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Act 4 『蒼の修羅』

御稜高校の正面校舎の裏出口の扉があるすぐ横の壁によりかかりながら、少年は先程買ってきた『すっきりポンカンラムネ』と書かれた缶ジュースを旨そうにごくごくと飲んだあと、ぷは〜っと、満足そうに息を吐きだした。


「いや〜、やっぱ『すっきりポンカンラムネ』はおいしいよね。」


いったい誰に呟いているのか、少年が誰かに話しかけるように呟くと、どこからともなく同年代と思われる女の子の声が応える。


『ほんと好きねえ。子供の時からず〜っとそればっかりじゃない。』


「いいじゃん、好きなんだから。」


『まあいいけど・・それよりも何? 何かあったの?』


少年のすねたような口調に呆れたような声で応える声だったが、すぐに真剣な口調に変わって問い掛けてくる。


すると少年もまた得物を狙う猛禽類のような鋭い瞳となって、表情を引き締めて言葉を紡ぐ。


「今日の朝、奴らの気配を感じた。エサをまいたから、多分今日明日中に食いついてくると思う。」


『今日の朝? あなたまた何かやったのね?」


少年の言葉に仰天し非難するような口調で問いかけてくる声に、少年は非常に心外だと言わんばかりの表情を浮かべて見せる。


「身勝手な理由で女子供を殴るような奴を見過ごしたほうがよかったと思う?」


『時と場合によると思うけど・・』


「ふ〜ん、それがあの人を差別してクラスから疎外しようとしていた奴でも? しかもあの人をかばってクラスの居場所を守ろうとしていた友達をリンチしようとしていた奴でも?」


『まさか、そいつを黙って返したわけじゃないでしょうね?』


「それこそまさかだよ。君と違って僕は弱い者いじめをする奴が死ぬほど嫌いだ。ましてやそれがあの人をバカにしたり傷つけようとしていたりしていた奴だとしたら尚更だよ。」


少年は我慢ならぬという激しい怒りに満ち満ちた表情を浮かべて唸り声をあげると、声の主は納得したように呟くのだった。


『そうね、あなたがそんな奴を野放しにするわけないわね。わかった、ならいいのよ。あの人の敵は・・』


「僕らの敵だ。」


力強く断言する少年に、声の主が肯定するような気配がし、そのあと言葉を続ける。


『で、どうするの? 私もついて行こうか?』


「いや、気配からして恐らく大したことないから僕一人で大丈夫。それよりも、君はマリーちゃん達についていてあげてほしい。今日絡んできた奴・・ヘイゼルとか言ったかな、あいつめちゃくちゃ執念深そうな奴だったから、あれくらいで懲りるとは到底思えないし、何しでかすかわからないんだよね。」


今朝やりあった、差別主義者の魔族の少年の姿を思いだし、黒髪の少年は物凄く嫌そうな顔を浮かべて見せる。


『わかった、もしもの時を考えて一緒に帰るようにするわ。』


「頼むよ。それにしてもレンのことといい、なんか予想外のことが多いよね・・」


疲れたように嘆息する少年に、声の主も思わずため息混じりの言葉を吐き出す。


『そうね、ただ、幸いレンちゃんは私のこと知らないからもしもの時もなんとかなりそうなのが救いだわ。』


「・・うん、まあね。」


『どうしたの? なんか落ち込んでいる?』


「いや、そうじゃないんだけど・・あの人ってほんと凄いよね、いろいろな人があの人のことを大切に思ってる。ここに来て改めてそれを実感して確認するとさ、僕如きがあの人を・・」


そう言ってどこか嬉しそうに、でも悔しそうな表情を浮かべる少年に、声の主は呆れたという口調で言葉を紡ぐ。


『あのねぇ、あなたもうあの人が言っていた言葉を忘れたの? 『僕と君達は違う、だから君達は君達として正直に振る舞えばいい、そうすればそれが自然と普通の姿となる。』って。

