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恋する狐は止まらない そのさん

私の目の前で穏やかな表情で彼は眠りについている。


無防備な首筋をさらし、なんの警戒心も抱いていないとわかる安らぎに満ちた表情。


隣に眠ている物がどれだけ危険な生き物であるかきっとわかっていないに違いない。


私が獣の本性を剥き出しにして襲い掛かることになれば、彼のような脆弱極まりない種族はひとたまりもなく絶命するであろう。


力を入れるまでもない、その柔らかい首筋に牙を突き立てて一瞬でその喉笛を食いちぎってしまえば、彼は自分が死んでしまったことにも気がつかないに違いない。


私は眠る彼にそっと近づくと下手な刃物などよりも遥かに切れる牙がズラリと並んだ口を大きく開けると、一気にその口を彼の首筋へともっていく。


眠る彼の首筋を『狐』の口で挟み込むと、その口にトクントクンという規則正しいリズムを刻む音が聞こえてくる。


生きている・・彼は今日も生きている・・私の側で生きている・・いなくなったりしていない。


自分が馬鹿なことをしているということはわかっている、だけど・・不安になるのだ・・とてつもなく不安になるのだ。


ふと眼を逸らした隙に彼が私の前から消えていなくなってしまうような錯覚を覚える。


いっそ私の手でその命を絶ち、その後私も自分の命を散らしてしまえばこんな不安を覚えずに済むのであろうか。


いや、そんなことはないしそんなことできるわけがない。


少なくとも私自身がそんなことをすることができるわけがないのである。


この人が傷ついた姿を想像しただけでも心が死にそうになるというのに、自らの手でそれを実行するなど考えることすら恐ろしい。


喉笛に牙をたてる? 簡単に絶命する? 


冗談ではない!!


そんな簡単に死なれてたまるものか!! 


もう、自分でもバカみたいと思わずにいられないのだが、この一週間足らずの生活が幸せすぎて、逆に怖くて仕方ないのである。


私は一生のほとんどをずっと一人きりで生きてきた。


家族というものはいることはいるが、そこにいるだけの存在で自分にとってほとんど価値はない。


向こうも私のことを道具としか見ていないし、私の中でもあの家族に何かを期待する気持はすでに微塵もなくなってしまっていた。


それなのに・・


最初、愛する人と一緒に生活できることだけに集中して日々の暮らしがどうとか考えもしなかった私だが、この人と一緒に生活するようになってから家庭ってこんなに温かいものだということを思い知らされることになった。


朝起きると、この人が「おはよう」って声をかけてきてくれて一緒に朝ごはんを食べたり、洗濯物を干すのを手伝ったり、夕方一緒にお風呂に入ったり、晩御飯を食べたり、洗濯物をたたむのを手伝ったり、そして、こうやって二人で横になって並んで眠ったり・・


何をやっても温かい。


ずっとこの人が横にいてくれるだけで本当に温かいのだ。


でも、これは本当に夢ではないのだろうか?


誰かが私により深い絶望を味あわせるために仕組んだ、ひどい罠ではないのか?


そう思うと途端に不安になってこんな真似をしてしまう。


どれだけ私は弱いのだ・・こんなに自分が弱いとは思わなかった。


そう思ったら涙がぼろぼろ流れてきて、気がついたら、どうにも止まらなくなってしまった。


と、思っていたら、いつの間にか横に眠る私の最愛の人が眼を覚ましていて私の身体を自分の方に引っ張り込む。


ちょっと抵抗しようとしてみたけど、思ったよりも強い力で引き寄せられてしまって抜けられなくなってしまった。


ちらっと彼の顔を見てみると、なんとも言えない心配した表情でこちらを見ている・・なんか情けないし恥ずかしいので顔を背けて見たけど、すぐに両手で引き戻されてキスされる。


『狐』になっている私は唇を重ねることができないのに、平気でこの人はキスをしてくる。


でも、どうしてこんなに温かくて安心する気持になるんだろう。


じっと潤んだ瞳で見つめていると、涙が流れたあとを血色のいい舌でぺろぺろとなめとってくれる。


ちょっとくすぐったかったが、顔を彼のほうにすり寄せる。


「・・どこにも行きませんから。」


いきなりそんなことを言うので、私は思わず絶句してしまった。


な、なんでそんなことがわかるんだろう!?


