ぬいぐるみたちの触媒
ここまでが二章です!
「おーし、着いた。 ミコと触媒にご対面っと」
瑠璃への昇級を済ませたウルたち三人はアドライトを連れ立ち、望子の待つ九重の御伽噺へ向かっており、到着するやいなやウルは不躾にも返事が返ってくる前にギィッと扉を開けてしまう。
「あっ、ちょっとウル……もぅ、全く……」
「あはは、彼女らしいね……」
かたやハピには呆れられ、かたやアドライトには苦笑いを向けられていたが、礼節などウルにとって塵芥にも等しいらしく、返事をする事は無かった。
「いらっしゃ……あんたたちか。 触媒は完成し――」
一瞬営業用の顔を見せたリエナは、ウルたちとアドライトを視認した途端、スンッと完全に気の抜けた表情になり触媒の出来について語ろうとしたが、
「それもいいけどみこは?」
彼女の声を遮る様に、フィンが望子の行方を尋ねると、リエナの表情は呆れ返ったそれへと変化し、
「……あぁ、あの子なら奥で……」
「あ、みんな! おかえりなさい!」
店の奥の扉に視線を向けたその瞬間に扉が開き、そこから満面の笑みを浮かべた望子が現れる。
――ちなみに今日は、ピアンのお下がりである至って普通の平服に小さめの緑のローブを羽織っていた。
「ただいま……ってあれ、首にかけてるのって……」
「うん! かんせいしたの! ぇへへ、にあうかな?」
「うんうん! 似合ってる! 可愛いよ!」
その一方で、フィンが首に紐付きの運命之箱を下げた望子に抱きつきながらそんな会話をしていると、望子が開けた扉からもう一人の住人が歩いてくる。
「皆さんお揃いでしたか! お疲れ様です!」
魔具士見習いのピアンが、何故かやたらと快活な様子でお辞儀をしながらそう言ったのだが、
「あぁピアンか、随分調子良いみたいだが……ん?」
「あら……?」
「え、何それ」
そんな彼女を見遣った三人は、図らずも揃って疑問の声を上げてしまっていた。
――それも無理はないだろう。
「あ、これですか? うふふ……実はですね――」
三人の視線の行き先に気づいたピアンは、上機嫌な様子で自分の頭を指差す。
彼女のピンと立った耳の間には……一本の鋭い角が生えており、やたらと勿体ぶった様子でその角の正体とそれが生えた経緯について語ろうとした時――。
「おや、もしかして『有角兎人』に進化したのかい? 何かこう……より一層魅力的になったね、ピアン」
ピアンの言葉を遮って熱っぽい視線を向けるアドライトの言葉通り、ピアンは……進化していた。
――兎人の上位種たる、有角兎人に。
「……何で先に言っちゃうんですかぁ! 私の口から言いたかったのにぃ!」
一方、ほんの少しだけ身長も伸び、スタイルも大人のそれに近寄りかけていたピアンは、アドライトに自分の変化の理由をあっさりバラされてしまった事に憤り、年齢相応に愛らしくプンプンと頬を膨らませる。
――ちなみにピアン、今年で十七歳である。
「有角兎人……?」
「兎人の上位種だね。 そういえばウルたちと一緒に暴食蚯蚓を……その経験が進化に繋がったのかな?」
「い、いやそれは――」
ウルの疑問を込めた呟きに、アドライトは自分なりに彼女が進化したきっかけについて推測しつつそう答え、愛でる様にピアンの頭を撫でていたのだが、どうやら彼女はそれを否定したいらしく――。
「……まぁいいさ。 何はともあれ触媒からだね、ピアン、この子たちの触媒を奥から持ってきな」
しかしそんな折、リエナが深く溜息をついたかと思うと、ピアンにそう声をかけつつ話題の軌道修正を試みた為、今まさに何かを語ろうとしていたピアンも、はぁい! と元気な声で返事して、既に完成済みのウルたち三人に手渡す触媒を扉の奥へ取りに行った。
「お待たせしました! こちらが皆さんの触媒です! まずは……ウルさんからどうぞ!」
その後、おそらく触媒が包まれているのだろう大きな布を抱えて戻ってきたピアンが、机の上にドサッと置いたその布の中から取り出したのは、
「……何だこれ」
地球において、犬の噛み癖を直す為の矯正器具、マズルガードと呼ばれる物に近い触媒だった。
