蜘蛛人との別れ
それから、およそ一時間くらいが経過した後──。
「ほんっっっ──……とに信じらんない!! 普通あのまま置いてく!? すっごい怖かったんだけどぉ!!」
自業自得とはいえ望子にさえ気づかれる事もなく置いていかれていたフィンは、どうにかこうにか蜘蛛糸による拘束を破れており、もう味覚狩りも終盤に差し掛かっていた四人に追いつくやいなや、その紺碧の双眸に涙を浮かべて主に亜人族たちに詰め寄っている。
……望子を叱るつもりなど毛頭ないからだ。
尤も、この森に棲まう魔獣や魔蟲が束になったところで、フィンには敵わないだろうという事実を差し引いても、ほぼ陽の射す事のない薄暗く不気味な森に恐怖を抱いてしまうのは仕方ないといえばないのだが。
「いやぁ悪い悪い……完っ全に忘れてたわ……」
「忘れてたの!? 指示したのキミなのに!?」
そんな彼女を宥めながらもウルがハピの存在を忘れていた時とは違って軽い口調で謝罪する一方、当然ではあるがその物言いでは彼女を更に憤慨させるだけ。
「その、フィン、ごめんなさいね……? ミコちゃんの笑顔があまりに可愛くて、ついそっちに意識が……」
「実行犯も!? い、いやまぁ……その理由は分からなくもないけどさぁ! だからって赦されるとでも──」
また、ウェバリエはウェバリエで聞く者が違えば全く以て正当とは思えない理由とともに謝罪したが、それを受けたフィンは『見る目あるね』とばかりに満更でもなさそうな表情を湛え少しだけ機嫌を良くする。
だが、それはそれとして彼女こそが実行犯であるという事実まで変わる事はない為、再び叱りつけんと。
──した、その時。
「……ご、ごめんね、いるかさん……わたし、もりできのみとか、きのことかとったりするのなんてはじめてで、とってもたのしみにしてて……それで……っ」
「あっ……」
ゆっくりとした足取りでフィンの方へ歩いてきた望子が、うるうると涙を浮かべた上目遣いで彼女を見つめつつ、フィンが思っていた以上に自責の念に駆られていたらしく若干の嗚咽混じりで陳謝してきた事に。
「ち、違うんだよみこ! 元はと言えばボクが少しだけ騒いじゃったのがいけないんだもん! みこは悪くないよ! だから泣かないで! ほら、いい子いい子……」
「う、うぅぅ……」
先述した通り望子を叱る意図はなかったフィンは今までにないくらいの焦りを露わにしながらも、その小さな身体を抱きしめつつ濡羽色の長髪を梳く様に撫でる事で、それでもさめざめと泣く望子をあやす一方。
「……『少し』なんだってよ、あれで」
「少しの容量が違うんでしょうね」
少しだけ──という言葉に違和感しか覚えていないウルとウェバリエは、どう見ても『少し』ではなかったフィンの騒ぎようを回想したうえで、きっと許容量からして異なるのだろうと小声で話し合っていたが。
「──ちょっとそこ二人! ボクが聞こえてないとでも思ってんの!? 言うんだったらハッキリ言って!!」
「「……」」
当然、超人的な聴覚を有しているフィンにその囁き合いが聞こえていない訳もなく、ビシッと指差しつつも決して望子から離れる事なく注意してきたものの。
結局、彼女の自業自得だという事実が変わりはしない為、二人は『何の事やら』と視線を逸らしていた。
「……ねぇ。 そもそも、どうして簀巻きにする必要があったの? 騒いだって言ってたけれど何に対して?」
「何にって──……あっ!」
そんな中、唯一何も知らないハピがフィンだけでなく全員に向けて、フィンを簀巻きにした理由を問わんとしたが、それを聞いたフィンの中に浮かんだのは。
「っていうか! キミが寝てなきゃあんな事は──」
「……」
よくよく考えると、ハピが中々目覚めなかったせいで望子が口移しなんてする事になったんだ──という責任転嫁にも似た紛れもない事実であり、また騒ぎ立ててしまうかもと察したウェバリエが指を動かすと。
「──んむっ!? んー!」
今度は、フィンの口だけが糸によって塞がれる。
「……あぁ、こういう下りがさっきもあったのね?」
「「……」」
前回とは違い手が自由だからと細い指で糸を剥がそうとする彼女を見つつ、『どんな騒ぎを』との疑問が嫌でも解消された事でハピが視線を移し、そんな彼女の視線を受けたウルとウェバリエは無言で首肯した。
「ん、んんん──……っ、ぷはぁ! 二回目ともなると慣れてきちゃうよね! 塞がれるのも外すのもさぁ!」
