目覚めは勇者の口づけで
「──ん、んぅ……くちゅ……っ」
「ぅ、んん……っ」
これだけ騒いでいても一向に目を覚ます様子のないハピに対し、フィン謹製の蜂蜜水を口に含んだ望子が顔を近づけて──そっと口移しをしたという事実に。
「……みっ……ミコぉおお!? 何やってんだぁ!?」
「ぼ、ボクのみこが……ハピに、ハピにぃ……!」
「ミコちゃん……顔に似合わず大胆なのねぇ……」
ある者は突然の事態を理解してしまったがゆえに愕然とした表情で叫んでしまい、ある者は目の前の現実を信じたくないのか地面にガクッと崩れ落ち、またある者は少女の行動力に驚きつつも半ば感心している。
「ぷはっ──……ふぅ、これでだいじょうぶかな?」
その一方、衝撃を受ける三人をよそに口内の蜂蜜水を全て流し込んだ望子は、ハピの白く細い喉が『こくん』と動くのを見て安堵する様にホッと一息ついた。
……心なしか頬が紅潮している様な気もするが。
「……ぉ、おい、ミコ、さっきのは──」
そんな中、漸く落ち着きを取り戻しかけていたウルが、『いつ何処で、そんなやり方を』と自分の知らない望子の一面についてを優しく問い詰めんとするも。
「──みこ! ボクにもちゅーして! ちゅー!」
「え、なんで……?」
彼女の言葉を遮ったのは、ウルと違って全く落ち着きを取り戻す気配のないフィンであり、『ボクもボクも』と詰め寄ってきた彼女に望子はきょとんとする。
何しろ望子にとって先程の口移しは、あくまでも昏睡したままのハピを思っての医療行為なのであって。
決して恋愛的な意味だったり快楽的な意味だったりを持つ事はなく、まして何処からどう見ても健常状態にあるフィンに施してやる必要は全くないのだから。
「何でも何も……! ハピだけズルいし──」
「ちょ、ちょっとおちついて? ね……?」
「……ウェバリエ」
「?」
しかし、どうやらフィンとしても引くつもりはないらしく、もう今にも欲望のままに望子に抱きつき唇を奪いかねない彼女を抑えるべくウルが合図を出すと。
「……あ、あぁ、こういう事?」
「ん!? むぐ〜!?」
「えっ」
一瞬、『何の事やら』と首をかしげていたものの即座にウルの意図を察したウェバリエが爪を動かした瞬間、白く細く頑丈な蜘蛛の糸が瞬時に放出されたかと思えば、あっという間に口元から青い尾鰭の先まで真っ白な蜘蛛糸で覆われた簀巻きの人魚が完成した。
「な、なんで……ぐるぐるまきにしちゃうの……?」
「気にしなくていいぜ。 それより、さっきのは?」
「さっき──……あぁ、さっきの?」
その後、目の前でフィンが簀巻きになってしまったのを見た望子は、『いるかさん、なにかしたの?』とフィンが何かを仕出かしてしまったがゆえのお仕置きなのかと子供ながらに推測するも、ウルは『それはさておき』と先程の望子の行動について問いかけ始め。
その問いに対し、『あれはね』と反応した望子は。
「……ごさい、のときだったかな。 わたしが、おねつだしてげんきがなかったときに、おかあさんがやってくれたんだ。 とりさんもげんきになるかなぁ、って」
「……へ〜……成る程ねぇ……はあぁ……」
およそ三年前、風邪を引いて高い熱まで出してしまっていた時、中々熱が下がらず飲食物の嚥下さえ難しくなっていた望子に対して当時の柚乃がしてくれたのを真似たのだと得意げに語る一方、原因が母親では叱るに叱れず──元より叱るつもりはないが──ウルは深く深く溜息をつく事しか出来ないでいたのだった。
(……何なんだよ、あたしも倒れときゃ良かったってのか……? くそっ、無駄に頑丈な身体が憎い──ん?)