「『大牙封印』だね。 双頭狂犬の牙を加工したんだけど……こう、顔の下半分を覆う様に装着する触媒さ。 それを着けると、あんたは牙に魔力を割けなくなる」
自身の口元に手をやりながらそうレクチャーするリエナの言葉を聞いたウルは、されど首をかしげて、
「ほー……え、何の意味があんだそれ」
理解したのかしてないのか、そもそも牙なんて戦闘で使った事あったか、と曖昧な表情のまま尋ねる。
「いいかい? 今のあんたは、無意識の内に両手足の爪と……他でも無い牙に魔力を回してる。 で、それを着けると牙へ回す筈の魔力は何処へ行くと思う?」
「……爪?」
ウルにとっては割と衝撃的な事実をサラッと口にしつつ問いかけてきたリエナに、彼女の言葉を引用するならそうではないのか、と思う答えを挙げると、
「爪だけじゃない、全身にさ。 そして……あんたお得意の火の魔術も可能な限り強化される」
リエナはそれを訂正する様に首を横に振った後、魔力量を底上げする訳じゃないけど、と付け加えた。
ある程度納得がいった様子のウルは、いてもたってもいられずその触媒を手に取って、
「へー、そんじゃあ早速……ぅおぁっ!?」
「ちょ、何してんの!」
首の後ろに手を回し触媒を装着したその瞬間、彼女が得意としている赤い爪が勝手に展開し、おまけに火まで着いてしまっていた為、それに驚いたフィンが咄嗟に水玉を出現させつつウルにぶつけて鎮火させる。
「ぶぁっ! ……わ、悪ぃな……」
すっかりずぶ濡れになったウルに、ぷかぁとリエナは煙を吐きつつ苦笑いを浮かべてから、
「……制御には慣れが必要だとは思うけど、その分強力な触媒に仕上がった。 大事に使っておくれよ」
「お、おぉ……ありがとな」
暗に壊すなと言い聞かせると、ウルは若干引きつった表情でサムズアップしながら礼を述べていた。
「では次に……ハピさんですね!」
「ふふ、楽しみね……えと、これは……?」
次にピアンがその手に抱えたのは、一見重厚な枷の様にも思える木製の強靭な付け爪であり、
「『羽休止木』、だね。 ピアン、どっちでもいいからハピの脚に着けてやりな」
「はい! 動かないで下さいねー」
「えぇ……あら、特に何も……?」
指示を受けたピアンがテキパキと手際良くハピの膝から先の部分、所謂竜骨突起に当たる部位に触媒をガチッと取り付けたが、特に彼女に変化は見られない。
「……何でもいい、一つ魔術を行使してごらん。 すぐに効果が分かる筈さね」
リエナにそう言われたハピは、何が何だか分からないけど取り敢えずといった風にウルの方を向き、
「……それじゃあ、適当に……ふっ」
「は?」
片手を添えたままウルに冷たい息を吹きかけると、ヒュオッという音と共に、ウルが一瞬で白い竜巻に包まれたかと思うと、それが止んだ頃には――。
「ぉわぁ!? 何だこりゃあ!」
「お、おおかみさん!?」
「あっはは! 雪だるまになってる!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ頭だけを残し、ウルは綺麗に真っ白な雪に身体全体を覆われてしまい、突然の事態に望子は驚き、フィンはゲラゲラと笑っている。
……が、無論ウルは炎を扱える為、一瞬でその雪を溶かしつつ、雪が溶けた後の水分はフィンがヒーヒー笑いながら吸収していたのだった。
一方、苦言を呈してくるウルを無視しつつ脚に装着した触媒を、手の爪でコンコンと突いていたハピは、
「もしかしてこれ……魔力が回復してる……?」
「凄いな。 撃ち放題とはいかないのだろうけど……」
自身の身体にジワジワと巡り始めた魔力の流れを実感し、それまで蚊帳の外だったアドライトもそれを随分と興味深そうに眺めている。
「……あんたに頼んだのは討伐よりも採集で手に入る素材ばかりだったろう? その中に、サーカ大森林に植生する樹木の枝と葉があった筈だよ」
そんなリエナの言葉を反芻する様に、ハピが目を閉じ腕を組んで思案していると、突如ハッと顔を上げ、