無理しても私達はあの人には絶対になれない、でも、私達自身になることはできる。違う?』


「・・そうだね・・僕は僕自身としてか・・ありがとう、もう一人の僕。」


もう一つの声の言葉にしばらく考え込んでいた少年だったが、どこか吹っ切れたような表情で笑顔を作り頷いてみせる。


『いいえ、どういたしまして、もう一人の私。それじゃあ、私そろそろ行くわ。なんだか騒々しい人が来たみたいだし。』


「騒々しい人?」


面白そうな響きで言葉を紡いだあと、声の気配はす〜っと消えてなくなり、少年が顔をあげると何やら荒々しい気配が近づいて来るのを感じる。


そして、きょろきょろと見渡してみるが、それらしい人影は見えない。


昼休みのグラウンドではたくさんの生徒達が球技で遊んでいる姿が見えるし、グラウンドの端っこにある『人』工的に作られた庭では木影に集まって弁当を食べている生徒達の姿もある、校舎裏の花壇ではグラスピクシーの小柄な用務員さんが花に水をやってる。


どれを見ても和やかな風景ばかりで、今感じている荒々しい気配は微塵も感じられない。


しかし、それは確実に近づいてきており、いったい何事だと構えていると、突然自分の横にある扉が思いきりバンッという音を立てて開き、少年が心底びっくりしているとそこから目も覚めるような龍族の美少女が飛び出してきて、自分の横を通り抜けてずんずん進んでいくと自分から少し離れたところに止まり背を向けて仁王立ちする。


そして、何かを探すようにきょろきょろと周囲を見渡している。


どうやら扉の横にいた自分は彼女から死角になっていて気がつかなかったようだ。


一生懸命何かをやっている最中のようなので、邪魔しても悪いからしばらく黙って彼女を観察することにする。


それにしても物凄いスタイル、物凄い美貌、物凄い存在感である。


前から見ても壮絶な美少女であるが、後ろから見てもそのスタイルは抜群だし、姿そのものが美しい。


自分のような平凡な容姿の人間とは明らかに次元の全く違う生き物・・のはずなのだが、その放たれるオーラにどこか親近感を感じずにいられないのはなぜだろう。


見ただけで直情的、直線的とわかるまさに一直線な性格は単純を通り過ぎて、清々しく美しささえ感じられる。


きっと彼女の恋人や夫になる『人』物はその想いを受け止めるのに苦労するんだろうなあ、と苦笑を浮かべた少年は、まだ探し物がみつからないのかキョロキョロと周囲を探し続けている姫子を見つめる。


そして、どれくらいたったであろうか、ふと携帯念話の時計を確認すると昼休み終了まであと五分くらいの時間になってしまっている。


少年はふ〜っと溜息を吐きだすと、目の前の少女に近づいて声をかける。


「姫子ちゃん、探し物の途中悪いけど、もうそろそろ教室に帰ろう。昼休み終了まであと五分しかないよ。」


「む〜〜、仕方ないか・・それにしても連夜はどこにいったのよ、もう・・」


少年の声にくるっと振り返った姫子は、深々と溜息を吐きだして脱力してみせるが、その言葉に少年はきょとんとして小首を傾げる。


「え、いや、僕ならここにいるじゃない。」


「そうね、そこにいるわよね・・え」


姫子は少年の姿を見てしばし呆気に取られて絶句していたが、やがてみるみる憤怒の表情になると少年のほうに近づいてきてそのブレザーの襟元をガシッと掴むとゆっさゆっさと激しく揺らし始めた。


「なんで!? なんでここにいるの!? いつからいたの!?」


「ひ、ひめ、こ、ちゃ、ちょ、ま、しゃべ、れ、な」


「わ、私がどれだけ探したと・・うう・・」


と、ついにはまたもやぽろぽろと涙を流して泣き出してしまった。


「うわわわわ、姫子ちゃん、ごめん、なんだかよくわからないけど、ごめんなさい!!」


「も、もういい・・それよりもいつからいたの?」


「いや、さっきからずっと・・」


「さっきからずっと!?」


涙目のまま再び憤怒の表情になる姫子に、もうどうしたらいいかわからない少年はとりあえず慌てて言い訳をしてみる。


「いや、だって僕を探しているとは思わなかったから、別の誰かを探しているんだろうから邪魔しちゃ悪いなあって思って声を掛け辛かったんだ。」


「何よそれ・・昼休みになったあと、ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃうんだもん・・どこに行ったのかと思って学校中探しまわしたのに・・」