「わかるからわかるんですよ。別に理由なんかないんです。そう思いませんか?」


もう〜・・そんなこと言ったらまた涙が出てくるじゃないの〜


でも、やっぱりこの人のこと好きだなあ、私。


と、じ〜っと見つめていたら、なんだか、目の前の彼はしばらく何事か考え込んでいるようだったが、やがて、何かを決心したように口を開いた。


「あの・・明日なんですけど。」


ん、なに?


「『嶺斬泊』に一日だけ戻ろうと思うんです。いや、カダ老師にはもう許可をもらっているんですけどね。」


え、そうなんだ、まだ一週間たってないけど、いいのかな。


まあ、どうせついて行くけど。


「ええ、それで、ちょっと朝早くに出ようと思うので、早めに起こしちゃいますけど、許してくださいね。」


いや、まあそれはいいんだけど、どこか行くところがあるの?


「はい、どうしても行きたいところが。それで・・付いて来てくださいね。」


あったり前じゃない、断られてもついていくっての。


「よかった、もしもの時はあなたでないと止められないでしょうし。」


へ? 止めるって何を?


「いえいえいえ、なんでもないです、はい。・・さあ、明日早いですし、今日はもう寝ましょう。」


なんだろ、すっごい気になるんだけど・・


まあ、いいか、寝よっと。


おやすみなさい、旦那様。


「おやすみなさい、奥さん。」










あれ・・なんだろ・・すっごい何かを忘れている気が・・


そう言えば明日って何曜日だっけ?







あ、日曜日か・・








日曜日って何かあったような・・






















ああああああああああああああああああ!!!


ちょ、ちょっと、旦那様、起きて!! 起きてください、起きなさいってば!!


「ぐ、ぐ〜〜〜。」


ちょっと、起きてるんじゃないのよ!! ぐ〜なんて普通言わないわよ、寝言で!! 狸寝入りしてないで、起きなさいてっば!!


「ぐぐぐ、ちょっと、そんな肉球で僕のほっぺをぷにぷにしないでくださいよ、すっごい気持ちいいじゃないですか!!」


いやいやいや、そんな快楽に身を委ねなくていいから、起きて説明しなさいってば、どういうこと!? ねえ、どういうことなのよ、これ!!


明日何するつもりなの!? どこに行くつもりなのよ!?


「エット、ナンノコトデショウカ? ボクニハサッパリワカリマセン。」


顔を反対方向に向けて棒読みで苦しい誤魔化し方してるんじゃないの!! そんなことじゃ誤魔化されないんですからね!!


ちゃんと説明してください!!


「わかりました・・あれは僕が五歳の時の話です・・隣の幼稚園に住んでいるさっちゃんが、肺炎にかかって・・」


ふんふん、そうなんだ・・え、そんなことが!?


って、ちっが〜〜〜〜〜〜う!!


そんな童謡に出てくるような昔話を聞きたいわけじゃないのよ!! 明日よ、明日の話!!


「もう〜、ほんとに怒りっぽいんですから・・きっとあれですね、僕が作る料理にカルシウムが足りていないんだ。そういう意味では僕のせいですね、これからはよく反省してカルシウムが多めに入った料理を作るように心掛けますね。」


うんうん、そうねえ、カルシウムとれば穏やかな気持ちになるし、骨も丈夫になるものね。


カルシウムって大事だなあ・・って、だから、違うでしょうが!!


「わかりました、わかりましたから、その肉球をほっぺに押し付けないでください、あ〜、気持ちいい。なんか、だんだん眠くなってきました。」


寝るなアアアア!!


バシバシッ!!


「あうあうっ。」


もう話が全然先に進まないじゃないのよ!! さあ、キリキリと白状しなさい!!


え・・あれ?


気絶してる・・


し、しまったああああああ、強く殴り過ぎたあああああ!!


ご、ごめんなさい、旦那様、死んじゃやだあああああああああ!!


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