「……あったわね。 確か……療養樹だったかしら? その木陰で休むと、多少なり傷も魔力も回復するって……あぁ、これはあの枝と葉を主に?」
ギルドで受けた説明を改めて口にした事で得心がいったハピは、確認する様にリエナに問いかけた。
「そういう事だね。 まぁ回復と言っても劇的なものじゃない。 アドの言う通り撃ち放題とはいかないが、間違い無く継戦能力はこれまでよりも格段に高くなる。 あんたの注文通り、『最後まで戦い抜く為の力』さ。 回復の速度や時間をしっかり見極めるんだよ」
「……えぇ、ありがとうね」
まるで親が子に言い聞かせるかの様な優しい表情と声音で語るリエナの言葉に、これで私も望子の役に立てるかしらとハピは脳内で呟いて微笑みを返す。
そんな中、ウルは彼女たちのやりとりを聞いて、全く別の事が気になってしまっており、
(サーカ大森林に生えてる樹の木陰……もしかしてあの死体がもたれかかってた樹って……)
サーカ大森林で力尽きていたあの男女は、あの樹が療養樹だと分かった上でもたれかかり、休んでいた所を鋭刃蜜蜂に襲われたのでは、と推論を広げていた。
最も、あの樹が本当に療養樹だったかどうかなどウルには分からないし、全てが想像でしか無いのだが。
「それじゃあ最後はフィンさんですね! こちらを!」
「おー! ありがと……ん? これは……?」
最後にとピアンからフィンへ手渡されたそれは、黒く丸っこいパーツがついたカチューシャ……或いは耳当ての様な器具と、同じく黒色で円形の二つの器具。
――完全に、ヘッドマイクとスピーカーだった。
「先に一つ言っておくけど、あんたの触媒作りは本当に大変だったんだ。 何せあんたたち三人の中じゃ……フィン、あんたが一番強いんだろうからね」
「え?」
そんな風に溜息をつくリエナの言葉に真っ先に反応したのは、何故かフィンでは無くアドライトであり、
「ウルが一番では無いのかい? 私はてっきり……」
依頼中にウルの力を目の当たりにした彼女は、ウルこそが一党で最強なのだろうと踏んでいた。
しかし、そんなアドライトの言葉を否定するべくリエナはふるふると首を横に振ってから、
「いや、フィンが頭一つ抜きん出てる。 勿論ウルもハピもそこらの亜人族とは比較するのも馬鹿らしい強さはあるけどねぇ……フィン、それは『音響部隊』だ」
「ゆにっと?」
おー、と心底興味深そうにその触媒を手に取り、ペタペタと触りながら観察しているフィンに名を告げると、彼女は鸚鵡返しで尋ねてくる。
「あんたには、夜にだけ現れる叫声蝙蝠って魔獣の討伐を中心に頼んでいただろう? そいつはあの害獣たちの声帯を加工して作ってる。 全体的に黒いのは奴らの羽だの皮だのを擦り潰して染料にしてるからだね」
リエナは彼女の仕草に苦笑いした後、フィンに討伐を頼んでいた夜に街中に現れる魔獣、叫声蝙蝠と呼ばれる極めて大きな……かつ不快な超音波を発して仲間同士で情報の伝達を行う文字通りの害獣の素材を使っているのだと解説しつつ、おそらく余ったのだろう黒い羽を一枚手に取り、ヒラヒラとさせていた。
「うへぇ……で、これどう使うの?」
夜限定の上、街中である事から魔術の威力も制限される……そんな面倒この上無かった依頼を思い返し、げんなりしていたフィンが再度問いかけると、
「頭にそれを装着して魔力を込めればいいだけさね」
「魔力を……ぅわ! 何これ!」
リエナに言われた通りに耳当ての様な器具を頭に着けて魔力を流すと、ブゥーンという歪な音と共に付属していた二つの円形の器具がふわっと浮かび上がる。
「後ろに浮いてるのも合わせて音響部隊さ。 口元にあるその黒い球体に魔力を乗せた声を放つ事で、後ろの円形部分からその声が増大した状態で拡散する……そうだね、触媒というより……兵器かもしれない」
「兵器……?」
その時、饒舌に解説していたリエナがポツリと呟いたその単語に食いついたフィンに対して、
「あぁ……ハッキリ言って、あんたの真価は水じゃない……音の方だ。 それを扱える事が出来れば……あの物騒な注文通りの結果が得られる筈さ」
「……そ。 ありがとね」