「そうだったんだ・・ごめんね、姫子ちゃん、それで僕に何の用だったの?」


涙目のまま下を向いて明らかに拗ねた表情でぶつぶつ文句を言う姫子に、少年は真摯な表情で謝ったあと姫子にその要件について聞こうと問い掛ける。


すると、その言葉を聞いた姫子は呆気に取られて少年を見つめ返し、少年はその反応の意味がわからず不審そうに見つめ返す。


しばし、二人はそれぞれの思惑によって見つめ続けていたが、やがて更に拗ねた表情になった姫子がふいっと視線を外す。


「要件は・・別にない!!」


「え・・なにそれ。」


「と、友達と昼休み一緒に過ごすのに何か理由がいるのか!? それとも連夜は特別な理由がなければ昼休みを友達と一緒に過ごさないのか!?」


「あ、いや、勿論そういうわけではないんだけど・・ すいません、変な事を聞いた僕が悪かったです・・ねぇ、姫子ちゃん、朝もそうだけど、僕何か姫子ちゃんの気に障るようなことしたんじゃない? なんだかすっごい機嫌が悪いように見えるんだけど。」


本当に申し訳なさそうな表情で姫子の顔を少年が覗き込むと、姫子は顔を真っ赤にして首をぶんぶんと横に振る。


「そ、そんなことはないよ!!」


「そう? でも、僕って女の子の心がほんとわからなくて、無意識に無神経なことしていたり言ったりしていることがあるって、よく家族に注意されるんだよね。自分では結構気をつけているつもりなんだけど、今日も気がつかないうちにそういうことしてて、姫子ちゃんが気を使ってそうじゃないって言ってくれているんだったら、遠慮なく言ってね。このまま姫子ちゃんとの間でぎくしゃくすることになったら悲しいよ。」


「か、悲しいの? ほんとに?」


驚いたように聞いてくる姫子に、少年はどこか悲しげに見える笑顔を作ってみせる。


「そう見えないかもしれないけどね、一応僕にも悲しいと思える感情はあるんだ・・」


「あ、ちが!! ごめん、そんなつもりで言ったわけじゃない!! ほんとだよ!! だから、お願い、そんな悲しい顔で笑わないで!!」


「え・・僕、そんな表情している?」


自分自身が泣きそうになりながら言ってくる姫子の言葉に、自分自身がびっくりした表情になる少年。


「そうじゃなくて、あんなことがあって、連夜は許してくれたけど、やっぱり心のどこかで私と友達をやめたがっているんじゃないかって思ってた。仲が悪くなって悲しいと思ってくれるくらい私のこと友達として認めてくれているんだってわかって、ちょっと驚いたの。」


「ああ、そっか・・そんなの当たり前じゃない。それとも姫子ちゃんの中で宿難 連夜っていう存在は、その程度のことで友達を見捨ててしまえる存在なの?」


「ち、違う!! そんなわけない!!」


「でしょ? じゃあ、やっぱりそうなんだよ。」


そう言って少年は微笑んだあと、姫子にそろそろ教室に戻ろうかと促して歩き始める。


しかし、姫子は何か釈然としないものを感じていた。


なんだろう、この違和感は。


まるで幻を相手にしているかのような感じ、確かにそこにいるいつもと同じ顔同じ姿、しかし、その笑みのなんと薄く儚いことか。


見ているだけで切なくなって、胸が締め付けられるこの感じはいったいなんなんだろう、いつもの連夜からは決して感じたことのない、まるで触れただけで壊れそうな脆いガラスのような後ろ姿は。