『……』
一方、手で外すには力が足りないと思い直したフィンは、およそ一週間程前に無意識下で習得していた水の分身に外してもらったらしく、そんな彼女の傍には水玉もなしにふわふわと浮かぶ半透明な分身がおり。
分身の右手にあたる部位には微振動する水の刃が顕現され、それを用いて外したのだろうと分かる──。
「あっ、ひんやりしたいるかさんだ!」
『……♪』
翻って、その分身を見た望子は真っ先に飛び込んでいき、ひんやりと柔らかい水枕の様な感触の胸に顔を埋めた事で分身も愛おしそうに抱きしめ返していた。
「……ねぇ、さっきの事は彼女には言わないの?」
「……ん? あ、あぁ、まぁ……」
そんな折、先程の医療行為についてをハピに伝えないのかとウェバリエがウルに問うたところ、どういう感情からか彼女は何やら気まずげに髪を掻いており。
「……覚えてないならそれでいい。 勝手に暴走した挙句、疚しい気持ちがないとはいえミコと──その、キス、とか……! そんな幸せな記憶、絶対に思い出させたりしねぇ。 お前も言うんじゃねぇぞ、ウェバリエ」
「え、えぇ……分かったわ」
当のハピが聞いてこないからというのもあるのだろうが、それ以上に『望子との接吻』などという羨ましいにも程がある思い出を、わざわざ教えてやる理由なんて何処にもない──と、『キス』の部分だけを異様に照れながら告げてきたせいで、ウェバリエは自分まで恥ずかしくなってしまい、もう頷くしかなかった。
「──……さて、と……取り敢えず最大の懸念は取り除けたのよね? 食糧も沢山採れたし、そろそろ森から出ない? 私たちには……ほら、目的もあるんだから」
「「「あー……」」」
その後、歩き通しだった事もあって少し足を休めていた望子たちに、ハピが『目的』だけ不明瞭にしつつ真面目な表情で声をかけた事で三人は顔を見合わせ。
「……そうだな、そうすっか──……ウェバリエ、この森を出た先に街はあるか? ついでに、ミコが安全に過ごせる場所かどうかも分かるとありがてぇんだが」
「ん〜……そう、ねぇ……」
そんな一行を代表したウルが次なる目的地の情報を探るべく、この森の主であるところのウェバリエに問いかけると、ウェバリエは爪を顎に当て思案し始め。
「──……東と西の、どちらに向かうかによるわ。 東に向かえば『サーキラ』の街が、西に向かえば『ドルーカ』の街があるわよ。 どちらも魔族の侵攻なんかは受けていない筈だから平和に過ごせると思うけれど」
「へぇ、そうなのね……ちなみに──」
思案した結果、望子たちが足を踏み入れた方から見て東と西に在る、どちらも人族が治めている筈の街の名と、その二つの街は共通して魔族の侵攻などは受けていないから平和だと思うと簡潔に解説してみせた。
そんな彼女の解説を受けて納得した様に頷きながらも、ハピは何か確認しておきたい事があったらしく。
「──どっちが魔族の本拠地から遠いのかしら?」
どちらの街が、この世界を支配せんと目論む存在の蔓延る地から遠いのか──と自分たちの目的を悟られない為、敢えて魔族を恐れている風を装う質問をし。
「魔族、の……? 本拠地というか魔王の城は別の大陸にあるらしいわよ。 『魔族領』なんて呼ばれてるわ」
「……って事ぁ海を越えなきゃ出くわさねぇのか」
どうして今、魔族の本拠地について尋ねてきたのかが分からず、ウェバリエは怪訝そうな表情を見せていたが、その事についての知識を有しているのに答えないのも不義理だと考えた彼女は、この森を訪れたとある亜人族から聞いた魔族領なる地の存在を明かした。
それを受けたウルは、『それなら本拠地に行くまでは望子は安全なのか』と脳内で独り言つとともに海さえ越えなきゃ大丈夫なんだなと確認を取ったのだが。
「そうでもないわよ。 何せ、ここが襲撃に遭っているのだし警戒しておくに越した事はないと思わない?」
「……そう、だな。 肝に命じとくよ」
こうして魔族領から遠く離れた森に棲まう自分たちが被害に遭っている以上、油断は禁物だとウェバリエが忠告してきた事によって、それも尤もだと納得したウルは改めて望子を護り抜く覚悟を人知れず強める。
「──ねぇねぇ、海に近いのはどっち?」
「あぁ、それなら──ドルーカから山を一つ越えた向こうに港町があった筈よ。 名前は知らないけれどね」
「ほんと!? ねぇ、どるーか? って方にしようよ!」
