魔族との邂逅
それから、およそ数十分後──。
「──ぅ、ん……」
望子たち四人が宝物庫を後にしてからも、しばらく壁に寄りかかったまま眠りについていた聖女カナタ。
「……っう──……っ!?」
漸く、その空色の瞳をゆっくりと開いて目を覚ますやいなや、つい先程までの出来事を一瞬で回想した為か、きょろきょろと周りを見渡すも人の気配はなく。
そして、カナタは自分にしか分からないだろう途方もない安堵や疲労からか『はぁ〜っ』と溜息をつき。
(……彼女たちは、もう出て──)
この宝物庫まで連れてきた筈の、あの少女の姿も三人の亜人族たちの姿もない事を改めて確認する様な。
「──……え? どう、して」
そんな脳内での呟きさえ途切れてしまう程の、とある光景に彼女は疑問をそのまま声に出してしまった。
(……宝を持っていかなかったの?)
おそらく、あの亜人族たちによって宝物庫内が荒らされてはいるのは間違いないが、ここへ来た時に見た金銀財宝の数が減っている様に思えなかったからだ。
そもそもカナタは金品が欲しいから案内しろと暗に言われたから彼女たちを連れてきたのであって、どうして金目の物を置いていったのか全く理解が及ばず。
(……心変わり──……いや、あるとしたら)
カナタは一瞬、何かの切っ掛けで心変わりして略奪を中止したのかと考えたが、あの亜人族たちが簡単に自分たちの決めた事を曲げる様には見えなかった為。
真っ先に思い浮かんだのは、あの三人の亜人族たちが──というか、あの人魚が異常な程の執着を見せていた幼い少女が亜人族たちを諌めたのではという説。
ミコという名の召喚勇者──黒髪黒瞳の女の子。
それは強ち間違いでもなく、『お金を貰った方が早いと思うよ』という望子の一声がなければ亜人族たちは金銀財宝や魔道具の殆どをあの不思議な鞄に詰めて持ち出し、きっと何処か遠くで売り払っていた筈。
とは言ったものの正確には全く手をつけていない訳ではなく、およそ売っても足がつかなさそうな金銀財宝を鳥人が選別し、ここで見つけた魔道具──許容量無限で大小の影響なしという、まさに国宝級である無限収納という鞄に詰め込んでしまっていたのだが。
(喚び出した責任もあるけど……それよりも、まず)
その後、取り敢えず気持ちを落ち着かせるべく息を整えたカナタは、ひとまず望子たちについての思考を放棄し、この状況で何を差し置いても一番に考えなくてはならない事は、と真っ先に脳裏をよぎったのは。
(王の──……いえ、国の事よね)
かつての賢王、リドルスの死──ではなく主を失ってしまったルニア王国の現状や未来についてだった。
あの惨劇が起きた現場──謁見の間は今頃、国王や近衛兵だったものが放つ死臭でいっぱいなのだろう。
そんな現場で人狼の脅しによって失神している筈の臣下たちの事も気にはなるが──……それよりもだ。
(……宰相様は、ご無事かしら)
かつては崇敬の念すら抱いていた筈の国王の死を見てしまい、その現実を受け入れられずに精神が崩壊してしまった宰相ルドマンの事だけが気がかりだった。
自分では正直に言ってどうにもならない事態において戦場にも立たず、かと思えば大して国政に有益な発言をする訳でもない臣下たちが国の役に立つとは思えない一方で、ルドマンが宰相として極めて優秀だと知っていたカナタは彼だけでも無事であればと考えて。
(どうにか、しないと──)
何とか壁に手をつきながらにでも重い腰を上げたカナタは、その震える足取りで宝物庫を出ようとした。
──その時。
「──ご機嫌麗しゅう。 聖女様」
「ぇ──」
今日、目の前で起こった様々な事象に疲労しきっていたカナタは思わず普通に反応してしまったが──。
自分以外は誰もいない筈の宝物庫から聞こえた声の方向へ、すぐさま異変を感じ取ってバッと振り向く。