尤も諦めはしたが納得はしておらず、『うがああああ』などと叫びこそせずとも朱の入り混じった髪を掻きながら呻くウルの足下で何かが淡い光を放ち──。
その『何か』であるところの、ハピの身体は先程のウルやウェバリエと同じ光に包まれ、どうにも苦しげに浅い呼吸を繰り返していた彼女の容体は随分と安定し始め、かなり重度だった傷も殆ど治りかけている。
「……ハピか。 ちゃんと飲み込んだみてぇだな──くそっ」
「いつまで拗ねてるのよ……ほら、ハピが起きるわ」
フィン程ではないにしろ充分に悔しがっているウルの肩に、ウェバリエが優しく手を置きながら目覚めを知らせた事で、ウルが未だ横たわる鳥人の方へ目を遣ると、ゆっくりと身体を起こしたハピが眼を開いて。
「……ん、うぅん──……あ、あら? ここは……?」
「とりさん! よかったぁ!」
「わっ!? み、望子……?」
きょろきょろと辺りを見回しつつ状況を理解しようとしていた彼女に対し、すっかり元気になってくれたと踏んで飛び込んできた望子を受け止めたはいいが。
「……あ、貴女どうして此処に──はっ、粘液生物は!? ウル! ウェバリエ! どうなったの……!?」
「……前も同じ反応してたなぁ、お前」
自分が危険極まる粘液生物を討伐中だったという事を思い出し、この場所は危ないと判断して更に周囲を警戒しつつ、ハピの視界に映り込んだ二人の亜人族に現状を聞こうとするも、ウルはウルでセニルニアでの戦いが終わった後と全く以て同じ反応をする彼女に呆れて物も言えないと言った具合に溜息をついていた。
一方、王都セニルニアでの魔族との戦いを知らないウェバリエだけは、『前も同じ』という発言に疑問を抱いて問いかけてみたのだが、『いやいや何でもねぇんだ』とウルが露骨に話題を変えようとした為、『下手に聞かない方が良さそう』と判断して口を閉じる。
こんな冷静な判断が出来るのも彼女の長所である。
「それよりハピ、あれは倒したぜ。 お前のお陰でな」
「え、本当に──って、え? 私の、お陰……?」
その後、ウルがハピの疑問を解消するべく『お前の手柄だ』と説明もなしに告げたものの、どうやら彼女は粘液生物を倒す為にと暴走し始めてからの記憶が曖昧になってしまっている様で、きょとんとしている。
「貴女が行使した氷の魔術で倒せたのよ。 まぁ、その時にウルの炎とぶつかって起きた爆発で粘液生物は消し飛んでしまったから証拠は残ってないのだけれど」
「氷? 爆発……? 私が……?」
そんなハピに対し、ウェバリエが話に割り込みながらも薙ぎ倒された木々や焼け焦げた地面、何より完全に凍りついて氷の彫刻と化してしまった草花などを指しつつ力を自覚させる様に告げたところ、ハピは半信半疑といった具合ではあれど何となく氷を想像する。
すると、ハピが胸の辺りまで掲げていた右手の人差し指の先に思い描いていた通り小さな氷塊が出現するとともに、その氷塊の周りには冷気も渦巻いており。
「ほ、本当に氷が……! これが、私の……!」
「わぁっ、とりさんすごい!」
「そ、そうかしら……?」
ハピが自身の新たな力に感動する一方、望子は彼女が発現させた氷塊をつんつんと指で触って称賛し、それを受けたハピは照れ臭そうな笑みを見せたものの。
「うん、すごいよ! もし、みんながこうやってつよくなってたら、まおうだってすぐにたおせちゃうよ!」
「……ま、そうかもな」
「……ふふ、そうかもね」
心から彼女を褒めていた望子は勇者である自分の役割を幼いなりに自覚したうえで、いつか必ず魔王を倒して元の世界に帰ろう──と改めてウルやハピと目標を確認し合い、そんな望子に対し二人は信頼されているのだと感じて、やはり照れ臭そうに微笑んでいた。
(魔王を、倒す……? 人形に命を与える力の事もそうだし……やっぱりこの子は、あの絵本と同じ──)
そんな中、少しだけ蚊帳の外となっていたウェバリエは、ウェバリエの先代の森の主がサーカ大森林に迷い込んだ旅人から受け取ったという、とある絵本に登場する『主人公』の力と、この愛らしい少女の持つ力が被って見えた事に強い既視感を覚えていたらしい。
とある使命を受けた主人公が仲間たちと力を合わせて、この世界を手に入れようとする巨悪と戦う──。
そんな主人公と仲間たちの冒険を描いた絵本。
今、手元にはないその絵本を持ってきて望子に見せて反応を確かめるかどうか──と考えていたその時。
「──なぁ、あいつは倒せたんだし森の獣だの虫だのが凶暴になるってのは、もう起こんねぇんだよな?」
「ぇ、あ、あぁ……そう、ね」
粘液生物──というか魔素溜まりを対処出来たのだから、もう森に棲まう獣や虫の魔獣化や魔蟲化は終息し、まぁ最悪それが終息せずとも悪の因子の発生源は取り除けたのだし森の平穏は取り戻せるのかとウルが確認してきた為、思案を中断したウェバリエは頷き。