その後、二人の間に割り込んできたフィンが青い瞳を輝かせて人魚の本能からか水場を──海を求める旨の疑問を投げかけると、ウェバリエはドルーカの近くの山を越えた先にある港町の存在を思い出して、それを聞いたフィンは意気揚々と望子たちに話を振った。
海に行きたい、と顔に書いてあるのが丸分かりだ。
「……お前が海に行きたいだけだろ──って言いてぇとこだが、あたしはいいぜ。 その方が都合良いしな」
「そうね、どのみち──……あぁ何でもないわ、とにかく私もいいわよ。 望子はどう? それでいいの?」
「うん、いいよ。 わたしも、うみいきたいし」
そんなフィンの提案に賛同した二人のうち、やはり自分たちの目的である『魔王討伐』は決して口にせぬままハピが望子にも意見を求め、それを聞いた望子は分身に抱きつき顔だけを二人へ向け賛成の意を示す。
「よし、そんじゃあ行くか。 悪いがウェバリエ、案内してくれねぇか? あたしらだけだと迷いそうだしな」
「えぇ任せて。 ドルーカ方面──……というか西でいいのよね? だったらこっちよ、さぁ行きましょうか」
それを見たウルが『ぱんっ』と手を叩き全員の視線を集めてから、『出口まで案内を頼む』と言わんばかりにウェバリエに声をかけた事で、この森の主たる彼女もそれを充分に理解している為、了承してみせた。
「──……ぁ、えっと、おねえさん」
「うん? どうしたの、ミコちゃん」
そして彼女たちを先導しようと歩き出すウェバリエに、どうやら何か言いたい事があるらしく望子が遠慮がちに声をかけてきた為、ウェバリエは八本の脚を折り曲げてしゃがみ込んで望子に目線を合わせ始める。
すると、そんな彼女に対して望子は──。
「さいごに、だっこしてほしいな、って……だめ?」
「「「「……!」」」」
おねだりでもするかの様に上目遣いで抱っこをせがんだ事で、ウェバリエだけでなくぬいぐるみたちまで驚きつつも望子の愛らしさに目を奪われてしまう中。
「も、勿論いいわよ! もしかして、この森にいる間なんて言ったから遠慮してるの? 大丈夫、離れ離れになっても私はずっとミコちゃんのお姉さんだからね?」
「ほ、ほんと……? ぇへへ、よかったぁ」
ウェバリエは心からに嬉しそうにしながら望子を固く冷たく細長いその両腕で優しく抱きかかえ、『姉宣言』はずっと有効だと語り、それを聞いた望子もまた晴れやかな笑みを浮かべてぎゅっと抱きついていた。
「「「……っ」」」
後ろで、その光景を見ていた三人のぬいぐるみたちが鬼神の如き気配を纏っていたのは──また別の話。
それから望子をウェバリエが抱っこした状態で五人で歩いていくと、どうやら出口なのだろう場所から何となく久しくも思える日の光が射し込んできており。
「──……おっ、あれか?」
「えぇ、お疲れ様」
目の上に手を添えたウルが真紅の瞳を細めて森の主へ話を振ると、ウェバリエは微笑みながら首肯する。
「ミコちゃん、また来てね。 いつまでも待ってるわ」
「うん! ぜったい、またあいにくるよ!」
そして、ウェバリエが望子をそっと地面に下ろしてから、その濡羽色の髪を名残惜しそうに撫でつつ再会を願ったところ、それは望子も同じであり嬉しそうに笑顔を浮かべて高い位置にある彼女を見上げていた。
「随分と懐いちゃったわね……」
「あたしらより仲良さげだしな」
「くそぅ、くそぅ……」
それを見ていたぬいぐるみたちはといえば、ウルやフィンはともかくハピでさえもただ悔しげにしていたのだが、そんな彼女たちに顔を向けたウェバリエは。
「……皆、今回は本当にありがとう。今は無理かもしれないけれど、いつか必ず貴女たちの力になるから」
「……へっ、期待しねぇで待ってるよ」
改めてペコリと頭を下げて三人に謝意を示し、そんな一行の目的が何なのかは聞かされていなくとも関係ないとばかりに、しっかりした決意を込めた赤い眼を向けてきた事で毒気を抜かれたウルは軽口を叩いた。
その後、望子たち四人は銘々ウェバリエに別れを告げ、サーカ大森林を抜けてドルーカの街へと向かう。
そして、そんな一行が見えなくなるまで手を振っていたウェバリエは、ゆっくりと手を下ろしつつ──。
「頑張ってね──『勇者様』」
何一つ確証なんてない、そんな呟きとともに深い深い森の奥へと再び姿を消していったのであった──。
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