十六 ホラー映画なんて怖くない
引き続き性描写がちょこっとあります
ご注意下さいませ
大量に用意した具材は空の腹に全て収まり、明日の朝は残りもんでいいか、なんて思っていた俺の目論見は呆気なく破れた。
とはいえ、そうなる可能性は予見してたからいいけどな。明日の弁当の下拵えをする間に、空は先に風呂に入って貰った。
最近、少しだけ料理の腕が上がった気がする。
やっぱり自分だけで食べるより、誰かが食べてくれた方が気合いが入るよなぁ……。反応を見るのだって楽しいし。
空と入れ違いで風呂に入る。最初は戸惑った女の身体も、慣れてしまえばなんてことはない。
陽子さんに風呂の入り方をレクチャーされた時も、普段の入り方を説明したら概ねOKを貰えていたし。
髪の毛の扱いだけ、多少駄目出しをされたっけな。でも腰の辺りまでなんて髪の毛を伸ばした事もなかったから、仕方がないと思う。
リンスは流さずに付けたまま、軽く水気を切るとクルッと巻いてタオルをターバンにする。
風呂に浸かっている間に、髪に有効成分が浸透する……らしい。正直違いは分からん。日を重ねると大きな差になるんだそうだ。
「はふ……」
風呂って気持ちいいよなぁ。知らず識らずのうちに溜息が出てしまう。
今日は色々あった。
まるでファンタジー世界に迷い込んでしまったようだ。
親友が退魔師で、俺が吸血鬼って、そんな馬鹿な。
これが第三者に起こった事で、誰かから話を聞いたなら中二病乙、と言っていただろう。
そして、ふふふ、俺の苦手なホラー!
対抗する力を得た今、もう何も怖くない!
幼い頃に見たホラー映画でトラウマになって、それ以降は見ようとすらしなかった。
今ならば幽霊だろうが、ゾンビだろうが、スプラッタだろうが、どんなんだってどんと来いだ。
意気揚々と風呂から上がり、髪を乾かした後に部屋へ向かう。空はゲームをして待っていた。
「よしよし。早速、ホラー映画とやらを観ようじゃないか!」
「お前、筋金入りのホラー嫌いだったのに、平気か?」
「ふっ、ふふははは、幽霊などもう怖くないわ!」
「そうか……?ならまあ、いいんだが」
当たり前だがうちの家にホラー映画なんぞは置いていない。とは言え、月額の動画配信サービスに加入しているので視聴する分には問題ない。
ははは。ホラー映画にハマったら面白いやつはコレクションしてやってもいいな!
「あ、これもう配信されてるのか」
「有名なのか?」
「最近結構怖いって話題になったゾンビパニック物だな」
「ほう、じゃあそれにしよう」
「幽霊じゃないけどいいのか?」
「些細な事よ」
怖いと話題の映画でも関係なかろうよ。
『きゃああぁぁぁぁぁ!!』
始まって早々に聞こえた悲鳴に、びくんっと身体が反応した。ちょっと大きな音にびっくりしただけである。
BGMも不協和音で不安を煽ってくる。怖くないけど。
まぁ、空は怖いだろうし?少し側に寄ってやってもいいけど?
この物語の主人公は小さな男の子のようだ。
夜、トイレのために目を覚まして、用を足す少年。
自分の部屋に戻る途中で、異音に気付く。何か柔らかいモノを咀嚼する、音。
少し空腹を感じていた少年は、親が隠れて何か食べてると思って、近付き、声を掛けた。
そこにあったのは、喰われる母親と、振り向いた、異形。
「っひ!!」
み、見た目が反則!見た目が!グロいだろ!怖くないけど!グロい!
つい、手近にあったものにぎゅう、と縋り付いた。空の腕っぽいが、仕方がない。我慢して貰おう。
ゆっくりと異形が振り向いて、男の子はそれに合わせて後退りをする。
少年が背中を向けて走り出すと同時に、そのゾンビも走り出した!?
って、おい、ゾンビが走るのは反則だろぉおぉぉぉ!?
ゾンビは!普通は死後硬直で早く動けない!反則!
逃げた先には、父親の姿。
少年が『お父さん!お母さんが!』と助けを求めて近付けば、振り返った父親も。
『う、うわあぁぁぁぁぁぁうわあぁぁぁ!?』
「ぁっぁ、ひっ!うぅぅっ」
喉が引き攣って、声が出なかった。
「っぉ、ら、そらぁ……う、ふぇ」
「う、海!?大丈夫か?」
ごめんなさい、ごめんなさい。無理、やっぱ無理!
