その存在の名は
リフィユ山を登り始めた望子たちは、長年放置されていたのだろう、でこぼことした山道を通りながら異世界の山の風景を物珍しそうな表情で堪能していた。
「あの時の……何だっけ、何とかって森ほどじゃ無いけど、自然豊かだし空気も悪くないね」
「そうだね──あれ?」
フィンがグーッと背伸びしてから、名前こそ思い出せなかったものの脳裏にサーカ大森林の風景を浮かべていると、隣をてくてくと歩いていた望子は同意する様にこくんと小さく頷いたのだが──。
「……あ! ねぇねぇいるかさん! あそこにりすがにひきいるよ! かわいいなぁ」
「え? どこどこ……あ、ほんと──うん?」
望子が満面の笑顔を浮かべて指差した先には、木の枝にちょこんと立つ小さな二匹の栗鼠の姿があった。
そんな望子の言葉に反応したフィンはそちらを見るやいなや、すぐに栗鼠たちの姿を見つけはした。
……だが、しかし。
「……手と口元がやたら赤いけど、木の実か何かでも食べてたのかな……あ、そうだ。 みこ、触ってみる? ボクが捕まえてきてあげるよ」
「いいの? それじゃあ──」
彼女の言葉通り、栗鼠たちの口や手元……正確には爪から赤い液体を滴らせているその風貌に多少の違和感を覚えたものの、みこの為ならと捕獲を提案すると、望子はパァッと笑顔になって、おねがいしてもいい? と上目遣いでフィンに頼もうとしたのだが。
「……望子、やめておきなさいな」
「フィン、お前もだ」
「いった……何? どうしたの」
いきなり会話に入ってきただけでなく、ハピが優しく抱く様に望子を、ウルが自分の肩にバンッと乱暴に手を置いて止めにきた事に、何してんの? と肩に響いた痛みに耐えつつフィンが首をかしげて尋ねるも、二人は至って真剣な表情でこちらを見つめている。
「──む? ……あぁ、あれに触れるのは我輩としてもおすすめ出来ぬのである」
「どうして? あんなにかわいいのに……」
……その時、ウルとハピに同意する様にローアさえも、愛らしく首をかしげる二匹の栗鼠を遠目に見ながら告げてきた事で、望子は信じられないといった若干哀しげな表情を浮かべて小さく呟いていた。
「だって名前がもう……ねぇ?」
一方、妖しく光る翠緑の瞳で木の上の栗鼠の名を見通していたハピが随分とげんなりした様子でローアを見遣ると、彼女はこくんと首を縦に振って──。
「あれは『頭喰栗鼠』。 その愛らしい外見で自分を餌と認識した、もしくは触れようと近づいた生物の頭蓋を割り脳髄を啜る……極めて凶暴な魔獣である」
「「ひえぇ……」」
頭喰栗鼠と呼ばれているらしい二匹の栗鼠を低い位置から見上げつつ、彼ら、或いは彼女らの生態を解説すると、望子とフィンは栗鼠たちの愛くるしい双眸が途端に恐ろしいものに感じ、小さく声を漏らす。
「あの赤いのも……そういう事だよな?」
「乾き切っていないところを見るに、食事を終えたばかりか、或いはその最中に我々に気づいて覗きに来たか……いずれにせよ、関わらぬのが一番であろうよ」
改めてすんすんと鼻を鳴らし、栗鼠たちの方から鉄の様な臭いを感じていたウルがローアに視線を向けると、彼女は頭喰栗鼠の爪から滴る赤黒い液体を興味深そうに見ながら忠告してみせた。
「そ、そっか……ありがとね、ろーちゃん」
「何、我輩としてもミコ嬢を無用な危険に晒す訳にはいかぬゆえ。 これくらいは当然の事である」
「……ぇへへ。 うん、ありがとう」
望子は顔を青ざめさせながらも、ふいっと栗鼠から視線を外しつつ首を横に振り、不用意な自分に釘を差してくれたローアに力無く笑みを浮かべて謝意を示すと、薄い胸をトンと叩いて自信満々に言った彼女に望子は改めて礼を述べて、小さな手をぎゅっと握る。
「……聞いた? ねぇ聞いたかしら?」
「……うっせぇ、ありゃ冗談だっつったろ」
そんな少女たちを見ていたハピが皮肉めいた笑みを浮かべて、少し前にウルが提案した穴掘りの件を引き合いに出してきた為、当のウルはそんなハピをギロリと睨みながら拗ねた様にボソッと呟いた。
……その後、望子たちは順調に登山を続けていたのだが、ガシガシと頭を掻いたウルが唐突に前を歩く白衣の少女に向けて声をかける。
「──おいローア、そろそろ教えろよ。 魔物や魔獣が活性化してるって話の真意を」
決して上機嫌とは言えない具合の彼女の言葉に、ローアが登山前のやりとりを思い出して声を上げた。
そして、こほんと咳払いをしてみせた後、右の人差し指をぴんと立てて彼女たちに説明し始める。
「まぁ異世界から来たお主たちが知らぬのも無理はないが……まず大前提として、この世界を掌握しようと企んでいるのは……我々だけでは無いのであるよ」
「……呆れた、魔族以外にもそんなのがいるの? 亜人族はともかく、人族はよく生き残ってるわね」
彼女にとっては周知でも、自分たちにとっては衝撃的な事実を口にしたローアに、ハピは肩を竦めながら深く溜息をつきつつも先を促した。
「無論、彼奴らが一度牙を剥けば人族も亜人族もその多くが死滅するであろうし、我々でさえ敗北はせずとも大きな損害を受けるのであろうが……何せ彼奴ら、揃いも揃って慎重派であるからな」
「……成る程、表立ってこの世界をどうこうしようとしてる魔族とは正反対の存在なのね」
「うむ。 我輩も長く生きてはいるが、実際に相対したのはたったの二度なのである。 尤も、それらは封印される前の事ゆえ、千年以上も前の話なのであるが」
そして、ローアがハピと同じ様に肩を竦め、かつて遭遇した存在の強大さや悍ましさ、何より希少さについて語ると、若干ではあるがダウナー気味な彼女の説明を大方理解する事が出来ていたハピは、得心がいったという風に頷きつつも呆れた様に溜息をつく。
「……で? 結局、その彼奴らってのは何なんだ? 魔族でもなきゃ……あー、悪魔か何かか?」
そんな中、理解したのかしていないのか、ウルがローアを横目で見ながら、自分が思いつく敵対勢力として相応しそうな存在の名を挙げて確認する様に彼女へ尋ねると、当のローアは一拍置いてから口を開いた。
「──彼奴らの名は『邪神』。 お主の言う悪魔など可愛く見える程の力を持つ、文字通り邪なる神である」
「「……!?」」
望子と同じ様な、小さく可愛らしい口から出てきたあまりに不釣り合いな存在に、それを受けたウルとハピは目を見開き思わず顔を見合わせる。
……ちなみに望子とフィンは、道中で見つけた普通の狐を撫でながら、ちっちゃいおししょーさまだよ、そーだねぇ、とそんな風に戯れていた。
──彼女たちの間に、天と地かという程の異常な温度差が生まれた貴重な瞬間であった。
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