはそれぞれ身体に刻まれた限界突破の印を青、赤、緑に輝かせ、
「泡沫っ!」
「『炎陣』!」
「『嵐旋』……!」
まずフィンがお馴染みとなった大きなシャボン玉で全員を包み込み、次いでウルがしゃがみ込んで地面に手をつき、自分たちを中心に炎で囲んだかと思うと、ハピは少しだけ飛び上がり触媒を装着した方の脚の爪を前に向け、ウルの炎の勢いを増す為に竜巻を放つ。
……彼女たちは望子を守るという一心の元力を合わせて、奇跡的に三重の属性を有する強固な魔力の壁を作り出す事に成功していたのだった。
――だが。
『あははは! 無駄だよ、無駄無駄!』
「なっ!? 全部突破されて……!?」
何がそんなに可笑しいのか腹を抱えて笑うストラの言葉通り、彼女たちの壁はあっさりと霧散し、ウルが信じられないといった様に声を荒げていると、
『甘いんだよぉ! いくら召喚勇者のお仲間とはいえ、亜人族如きが邪神の風を防ごうなんてねぇ! さぁ発動だ! 『眷属化』!」
「!? な、何よこれ……っ!」
ケラケラと笑いながら彼女がそう叫び放った途端、眼前まで迫っていた竜巻がその形を変え、先程までの全てを吹き飛ばさんとする暴風では無く、粘つく様な触手じみた風となり、彼女たちに襲いかかった。
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