狂おしいまでに遠くにあるのに、その背中は遠くからでもはっきりとわかるいろいろなものを背負って歩くその後ろ姿に、姫子をはじめとするたくさんの仲間達が惹かれ集まってきた。


しかし、その隣を歩くことを許されたものはほんの一握りで、姫子はまだそこに達していない。


自分の最終目標地点であり、憧れの場所であるはずのそこが、今日はまるで別の場所のように見えてしまう。


一見脆く誰にでも壊せそうに見えるが、実は物凄く強固な鋼の意思で守られた難攻不落の城塞であるいつもの姿と逆・・非常に頼もしく力強く赤々と燃える烈しい炎を背負うその後ろ姿は、だが、ちょっとしたことで消えてしまいそうな危うさがあった。


一週間近くの後に再会したため、きっとそういう風に見えてしまっているのだと、自分の気のせいだと思って忘れようとした姫子だったが、どうしてもその考えを振り払うことができず、教室にもどり授業が始まってからも、姫子は少年の様子をちらちらと横目で観察することをやめることができなかった。


その行動が姫子の運命の分岐点となった。


その行動故に姫子は少年が誰にも気づかれずにすませようとしたある行動の決定的瞬間を見逃さずにすんだのである。


授業中、少年は机の中にあった何かを取ろうとしていたのであろう、それは筆箱か参考書だったのかはわからないが、何気なく机の中に手を突っ込んで探していたようだが、不意に表情を強張らせる。


そして、そっとその手に触れた何かを取り出して手元で確認した少年は、それが何の変哲もない茶封筒であることを見てとったが、そっと中の手紙を取り出して先生に気がつかれないように読むと、それを再び封筒の中に戻して自分のカバンの中に入れた。


あとは、いつもと変わらぬ穏やかな表情で授業を受け続けていたが、姫子は二つの見逃せぬものを見て取っていた。


一つは茶封筒の表に書かれていた『果たし状』の文字。


そして、もう一つは手紙を読んでいるときに一瞬だけ見せた少年の、阿修羅の笑み。



Act4 『蒼の修羅』



御稜高校近くにある、某有名メーカーの念気自動車の廃工場跡はかつてはたくさんの工場員達で賑わっていた場所であるが、今はその面影はまったくなく、赤茶けた鉄骨と使い道がなく売ることもできないで放置された壊れたゴーレムや、何かの錬気機械の残骸があるばかり。


窓ガラスは全て壊れて吹き抜けになっており、そこから入ってくる風はねっとりと湿っておりこれから雨が降ることを予想させる。


そんな廃工場に足を踏み入れた少年はがそこで見たものは、全員が例外なくスキンヘッドの異様な不良集団だった。


ある意味不良らしい不良の姿とも思えるが、それにしては服装は揃ってないし貧弱な体のものも結構多い。


なんだかしょうがなくスキンヘッドにしていますという印象を受けるのは少年の気のせいであろうか。


まあいい、とりあえずこの連中と仲良く話し合うつもりでここに来たわけではないのだから。


そう思ってずんずんとその集団の方に近づいていくと、この集団のヘッドと思われるいかついミノタウロスが何やら言い始めた。


「ふん、裏切りの種族らしくクラスメイトのことなぞどうでもいいと思って逃げ出すかと思ったが、あいつの言った通りのこのことやってきやがったな、ええ? 宿難 連夜。」


少年はその言葉に何の感銘も受けた様子もなくずんずんと進んでくるが、それに気付く風もなく、あるいは戦力となる人数の多さで自分達の絶対的優位を信じているからか、ミノタウロスはべらべらと自分の言いたいことをしゃべり続ける。


「『クラスメイトを無差別にリンチされたくなかったら一人で廃工場まで来い』・・そんなこと書いて渡したって来るわけないと思っていたが、あいつのいう通りほんとに一人でやってきやがって、おまえ、頭いかれてるのか? それとも本当は土下座して謝れば済むとか思っているのか? をいをいをい・・俺達を甘くみるなよ。そんなことで許すわけが・・おい!! いい加減止まって人の話を聞きやがれ、てめぇ、なめてんのか!?」


