小屋の中には
王都サニルニアを出立した後、早くて一日──遅くとも二日歩けば辿り着く程の近場に位置する、広葉樹を中心に生い茂る木々の緑が鮮やかなサーカ大森林。
ウルとフィン、そしてぬいぐるみ状態のハピを抱えた望子の三人は、そんな鬱蒼とした森林の中で──。
「「「──うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」」」
……追われていた。
それはもう、とんでもなく追いかけられていた。
きっかけは、ウルのとある一言だったか──。
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森の中をてくてくと歩きながら、もしくはふわふわと低空浮遊しながら、そして何より仲睦まじげに手を繋ぎながら『空気が美味しいねぇ』『そうだね』と平穏極まりない会話をするフィンと望子に対し、ウルは鼻が利くという事もあって少しだけ前を歩いており。
「……お前ら、もうちょっと緊張感ってもんを──」
たった今この瞬間にも何が飛び出してくるか分からない大森林の中で、あまりにも呑気に話す二人の方を振り返ってから、あくまでも望子には優しく、されどフィンには厳しめに苦言を呈そうとしたのだが──。
「──……ん?」
そんな彼女の嗅覚に『何かの匂い』が引っかかる。
草木の匂いでも、土の匂いでも、獣の匂いでも、虫の匂いでも、ましてや魔族の匂いでもない──何か。
「? どうしたの、おおかみさん」
「ん? いや、何つーか──」
翻って、ウルの言葉が途中で止まった事に違和感を覚えた望子が、こてんと首をかしげながら問いかけてきたはいいものの、ウルとしてもハッキリとした答えは用意出来ていないらしく納得するまで鼻を鳴らす。
「……何かこう──……甘い匂いがすんだよな」
「「あまい?」」
そして得心がいったのか、ウルが口にする『何処からか漂う甘い匂い』とやらを聞いても要領を得ない二人の声が重なり、『えへへ』と顔を見合わせる中で。
「……とにかく、もうちょい進んだ先から凄ぇ良い感じの甘ったるい匂いがすんだよ──行ってみようぜ」
「あっ、まってよおおかみさん」
そんな二人のやりとりに少しばかりイラッとしたウルは──無論、望子にイラッとはしていない──先を急ぐぞと言わんばかりに踵を返して歩を進めんとし。
「すーぐ機嫌損ねて──反抗期? それとも思春期?」
「……意味分かって使ってんのか?」
「ん〜……微妙」
「何だそりゃ」
望子の制止さえ聞かずにズカズカと森の奥へと歩き始めたウルへ、もしや人間でいう反抗期や思春期に差し掛かっているのではと冗談めいた口調で煽るフィンに、その言葉は分かってて言ってるのかと問うたところ、フィンから返ってきたのは『さぁ?』という反応のみであり、もうウルは呆れ返るしかなかった──。
……その後も三人は、サーカ大森林をひた歩く。
道中、魔獣ではない普通の鹿の親子で和んだり。
魔蟲ではない普通の蝶の舞いに見惚れたり。
巨大かつ鋭利な牙を生やし、どういう仕組みか電撃を纏う猪の魔獣が襲ってくるも返り討ちにしたりと。
まぁ、そんな風に色々ありはしたのだが──。
その色々とやらの中でも特に三人の──いや、正確に言うならウルとフィンの二人の目を惹いたのは、まず間違いなく『あれ』であった筈だと言えるだろう。
その『あれ』とやらを見つけたのは──というより視界に入ってしまったのは、セニルニア方面から森に入った望子たちから見て少し西の方角に逸れた辺り。
「──うわっ、え? 何あれ……」
瞬間、手を繋いでいた望子を自分の背中側に回したフィンは、『あれ』が望子の視界に入っていない事を確認してから、その紺碧の瞳を細めてまじまじ見る。
「そりゃまぁ……なぁ? さっきの猪みたいな奴らがいるんだから、『ああいう』のもあるんだろうが……」
「えっ、なに? どうしたの──」
一方で、ある程度は『あれ』の様なものの存在を予測出来ていたウルは大して驚いておらず、されど彼女の超嗅覚をつんと刺激する臭いに顔を顰めてしまう中にあり、そんな二人の様子が気になった望子がフィンの背中側から『あれ』を覗き込もうと試みるも──。
「おっとっと、みこはあっち向いててねー?」
「えっ、えぇ……?」
ほんの一週間程前、『あれ』を量産してしまった自分が言えた義理ではないが、それでも『あれ』が教育上よろしくないというのはフィンでも理解しており。
是が非でも『あれ』を見せない様にするフィンのせいで、そこまで見せたくない『あれ』への興味が逆に湧いてしまっている望子だったが──いずれにせよ。
……さて、『あれ』とは何ぞやという疑問には。
男女一組の人族の遺体──と答えるべきだろう。
……それだけ?