そこには漆黒の執事服を雅に着こなし、さも鮮血の如き真紅の長髪と透き通る様な白い肌が特徴的な、カナタよりも遥かに身長が高く、およそ絶世と表現してしまっても全く以て過言ではない美女が立っていた。
「──……だ、れ……?」
「おっと、これは失礼」
あまりに突然の事態に表情を驚愕の色に染め、カナタ本人も自覚していない程度に目を奪われながらも何者だと問いかけてきた彼女に、その美女は頭を下げ。
とんだ失態を──と、おそらく反省も何もしていないのだろう挑発的で蠱惑的な昏い笑みを湛えたまま。
「お初にお目にかかります、聖女カナタ様。 私の名前はデクストラ。 魔族にして──かの恐るべき魔王、コアノル=エルテンス様の側近。 以後お見知り置きを」
「……ぇ、あ……?」
魔族の一角にして魔王の側近──そんな、あまりにも衝撃的すぎる自己紹介の後、美女の白い肌が少しずつ浅黒い褐色へと変わっていくだけでは飽き足らず。
真紅の長髪を靡かせる頭からは一対の山羊の様な角が、くびれのある腰の辺りからは槍の如く先の尖った細長い尻尾が、そして肩甲骨付近からは蝙蝠の様な漆黒の羽が出現し、それらの特徴から否応無しに目の前の褐色の美女が魔族なのだと分からせられてしまう。
カナタにとっては──今日、最大の衝撃だった。
人形が亜人族になった事も、その亜人族たちに国王が殺された事も当然その全てが彼女にとって異例の驚愕すべき事態ではあったが、それらはあくまで異世界からやってきた者たちが起こした事態にすぎず──。
この世界で生きるカナタにとっては、この世界において自分たち人族を害し、そして支配しようとする魔族の方が、より現実味のある脅威に感じられたのだ。
「……ふむ、どうやら随分と困惑されておられる様ですが……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……っ」
翻って、カナタの困惑を察していながらも大して興味はなさそうな様子のデクストラの、
(……あの時と同じだわ)
何を隠そう、あの人魚も目の前の魔王の側近を名乗る魔族と同じ様に、ぱっと見優しく尋ねながらも相手が答えないとは微塵も考えてはいなかったのだから。
「……は、い」
それゆえ、か細く震える声で彼女に答えるとデクストラはその整った表情をニコッと笑顔にさせて──。
「では、お聞きします。 あの少女──黒髪黒瞳の少女は貴女が召喚した勇者という事でよろしいですね?」
「……」
カナタの顔を覗き込みつつ、さも勇者召喚の一連の流れを把握し、それを確認する様に問いかけてきた。
……これも、同じだ。
自分の問いに答えないなんて想像もしていない。
「……そう、です、けど……それが、一体……?」
「成る、程……そうですか、そうでしたか……」
「な、何、を──」
断ってしまえばどうなるか──と更なる恐怖に駆られたカナタがおそるおそる答えると、デクストラは心の底から満足げな表情を浮かべながら、その事実を噛み締めるかの様に頷きつつ昏い微笑を浮かべており。
そんな彼女の笑みの意図を、ほんの少しも掴めていないカナタが言葉に詰まりながら問いかけると──。
「──実はですね? 此度の勇者召喚、私の眼を通してコアノル様が一部始終を拝見なさっていたのですよ」
「は、え?」
あまりにも唐突な衝撃の事実を、さも何の気なしに告げてみせた事で、カナタは呆気に取られてしまう。
今日、何度目の驚きだっただろうか。
何度、驚けば終わってくれるのだろうか。
……夢であってくれたりしないのだろうか。
そんな諦念にも似た感情がカナタに湧いてくる。
魔王を討伐せんとする勇者を喚び出す為の儀式を。
魔族どころか魔王に見られていたなんて──。
