空より飛来せしもの
見かけによらず凶悪らしい栗鼠の魔獣との接触を避け、登山を再開した望子たち。
しばらくの間、何かに出くわすといった事もなく穏便に登山をしていたそんな中。
「そろそろ中腹辺りまで来たかしら」
「……おそらく、ではあるがなぁ。 何せ我輩も魔族ゆえ、人族の領土には疎いのである」
「……研究者なのに?」
畳んだ状態でもなお大きめの翼に引っ付いてしまっていた葉っぱを手で叩いていたハピが、浅く吐いた息と共に隣を歩いていたローアに向けて呟くと、彼女は首を横に振りつつ暗に分からないと伝えた一方、ハピは心底意外そうな表情で首をかしげてしまう。
「研究者だからこそである。 我輩の専門分野は同胞である魔族を含めたありとあらゆる生物と、それらが扱う魔術や技術。 その他に興味は無いのであるよ」
しかし、ローアは人差し指をぴんと立てて自らの好奇心が刺激される対象について語り、一つの例外を除いて、と付け加えると同時に彼女たちの後ろをゆっくりと歩く望子をほんの一瞬だけ振り返って見遣る。
「……望子やフィンがどう思ってるかは知らないけれど、私とウルはまだ貴女を信用してる訳じゃないわ。 少しでもあの子に害が及ぶ様な事をするのなら──」
すると、ハピの双眸から途端に光が失われ、彼女が手を下に向けたままパキパキと音を立てて爪に冷気を纏わせながら威圧したものの、当のローアは何やら楽しげに……いや、愉しげに笑みを浮かべており。
「くははは……ではまずはお主たちからの信用を得ねば。 お主の攻略は難航を極めそうであるなぁ。 まぁウル嬢は……ともかくとしても」
……そこらの魔獣であれば確実に怯むだろう彼女の威圧を心底余裕そうに笑い飛ばし、最後尾を歩くウルを単純で扱いやすいと暗に口にしてみせた。
(なんのはなししてるんだろう──ぅん?)
そんな折、前を行くハピとローア、後ろを歩くウルとフィンに挟まれる様にして歩いていた望子はハピたちの話に聞き耳を立て、されど大して理解は出来ずにそう考えながら、何気なくふと後ろを振り向くと。
「んー……」
ウルがきょろきょろと辺りを見回しながら、自慢の鼻を鳴らしているのが望子の視界に映った。
「……もしかして、まだにおいがきになるの?」
「いや、何つーか……登りゃあ登る程臭いが強くなってるからよ……あー、その……血の臭いが、な?」
彼女が先程も似た様な行動をとっていた事を思い出して、望子がウルの顔を覗き込んで尋ねると、彼女は望子やハピたちを通り越したその先に目を向ける。
「ふむ、それでは一旦ここで野営するであるか? 先程ハピ嬢とも話しておったのだが、おそらく我らがいる地点が中腹辺りであろうし、調子を整える意味でもキリが良さそうだと思うのであるが……如何に?」
すると、二人の会話が聞こえていたらしいローアが振り返りつつ顎に手を当て、自分たちがいる場所が少し開けているという事もあり、そんな提案をした。
「……そう、だな。 ミコ、それでいいか?」
「……うん、いいよ。 みんなごめんね、わたしがあるくのおそいから、あんまりすすめなくて……」
「そんな事ないわ、望子。 寧ろここまで一人で登れたんだもの。 良く頑張ったわ」
ウルは数秒程思案した後、一党の頭目である望子に確認し、話を振られた望子が了承しつつ眉根を寄せて謝意を示すも、一方のハピは偉い偉いと黒髪を梳く様に撫でて、しゅんとしている望子を慰める。
「それじゃあ──フィン? 聞いてるの? さっきから随分静かだけど」
「……いるかさん?」
そんなハピの優しい慰めもあってか望子は無事に立ち直り、それを見たハピが他の三人に向けて、野営の準備をしましょうかと言おうとしたのだが、こういう時真っ先に返事をするフィンが空を見上げて黙っている事に違和感を覚えたハピと望子が声をかけた。