相も変わらずどんどんこっちに進んで来て、もうあと数メートルのところまで少年が来たところでやっとその異様な雰囲気に気がついたミノタウロスが慌てて少年を制止しようとする。


しかし、少年は無表情にこちらを睨みつけたまま、歩みを止めることなく向ってくる。


今まで気にも留めなかったが、少年は青い戦闘用と思われるロングコートに、中には黒い革のバトルスーツ、そして手には深い蒼色の手甲をはめている。


少年が完全にやりあうつもりでいることにようやく気がついたミノタウロスは、取り巻きのオーク族の少年達に慌てたように叫ぶ。


「も、もういい、とりあえず、やれ、やっちまえ!!」


ヘッドの指示を受けたオーク族の少年達は、手にした鉄パイプや角材を振り回しながら少年に殺到して行く。


こちらに迫ってくる不良の群れを見て少年は壮絶な笑みを浮かべ、ギリリと両手の拳を握り締めた。


「さて、やろうか・・」


いち早く少年の元にたどり着いたオーク族の少年が、奇声をあげながら鉄パイプを振り上げて少年に叩きつけようとする。


少年はそれを余裕をもって見つめ、そして、次の瞬間、オーク族の少年の体がまるで舞い飛ぶ埃のように宙を舞って逆方向へと飛んで行ってしまった。


あまりの出来事に、一瞬少年に殺到しようとしていた不良達は動きを止め、飛んで行った仲間のほうに視線を移す。


宙を飛ばされた少年はやがて工場の端っこに並べておいてあったドラム缶に頭から突っ込んで着地し、そのまま動かなくなる。


そのとんでもない光景を、不良達のヘッドのミノタウロスが、不良の少年達が、そして、襲われかけた少年自身も呆気に取られて見つめ、その後、この事態を引き起こした人物に目を向ける。


少年を守るように目の前に敢然と立ち尽すその人物は、同じ高校のブレザーにスカート、そして、スカートの下にはスパッツを身につけた、龍族の美少女。


「あ、あの・・ひ、姫子ちゃん? もしもし?」


自分の目の前に突如として現れた知り合いの少女の後ろ姿に、少年は恐る恐る声をかけるが、少女の背中からは凄まじいばかりの闘気が噴き上がっており迂闊に近寄ると火傷しそうだった。


「な、なに? なんだ? なんなんだ、てめぇは!?」


少女の登場が予想外だったのはミノタウロス達も同じだったようで、このとんでもない乱入者を恐怖と焦りの表情を浮かばせて見つめながら怒鳴り散らす。


そんな不良の一団を、軽蔑と憤怒の表情で睨みつけ、少女は決然と顔をあげて戦うために構えをとる。


「私の連夜に手を出すやつは・・全員まとめて地獄に堕ちろ!!」


少女の心からの怒りの絶叫が工場内に鳴り響き、暴力の嵐が吹き荒れる。


その拳で顔面を打ち抜き、腕の骨を叩き折り、足をへしゃげ、腹に膝を容赦なくぶち込み、そして、その胸板さえも肘の一撃で陥没させてしまう。


手当たり次第に不良達を、宣言通りに地獄へと叩き落していく龍族の美しい死の姫君の乱舞を、しばらく呆気に取られて見つめていた少年だったが、このままでは本当に洒落にならないことになりそうだと気づき慌てて止めにはいることにする。


「姫子ちゃん、ストップストップ!! もうダメ!! これ以上は無理!! やりすぎ!! いくらなんでもやりすぎ!! 暴れすぎ!! ちょ、ほんとお願い、ダメだったら、ねえ!!」


少年の必死の呼びかけも今の姫子の耳には届かない。


いったいどうしてここに姫子がいるのか、すべての授業が終わったあとの放課後、誰にも気がつかれないようにそっと教室を抜け出して公園近くの公衆便所に駆け込み、ボストンバッグに入れて持ってきた戦闘スタイルに着替えてここに来たわけだが、その間全然姫子に気がつかなかった。