「……あぁ、ですがご安心を。 コアノル様は、あの小さな勇者に危害を加えるつもりはない様ですからね」
「ぇ……ぁ、あぁ……」
翻って、カナタの諦念をも悟ったのかデクストラは自らが仕える魔王が、あの少女を嬲る様な事は絶対にしないと宣してみせた事により、それが嘘か真かなど判断出来もしないのにカナタは無意識にホッとする。
半強制的に異世界に召喚し魔王の討伐まで勧めておいて何をと思われても仕方ないが、これ以上あの少女に不幸で危険な目に遭って欲しくなどなかったのだ。
だが、そんな彼女の想いはあっさりと覆される。
他でもない、カナタの目の前の魔族によって。
「……とはいえ干渉しない訳ではないそうです。 どうやら魔王様は、あの勇者に一目惚れしてしまった様でして──……昔から可愛い物には目がないんですよ」
「え……!?」
先程までの安堵した気持ちを返してくれ──そう叫びたくもなるくらいに、カナタは驚愕を露わにする。
これでは結局のところ、この世界にいる限りあの少女は魔族に追われる身となってしまうではないかと。
カナタは、せめてもの抵抗としてデクストラを睨みつけるが何処吹く風とばかりに彼女は微笑んで──。
「ふふ……では私はこの辺で。あの少女の元へ向かう部下たちを選別しなければなりませんし──コアノル様から片時でも離れるのは私としても心苦しいので」
パチン──と指を鳴らした瞬間、彼女の真上に薄紫の妖しい光を放つ魔方陣が出現したかと思えば、それは下へ下へと降りてきながら彼女を包み込んでいき。
「『闇間転移』──転移の魔術ですよ」
「転、移……そんな、事まで……!」
おそらく何が何だか分かっていない聖女の為に魔術の正体を明かしてみせたデクストラに、カナタはまたも目を見開き目の前の光景を見守る事しか出来ない。
転移の魔術なんて世界広しといえど扱える物は数少なく、おそらく二桁にも満たないだろうというのに。
そして、デクストラの姿が希薄になっていく中で。
「あぁそうです、言い忘れていましたが。 コアノル様は二度の勇者召喚を行使した貴国、ルニア王国を反逆の意思ありと見做されました。まもなく魔王軍の精鋭がこの国を亡ぼす為に攻め入りますので悪しからず」
「は、ぁ……!?」
まるで置き土産かの様に何気なく告げられた、これまでで最も衝撃的な発言に、もう驚く事はないだろうと思っていたカナタはまた驚きを露わにしてしまう。
その言葉を最後にデクストラは魔法陣へと吸い込まれる様に姿を消し、おそらく魔王の下へと転移した。
(……どう、しよう……どうしたら──……いや)
翻って、その場にポツンと一人残され頭を抱えて苦悩するカナタだったが──それと同時にこれからの自分に二つの選択肢がある事も重々承知していた様で。
一つは──この国の聖女として、まず間違いなく亡びゆくのだろうルニア王国や、その民と心中する事。
そして、もう一つは──。
(……あの子への、償いを──)
そう決意して『もう一つの選択肢』を選ぶ事にしたカナタは誰に見せるでもなく緩やかに首を縦に振ってから、この国を発つ準備をするべく行動を開始する。
いずれは異変を感じた者たちも王城へ、そして謁見の間へと駆けつけるのだろうが──もう、手遅れだ。
(……ごめんなさい、私は──)
自分に大した力はないが、それでも魔族の手からあの少女を守りたい──カナタは、そんな身勝手ともとれる思いを胸に秘めて望子たちの後を追わんとする。
魔族、聖女──そして何より、ぬいぐるみ。
いつの間にやら幼い召喚勇者を巡る三つ巴が完成してしまっている、そんな奇妙極まりない事実を──。
──望子は、知る由もない。
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