「……もう大丈夫よ。 この森に生きる皆がおかしくなった原因を二人が倒してくれたから、もうすぐ元のサーカ大森林に戻るわ──……本当に、ありがとうね」
幼い望子にも分かりやすい簡潔さを以て既に問題は解決したと説明したうえで、その場で頭を深く下げつつ望子たち一行に感謝の意を示してみせるとともに。
「是非、何かお礼がしたいのだけど──……あぁ、そうだわ。 サーカ大森林には美味しい木の実や茸がたくさんあるのよ。 良かったら好きなだけ採っていって」
「あら、いいの?」
「えぇ勿論──……本当は、もっとこう……貴女たちが望む物を贈れたら良かったんでしょうけどね……」
お礼としては不充分かもしれないけれど──告げて森の主公認で木の実や茸の採集をしても良いと口にした彼女に、ハピは嬉しそうに確認を取るも当のウェバリエは表情を暗くしつつ、こちらの都合でお礼の内容を決めてしまった事を申し訳なく思っていた様だが。
「わたしは、すっごくうれしいよ! わたし、すききらいないもん! くだものも、きのこもすきだから!」
「……ふふ、そっか。 偉いわね、ミコちゃん」
「ぇへへ……ありがとう──」
母の教育の賜物か、およそ八歳児としては珍しく好き嫌いのない望子は果物も茸も好物であり、それゆえに本音で味覚狩りを嬉しく思っているらしく、にこっと笑いかけてみせた事でウェバリエの表情にも明るさが戻り、その冷たい手で髪を撫でられた望子は──。
──お礼を述べた後、すぅっと息を吸ってから。
「──『くものおねえさん』!」
「……おねえさん?」
……『とかげさん』にも似た、そんな名を呼んだ。
「……ふふ、お姉さんかぁ。 それじゃあ、ここにいる間はミコちゃんのお姉さんになってあげようかしら」
「ほんと? わーい!」
それを受けたウェバリエは名前を正確に呼ばれなかった事よりも、『お姉さん』と呼んでもらえた事が嬉しかったのか笑みを浮かべつつ、ぎゅっと望子を抱きしめてからの『姉宣言』をしてみせた事により──。
一人っ子だった望子は彼女と同じかそれ以上に喜びを露わにしながら、ウェバリエに優しく抱きかかえられた状態で森の奥へと進んでいった──その一方で。
「──……ウル? 置いていかれるわよ」
「……ん? あぁ……」
「もしかして、『望子が盗られる』とか思ってる?」
二人の後をついていこうとしていたハピが振り返ると、どういう理由からか鋭い犬歯が剥き出しになっている事も構わず、その形の良い唇に指を当てて何かを黙考するウルの姿がそこにあり、まさか独占欲からウェバリエを睨みつけていたのかと問いかけてみるも。
「……あぁ、それもあるな──……いや、そっちの方が大事かもしれねぇが、そうじゃなくてだなぁ……」
「……?」
当のウルから何一つ情報のない、ふわっとした返答しか出てこなかった事に違和感を覚えたハピが首をかしげていると、まるでこれから戦いに臨みでもするのかという様な極めて真剣な表情を湛えたウルは──。
「──あいつは、ぬいぐるみにならねぇんだなって」
「……あぁ、そう言われれば……そうね」
望子が持っているらしい人形使いとやらの力を以てぬいぐるみになっただけでなく、その種族さえ変わってしまった龍人を脳裏に浮かべつつ、ウェバリエがぬいぐるみにならなかった事についてを話題に上げた。
「……さっきの望子とウェバリエのやりとり、レプの時にもあったわよね。 あの時と何が違うのかしら?」
「……ん〜……」
それを受けたハピは、つい先程の望子とウェバリエの会話と似た様なやりとりが、レプターとの間にも交わされていた筈であり、その時は望子がレプターを愛称で呼んだ事でぬいぐるみになっていたと回想する。
「……あたしは、『ミコと仲良くなって、ミコが愛称で呼んだ亜人族』がぬいぐるみになるもんだと……」
また、ウルは自分なりに望子の人形使いによる『ぬいぐるみにする力』の発動条件を推測していた様だったが、その推測が今回の一件で外れてしまったが為に一体どういう事なのか黙考してしまっていたとの事。
しばらく頭を悩ませていた二人だったが──。
「──……まぁ、この事は後で考えましょう? これ以上は本当に置いていかれちゃうしね? ほら、あっち」
「おーい、みんなー! はやくー!」
それから、ウルの頬を可変式の爪を収めた両手で挟んだハピが、グルンと顔を向けさせてから望子たちの方を見る様に促すと、ウェバリエに抱きかかえられたままの望子が手を振っているのが視界に映っていた。
瞬間、ウルの表情に漸く笑みらしい笑みが戻り。
「──……そうだな。 よし、行くか」
「ふふ、そうね。 行きましょう」
噛み締める様に呟いて歩き出したウルを見て、『この娘も大概よね』なんて考えつつ二人して望子とウェバリエの後を足早に追いかけていったのだった──。
「──……んー! んぅー!?」
……真っ白な、ぐるぐる巻きの蓑虫を置いて。
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