と──この世界の人族や亜人族なら思う筈。
何しろ村や街から出て、それらを繋ぐ街道なんかを離れればそこには魔獣や魔蟲がいたりして、その者に身を護る手段がないのならそれで遺体の出来上がり。
これといって珍しいものではないのである。
ただ、その遺体は──お世辞にも普通とは言えず。
その遺体の全身には、どういう凶器を使ったのかも分からない程の夥しい数の大穴が空いており、そこから肉を抉り血を啜られた様な形跡が残っている事からも、これらの遺体が極端に痩せている理由が分かる。
更に言えば、この二つの遺体が死に場所として選んだ──選ぶ余地がなかっただけかもしれないが──何とも神々しささえ感じる、サーカ大森林の中でも特に色鮮やかな葉をつけた樹木に寄りかかっていた事で。
二つの遺体には、その樹木の太い蔓や根が全身に這う様に張り付いており一体化さえしていると言えた。
見る者が違えば、ある意味で芸術的な光景だと言わしめてしまうのかもしれない──されど、それが望子に当てはまるとも思えない為、隠していたのである。
一方で、フィンが望子の相手をしている間に遺体へ近寄り、どんどん強くなる死臭に顔を顰めるウルが。
(屍肉喰いでもねぇしな──……ん?)
流石に遺体の所持品を漁るのは不味いかと思いながらも、やはり気にはなるらしくまじまじ見ていると。
(……女の方、何か握ってやがんな)
死後硬直か──それとも生前、絶対に放すまいとしていたのかは分からないが女性の握力にそぐわず強く握りしめられていた薄紫の四角い何かを見つけたウルは、ウル自身の中にある好奇心に負けて手を伸ばす。
(……サイコロ──ん〜……いや違ぇな。 ただの小せぇ箱か。 つっても何か入ってる訳でもなさそうだが)
その拍子に遺体の指はボロッと崩れてしまっていたが、そんな些事には構わず手に取った小さな四角いサイコロの様な六面体を、サーカ大森林に僅かながら射す日の光に当てつつ見つめていた──その時だった。
「──……あっ!!」
「うお!?」
突如、後方から響いたフィンの何かに気がついたかの様な声に、ウルは心底驚いて耳や尻尾をぴーんとさせており、そのまま声がした方を振り向くと同時に。
ウルは、その四角い何かをサッと懐に収めた。
……死体漁りなどという蛮行も蛮行。
望子が知れば確実に嫌われてしまう筈と確信していた為に、ウルはそれの存在を隠蔽する事にした様だ。
「あれってハピが──いや、レプだっけ? まぁ、どっちでもいいけど! ほら、小屋じゃない? 冒険者だの何だのって人たちが休んだりしてたってやつだよ!」
「な、なん──何処だ!?」
翻って、どうやら眠りにつく前のハピが口にしていたサーカ大森林についての説明を覚えていたらしいフィンが、そこそこ離れた場所に建つ小屋を指差しながら『あれだよ、あれ!』と示したところ、ウルは死体漁りを誤魔化す意味でも大袈裟に反応して振り向く。
「ほら、あれあれ! ちょっとボロい感じだけど!」
「お、おぉ! あれかぁ! 確かにな!」
「……?」
そこには、『ちょっとボロい』という表現では収まりそうにない程に朽ち果てた小屋があり、およそテンションが上がる様な外観でもないのに無駄に声を大にするウルに望子は少しの違和感を覚えていたものの。
「そ、そういやさっきの甘い匂いも、あの小屋の方から漂ってる気がするぜ! 中に菓子でもあんのかな!」
「……取り敢えず、ついていこっか」
「う、うん……」
そんな望子の違和感を察し──た訳ではないのだろうが、ウルが一足先に小屋の方へと向かい始めてしまった事により、フィンと望子は首をかしげながらも。
……とにかく、ウルについていく事にした。
それから、その小屋の近くまで来たはいいものの。
その小屋は遠くから見た時とはまた違うおどろおどろしさがあり、まるでホラー映画の舞台や背景として出てきそうな外観を見た望子はフィンにくっついて。
「……ね、ねぇ……やっぱり、やめようよ。 なんかこわいよ? たしかにちょっといいにおいするけど……」
ウルが感じていた甘い匂い、それ自体は望子の一般的な嗅覚でも感じ取れるくらい強くなっていたが、そんな甘い匂いの事さえ気にならなくなる程のおぞましさに、やっぱり近づくのはやめないかと提案するも。
「だーいじょうぶだっての! ほら、あたしらがいるだろ? 魔族の幹部とかでなきゃどうにでもなるって!」
「……何でも来いとは言えないのがもうね」
当のウルは心配の方向性を勘違いしたのか安心させればいいと判断しており、サムズアップした方と逆の手を望子の頭に優しく置いたはいいものの、その言葉の中途半端さにフィンは呆れ返るしかなかった様だ。
「まぁ取り敢えず開けてみよーぜ──……おっ?」
「「?」」
そんな折、何はともあれ開けてから考えようと率先して小屋に近づき、どうにも歪んでいる様に感じる扉に手をかけたウルは何故か疑問の声を上げ、それを少し離れた位置で見ていた二人が首をかしげていると。
「……何だ? 鍵かかってんのか、このっ、ぐっ」
鍵がかかっていると踏んだウルが──まぁ鍵うんぬんではなく歪んでしまった事で開きにくくなっているだけなのだが──ガチャガチャと扉の取っ手を押したり引いたり試行錯誤している中、フィンはと言えば。
(──さっきから、これ何の音? 小屋の中から……?)