「えっと、ね……さっきからずっと聞こえてた声だか音だかが急に大きくなって……」
「声、音……どの様な?」
望子の心配そうな声にハッと反応したフィンは頭の横の鰭をピコピコと動かしながら、顔を山の奥へと向けたままの状態でそう言い終わると同時に、再度空を見上げて耳を澄ませようとしたのだが、何故か突然ローアがそこへ割り込む様に口を挟んでくる。
「んー……なーんか別の音も混ざってて聞き取りにくくいんだよね……す、すれい、おあ……?」
ふいに問いかけられた彼女は首をかしげ、耳に届く様々な音の中からずっと聞こえていた不気味な声の様なものを識別してそう口にした瞬間。
「……! スレイブ、であるか?」
どうやらローアはフィンが告げた途切れ途切れの言葉に心当たりがあったらしく、少しだけ目を見開き、小さく、しかしハッキリとした口調で声をかけた。
「そうそう、良く分かっ──え? 何で分かったの?」
「……厄介な事になったのである。 生息域は世界中に分布しているとはいえ、出くわしてしまうとは……」
一方、自分にしか聞こえていない筈の音を言い当てみせたローアにフィンがきょとんとした表情とともに問いかけるも、当のローアは懐に手を入れつつ軽く舌を打って、苦々しい表情を浮かべてそう吐き捨てる。
「おい、何の話を──っ!!」
普段の楽観的で刹那的な彼女とは違う余裕の無さをおもわせるローアを不思議に思ったウルが、何を言ってんだと尋ねようとした途端、彼女は何かを察知したのか、前、左、右、最後に空を見上げたかと思うと自分の首元に畳んで装着していた魔道具を口を覆う様にして展開し、臨戦態勢をとり出した。
「ちょ、ウル、どうしたのよ──って、あら? さっきの鳥が、あんなに……?」
そんな彼女に釣られる様に空を見上げたハピは、まるで自分たちを包囲するかの如く空を舞う、地球でいうところの禿鷲に良く似た鳥の群れを視界に映す。
その鳥は、頭の部分を除き赤黒い羽毛に覆われ、元は白かったのだろう鋭利な嘴はすっかり血に染まっており、何より目を引いたのは狂気じみた赤い目と、一見余計にも思える三本目の脚の存在だった。
「な、なに? こわそうなとりさんがいっぱい……」
望子の言葉通り、怖いという表現が良く似合うその鳥は、一羽、また一羽と降下し、ある個体は木々に留まり、ある個体は地面に降り立ち、またある個体は『ここにいる』『逃すな』とでも言う様に未だ彼女たちの上空をぐるぐると旋回している。
「やはり、であるか。 さて、どうしたものか」
「おいローア、こいつら一体──」
一方、その鳥たちを見て何かを確信したのか深く深く息を吐いたローアが思わせぶりな呟きをして、何なんだ? と、ウルが問いかけようとした。
──その、瞬間。
『──隷属か死か!』
『『──隷属か死か!!』』
『『『──隷属か死か!!!』』』
「ひゃあっ!?」
「ぅお! 何だぁ!?」
「ああああ! うるさぁああああい!!」
彼女たちを取り囲む禿鷲の悍ましい大合唱に、望子は怯えてしゃがみこみ、ウルは驚いて目を剥き、フィンはうるさがって頭の横の鰭を押さえている。
そんな中、自分の役目は視る事だと理解していたハピは極めて冷静に鳥たちを観察し、妖しく光る翠緑の瞳で見通したその名を誰に伝えるでもない小声で。
「……すれい、ばるちゃー?」
「……流石であるな。 此奴らの名は『死奴隷鳥』。 一度獲物と見定めた生物に隷属か死か、二つの選択を強いてくる理不尽かつ迷惑極まりない魔獣である」
一方、そんなハピの呟きが聞こえていたローアは、大音量で鳴き続ける鳥たちを苦虫を噛み潰したような表情で見遣りながら……そう吐き捨てた。
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