彼女が得意としていた水の魔術は音の魔術に比べれば遥かに劣る、とフィンにとって衝撃的な事実を口にしつつ、彼女から受けていた物騒な注文の内容を望子がいるこの場で言う訳にもいかぬ為か声量を抑えてそう告げると、フィンも同じく小声で礼を述べていた。
「……さて、これで触媒は全員に行き渡ったし……肝心のお代の事なんだけどねぇ」
一段落ついた、と火の着いた煙管を片手にリエナがそう言うと、ウルは触媒から目を離して、
「んだよ、ちゃんと金は払うぜ?」
腰の革袋に手を伸ばしながら、お金の管理をしているハピから手渡されていた財布代わりの麻袋を取り出して、それぐらいの甲斐性はあるぞと口にする。
――最も、その金は王城の金庫から奪った……もとい、一生返さないつもりで借りてきた金なのだが。
「いや、お代は結構さ。 ただ……代わりに一つ、どうしても聞いておきたい事があるんだよ」
そんな彼女が告げた『代わり』にという言葉に三人が首をかしげると、リエナはこくんと頷いて――。
「……うちのピアンが有角兎人に進化したのは……他でも無い、ミコがきっかけだった。あんたたちには、心当たりがあるんじゃないのかい?」
「「「……!」」」
……瞬間、当のリエナから発せられたあまりの気迫に、三人は思わず臨戦態勢を取ってしまったが、何故か彼女たちはほぼ同時に動きを止めてしまう。
(……っ、こいつらは……!)
それもその筈、いつの間にか彼女たちの後ろに出現していた蒼炎で象られるリエナの分身たちに、それぞれ頭、首、胸……といった急所をいつでも炎で貫ける様にと先手を取られてしまっていたからだ。
「……あんたたち三人を敵に回せばあたしの勝ち目は薄いだろうが……負けてやらない事は出来る」
……そう語るリエナの言葉がきっと謙遜なのだろうという事を、ウルは嗅覚で、ハピは視覚で直感的に理解しており、普段はこういった機微に疎いフィンでさえも目を見開き、冷や汗を流している。
「……だ、だいじょうぶだよ、みんな。 ふたりはきっと……ほかのひとにいったりしないよ、ね?」
そんな中、あたふたとしていた望子が、切迫した空気を変えたいのか優しく諭す様にそう言うと、それに応えるが如くリエナとピアンが首を縦に振った為、
「……はぁ、分かったよ。 ミコの好きにしたらいい」
「! うん! ありがとうおおかみさん!」
望子の可愛らしい上目遣いも相まって、ウルが両手を上げて降参の姿勢を取って諦めの感情を口にした事で望子はパァッと笑顔に戻り、彼女に抱きついた。
「私は……外した方がいいかな。 大事な話の様だし」
そんな中、唯一望子との関わりが浅く、今回の件にも関与していないアドライトが遠慮気味に呟くも、
「いや、構わねぇよ。 いいだろ?」
共同受注した依頼を通して彼女の事をある程度理解出来ていたウルは、こいつなら話しても大丈夫だろうし、多少は理解者を増やしておくのも悪くないと判断して、望子に許可を得ようと話を振る。
「うん、いいよ。 えっと……あど、さん?」
愛らしく首をかしげてそう呼んでくれた望子に、普段女性冒険者たちを魅了している筈のアドライトは、
「っ、あぁ! ありがとうミコちゃん!」
一瞬その笑顔に目を奪われてしまっており、久方ぶりに他人に顔を赤らめさせられたと自覚していた。
「……銀だか何だか知らないけど、みこに手ぇ出したらぶっ飛ばすからね」
「はは、冗談……には聞こえないね。 肝に命じよう」
最も、そんな彼女に釘を差すかの様に告げられたフィンの脅しにも似た言葉に、アドライトは苦笑いを浮かべつつ、その赤らんだ表情を戻していたのだが。
――そして、リエナはわざとらしく咳払いする。
「……それじゃあ本題だ。 ミコ……あんたたちは一体何者で……何処から来たんだい? 正直に答えな」
特に笑顔を見せるでも無く尋ねてきたリエナと、固唾を呑んで見守るピアンとアドライトへ向けて、望子はこれまでに無い真剣な表情で深呼吸をして――。
「わたしたちは――」
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