尾行されていたらすぐに気がつくように訓練されている自分が、ここまで気がつかなかったことに、少年は非常にショックを受けて落ち込みそうだったが、それよりもとりあえず怒り狂って暴れている姫子を止めないと、このままでは『人』死にが出そうで恐ろしかった。


なんとか、姫子の傍に近寄ろうとするが、不良達の数が多すぎてなかなか傍に近寄れない。


「ちょ、君達どきなさい!! っていうか、実力に差がありすぎるっていい加減わかれ!! 数で押したって無駄だから、どきなさい、怪我人が増えるだけだから・・もう〜〜、姫子ちゃん!! 女の子がこんなことしちゃダメだってば、ねえ、姫子ちゃん、聞いてる!?」


勿論聞いてなどいなかった。


凄まじい鬼神のような暴れっぷりで確実に怪我人を増やし、そして、不良達の数を減らしていっていた。


このまま放っておけば不良達は殲滅されるであろうが、あまりにもやりすぎてしまうとあとあと少女自身の為にもならないし、なんとか頃合いを見て止めておきたいのだが・・


そう思っていた少年は、自分の近くに迫る強烈な殺気に気づき、周囲を見渡した。


しかし、目の前で繰り広げられている暴力の嵐の喧噪のおかげでいまいち位置を特定できない。


「くっそ、どこだ・・」


目の前の少女も気になるため、焦ってしまってなかなか相手の気配を正確に掴むことができない。


再び工場の中を見渡して不審な人影がないか探しにかかるが、そんな影はどこにも見当たらない、しかし、確かにその気配は感じる、強烈で独特な『死』と『破壊』の気配。


もうすぐ傍に感じるというのに特定できない、こうなったらせめて目の前の少女だけでも逃がさないとと思って、少女を取り囲む不良達の集団に目をやったときに、ふと不自然な光景に気がついた。


全員がスキンヘッドで統一されていた不良集団の中に、青黒い髪の毛の大柄な人影の姿が見える。


そこに意識を集中して少年は、それこそが自分が探していた目的の標的であることを悟り、力一杯大地を蹴って走り出し加速する。


するとそれを待っていたかのように、突如としてその人物の体が爆発的に膨れ上がり、見る間にその体は三メートルに及ぼうかという巨体へと変化する。


黒い不気味にてらてらと光る外骨格に包まれてはいたが、その姿はまさに二足歩行型の肉食恐竜のそれで、背中の腰椎からは巨大で凶悪な尻尾がずるりと伸びている。


自分の仲間達だと思っていたものの中から突然化け物が出現したことに、不良達は呆気に取られた表情でそれを見つめていたが、それは自分の周囲に群がるそれらが邪魔だと言わんばかりにその凶悪な尻尾を振り回して薙ぎ倒す。


まるで壊れたおもちゃが子供の疳癪で吹き飛ばされるように吹っ飛んで不良達は次々と廃工場の壁に叩きつけられて動かなくなる。


そして、それを見届けたあと、それはゆっくりと頭を中心に立つ姫子へと視線を移した。


姫子は年齢の割にはそれなりに修羅場を経験してきた少女である、凶悪な不良達は勿論、達人といわれる人達とも手合わせたことがあるし、『人』外のものとも戦ったことがある。


しかし、そんな姫子も未だに戦ったことがないものがある。


それは全ての『人』類の敵、『害獣』だ。


一応『労働者』や『兵士』といわれるクラスの『害獣』を見たことがあるが、それよりもクラスの『害獣』となると戦ったことは勿論、見たことすらない。


そして、当然それらが放つ『人』の心の根源そのものに与える深い恐怖についても体験したことがない。


姫子は今それを実際に体験し、完全に動けなくなってしまっていた。


怖いもの知らずでどんな窮地にも平静心を失わないはずの自分が、恐怖に捉えられて小動物のように震えていることが信じられなかったが、実際に姫子は愕然としながら目の前で自分を捕食しようとしている凶悪な生物をただ見ることしかできなかった。