頭の横から生えた耳の役割を持つ青い鰭を、ぴこぴこと跳ねさせつつ何らかの音を超聴覚で捉えていた。
極めて小さく、されど極めて耳障りな──。
──ブゥウゥウウウウ……ン。
と、そんな音が集まっている様な気がして──。
「……ねぇ、みこじゃないけど……ボクもちょっとやめといた方がいいと思うんだよね、だから一旦──」
だからこそ、フィンは望子と理由は違えど中断した方がいいかもと判断してウルに声をかけんとしたが。
「──ふんっ!」
「「あっ」」
「よっし開いた」
フィンの制止も虚しく、おそらく普通の力では開けられなかった歪んだ扉を、ウルは『バキッ!』と半ば無理やりに開けて──というか壊してしまっていた。
「さてさて中には〜っ──……と……?」
そして何とも楽しげな笑顔とともに小屋の中を覗く為にと扉を開けて、その小屋の中に目を向けたウルの声は段々と小さくなっていき、その身体は硬直する。
……無理もないだろう。
壊してまで開けた扉の向こう、その小屋の中には。
──ブゥウウウウ……ン……ッ!!
壁や天井にへばりついた栗色の巨大な巣と、その周りを飛び交う大きな蜂がこれでもかといたのだから。
「ぇ、ぁ……?」
……望子が、そのあまりの光景に思考を止める中。
(──……お、おい逃げるぞ。 いいな?)
(そっとね! そっと閉めてね!)
この危機的状況の元凶とも言えるウルは、およそ普段の彼女からは考えられないくらいの小声で呼びかけつつも壊れた扉を閉じようとし、フィンもすぐ逃げられる様に望子を抱きかかえながら『慎重に』と進言。
(ゆっくり! ゆっくりね! お願いだから!)
(あ、あわわ……)
戦々恐々とするフィンと望子が見守る中で、どうにかウルは壊れた扉を──パタンと閉じる事に成功し。
((……はぁああああ……っ))
危機を回避出来た事による安堵からか、フィンと望子がほぼ同時に豊かだったり薄かったりする胸を撫で下ろす一方、ウルが発端だという事は分かっているが対処したのがウルだというのも事実である為に──。
「あ……ありがとね、おおかみさ──」
せめて自分だけは、ウルの所有者である自分だけはお礼を──と望子が律儀にも礼を述べようとした時。
「いやー、危なかった! 一時はどうなる事かと──」
「「えっ」」
完全に気が抜けていたのだろう、ウルの安堵感からなる大声に反応したのは望子とフィンだけではない。
──……カンッ!
──カンカンカンッ!!
──……バキャアッ!!
──カチカチカチカチカチカチカチッ!!!
ウルの大声に反応した蜂の群れは、ウルのせいで壊れた扉を鋭く大きな針で突き破ってから望子たちに針を向けつつ、その強靭な顎を鳴らして威嚇し始める。
新鮮な餌だ──とでも言わんばかりに。
「──に……っ! 逃げっぞおらぁああああっ!!」
「みこ、しっかり捕まっててね!!」
「うわぁああああん!!」
ウルの叫びと全力の逃走を皮切りに、フィンは望子を抱えて宙を泳ぎ、そんなフィンに抱えられた望子は梟のぬいぐるみを抱きしめながら、この瞬間も一心不乱に追いかけてくる蜂に怯えつつも森を駆けていく。
……ハピが起きていれば分かった事ではあるが。
その蜂型の魔蟲の名は──鋭刃蜜蜂。
かつて、この世界における普通の蜜蜂が過剰な程の魔素を取り込んでしまった事で変異を遂げ、そのまま一種の生物として存在を確立させた獰猛極まる魔蟲。
好物は良質な魔力を帯びた同種以外の──。
──血肉である。
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