空に助けを請おうとするものの、口からは嗚咽しか出てこない。固く目を瞑っていても緊迫した音楽と、少年の叫び声と、ゾンビの唸り声が恐怖を煽る。
ぽろぽろと涙を零す俺の様子を察した空が動画の再生を止めてくれた。
「わ、悪い。そこまでトラウマになっていたと知っていたら止めたんだが」
空は俺の頭を軽く撫でながら言った。
いや、こんなん見ようと誘った俺が悪い。
が、まだまともに声が出せないので、ぶんぶん、と頭を振って答える。
「才能はあるのに、海の父さんが自分の後を継がせようとしない理由が分かったな……」
才能、あったんか。
──あー、少し落ち着いてきた。
よし。ほら、主人公の男の子に戦う力が無かったからだし!リアルに俺が遭遇したら全然イケるし!
そう。だから例えば、あのカーテンの向こうにさっきのゾンビが居たとしても、だ。全、然……ひぃ。
壮絶な自爆をして、またカタカタと震えだした俺を、空がふわりと包み込んだ。
うぐ。情けない──けど、仕方がないから空の脇の下から手を回して、ぎゅーっと力を入れた。
あぁ、くそぅ。落ち着くなぁ。……でも、落ち着く筈なのに、心臓がとくんとくんと音を立てていて、煩い。
これは、ほら。あれだな、吸血衝動。
「そら」
「ん?」
「血、吸っていい?」
「ああ。そう言えばそうだったな」
「……あ」
「どうした?」
「ってか、噛んだら痛くね?平気なのか?」
「あー。寧ろ……いや、まぁ少し痺れるけど痛くはないな」
「そっか?」
んー?ちょっと引っ掛かるけど、痛くないならいいか。
痛いのを我慢させるのは嫌だからな。
「えっと、じゃあ、失礼して……」
期待感というか、高揚感で早くなっている心臓の鼓動を少し落ち着けるように、空の肩を前にして、一度深呼吸をする。
さっきの……心構えがなく全くの無防備だったからか、初めての吸血だったからなのか、それとも──相手が空だったからか、とにかく凄かった。
今度は意識をやらないよう、気を張ってから血を吸う。
一口嚥下する度に、後頭部をハンマーで叩かれているような衝撃と、身体の内側をとろとろに溶かしてしまうような甘さが全身に広がる。
これは、人を堕とす劇薬だ。──空の血液が特別に【濃い】事を差し引いても──一歩間違えれば、血に溺れ、文字通り人を吸い殺すようになる、毒。
心を強く保たねば、脆い心では、砕けて戻らなくなってしまうのだろう。理屈ではなく本能でそう思う。だから、大事にして貰えている俺は、幸せ者だな。
ところで、最初とは違って俺達はベッドで横になっている。血を吸われる空も脱力感があるだろうし、俺も、そのー……身体に力が入らなくなるからだ。
身体を起こしたままだと空に支えて貰わないと、俺は崩れ落ちる自信がある。
そんなわけで、空に仰向けに寝て貰って、俺がその上に覆い被さる形になっている……のだが、ええと、俺の太ももの辺りに固いものが、当たっているのだ。
空は誰に告白されても淡白で、下ネタも言わない、朴念仁だと思っていたら、ちゃんと男だったんだなぁ。
まぁ……そもそも男子高校生なんてエロい事を考えてなくても、たまに、ね?で、困る事があるんだから正常だよな。
「ぷぁ。ありがと、空。……で、えっと……コレ、さ。辛いよな?」
「あー……悪い。俺もまだまだ修行が足りないみたいだ。ソレについては、触れないで貰えると助かる」
空は少し顔を赤くして、ふ、と目を逸らした。
ぬ……少し可愛いじゃないか。
「その、もしも空が嫌じゃなきゃ、なんだけどさ」
そう言いながら手を伸ばすと、触れる前に空に手を取られ、遮られてしまった。
「海が気にする事じゃないさ。……ただ、気色が悪いとは思うんだが、ちょっとトイレは貸してくれ」
空は俺の身体を優しく押し退けて、身体を起こした。
「俺は別に。気色悪くなんて、な」
と言い切る前に、空はありがとな、と言って頭を撫でると、部屋を出て行った。
……俺は別に、良かったのに……。
って、俺よ、それはマズイだろ。
ぶんぶん、と頭を振った。ちょっと頭ん中がピンクに染まっていたみたいだ。
はふ……俺もちょっと、シャワー浴びてこよ……。