食われる・・自分はこの生き物に食われて死ぬ。


直感的にそう悟り、絶望に心が塗りつぶされそうになる。


助けて・・


声にならない声が心の中に響くが、それを口に出すことすら今の姫子にはできなかった。


ゆっくりと目の前でその凶悪な生物が不自然に発達した黒く巨大な片腕をあげていき、そして、それが風を切って自分へと振り下ろされてくるのが見えた。


涙で濡れた目で死を覚悟した瞬間、その死の風が自分を掴み損ねて通り過ぎていくのを感じた。


ふと気付くと自分は横抱きに誰かに抱かれていて、あの黒い凶悪な生物から大分離れたところに移動していることに気がついた。


涙で濡れてよく見えない眼であったが、顔をあげてみると、そこには安堵と喜びの表情を浮かべた友人の顔があった。


「よかった・・間に合って本当によかった・・姫子ちゃん、ごめんね、本当にごめん、怖い思いをさせちゃってごめん。」


そう言って苦しそうに、切なそうに、そして何よりも哀しそうな表情を浮かべた少年は、そっと姫子の体を地面の上に下ろす。


姫子はそんなことないと言おうとしたが、さっきのショックのためかうまく言葉を発することができないで、ただ口を動かすだけ。


そんな姫子に少年は、困ったような笑顔を向けていたが、やがて何かを覚悟したような真剣な表情を浮かべてまっすぐに姫子の瞳を見詰めた。


「姫子ちゃん、ここにいてね。僕が絶対守るから、姫子ちゃんは僕が絶対守ってみせるから、今だけでいい。僕を信じて。」


姫子はその言葉にこっくりと頷いてみせた。


どこか悲しみを帯びたその言葉にいつもの少年とは違う何か違和感があったが、それでも姫子はこの少年を信じることを迷わなかった。


ただ、少年の最後の言葉だけがどうしても心に小さなトゲとなって残った・・少年が何故今更そんなことを自分に言うのかわからなかったのだ。


自分はこの少年を、宿難 連夜を信じていることは知っているはずなのに。


そんな姫子の内心の葛藤を知ってか知らずか、少年は姫子にもう一度笑顔を見せて立ち上がると、振り返って後ろにいる黒い巨大な化け物のほうを決然と見つめた。


化け物はまるで少年を警戒しているかのように、その場に立ち尽くして油断なく少年を観察しているようだった。


少年は一度目を閉じて何やら瞑想していたが、ふっと目を力強く開眼すると化け物を睨みつけた。


「ようやく出てきてくれたな、出来そこない。その姿から察するに、そろそろ時間切れなんだろ、あんた。」


その言葉を聞いた化け物は、苦しげな、しかし、まだ『人』と思える声で答えを返す。


「す、宿難 連夜・・貴様の持つ・・『勇者の魂』を・・わたせ・・」


「断る。」


化け物に即答してみせる少年。


その言葉をある程度予想していたのか、化け物はそれほど焦るような素振りもみせずに唸り声をあげると、少年に向かって一歩一歩と歩みを進ませ始めた。


「ならば・・予定通り、力尽くで奪い・・とるのみ・・」


「それも断る。そもそもそれを持ってなんとする? もう今のおまえは手遅れだ、『人』として大人しく力を使うことなく暮していれば、『害獣』になんぞになることもなく静かに生を全うできたものを、なぜにそれほどまでに力に執着する?」


「だまれ・・黙れ、だまれ、ダマレエエエエエエ!! 貴様に・・何がわかる!? 超人的な力が手に入るというから・・協力してやったのに、とんでもない爆弾まで背負わせられた俺達の気持が貴様なぞにわかってたまるか!! 脆弱な・・種族として生まれた俺達が、上位種族の馬鹿ども・・すべて駆逐し、君臨するんだ!! 金も、権力も、女も、すべて意のままになるはずだったのに!! 『害獣』になんぞ・・なってたまるか!! よこせ・・その貴様の『勇者の魂』をよこせえええええええ!!」


そう絶叫しながら、化け物は地響きを立てながら少年に向けて突進してくる、その巨体からは考えられないとんでもないスピードで。


そして、あっと言う間に少年との距離を縮めた化け物はその巨大な腕をとてつもないスピードで振り下ろす。


後ろでそれを見ていた姫子は、少年が殴りつぶされる光景を予想し、悲鳴をあげそうになるが、恐怖から未だに回復できずに声は出ないまま凝視するのみ。


惨劇の瞬間。


ザンッ!!


何かを切り裂く斬撃の音が工場内に響き渡り、姫子の頭上を飛び越えて飛んでいった何かが工場の壁にあたり、轟音と共に落ちていった。


「グギャアアアアアアアアアアア!!」


刃物で切り裂かれたと思われる断面をから、とんでもない量のどす黒い血液のシャワーを吹き出しながら化け物は地面をのたうちまわる。


「き、きさ・・貴様、俺の腕をおおおおお!!」


宿難輝輪流(すくなきりんりゅう) 剣闘剛術(けんとうごうじゅつ) 空円斬(くうえんざん)


静かにそう呟く少年の右手には、いつのまにか一本の白い木剣が握られていた。


「なぜだ!? 宿難 連夜が剣術を使えるなんて情報はなかった!? しかも、宿難輝輪流だとお!? それは俺達『倚天屠龍(G-バスター)』タイプの元になったオリジナルの男が使っていた流派のはず!? 何でお前が使える!?」


腕を失いながらもその巨体を立ち上がらせた化け物は、尚を油断なく少年を見詰めながら隙を窺う。


だが、少年はむしろ憐れむような視線で化け物を見詰めるとその手に持つ白く輝く木剣をゆっくりと目の前にかざし、その刃の部分を指でなぞっていく。


「真の勇気あるものの魂より作られ、その名の一字を与えられし今は我が魂の一部である汝に問う、汝はなんぞ?」


『我が名は『大通連』』


「汝は何のために作られ、何のために存在する?」


『我は『人』の夢のために生まれた、この力、この刃はそのためのものだ!!』


「ならば、それを守るために我と共に駆けよ『大通連』!!」


『承知!!』


その言葉と共に少年が持つ木剣の刀身が光り輝きはじめ、その光は木剣そのものを起点とする巨大な刃となって収束する。


「そ、その剣は『勇者の魂』で・・そ、それをよこせ・・よこさんか、こぞおおおお!!」


少年の手に持つものが自分の目的のものであるとわかった化け物は絶叫しながら少年に突進してくる。


そのぬめぬめと光る全身の外骨格から幾つもの鋭い槍のような骨が突き出して、少年を串刺しにするつもりだ。


少年はそれを慌てることなく待ち構えてゆっくりと手にした光の剣を両手で構えると、ザシュッと後ろ脚を引くとビシッという刃音を立てて剣の峰を返す。


そして、細めた眼で狙いを定めると腰を低くして大地を蹴った。


そのとき少年の脳裏にもう取り戻せない小さな命と交わした最後の会話の記憶が走る。



『ねえ、そうくん・・いつか、人間になって戦わなくてもよくなったらさ・・いつか、二人で世界を見て回りたいな。いろいろなところを・・』


『おお、いいね〜。僕も行ってみたいところがいっぱいあるよ。人間になったらさ、異界の力がないから『害獣』に絡まれることもほとんどないしね〜。』


『ホントに? 約束してくれる?』


『うん、約束だよ。』


『ありがとう、そうくん・・忘れないでね・・』


『当たり前じゃん。絶対忘れないって。』


『・・私のことを・・』


『え、何か言った?』


『ううん、なんでもないよ。えへへ、やさしいそうくん・・大好きだよ・・』



その笑顔は二度ともどらない、あの時交わした約束が果たされる日も二度とこない・・


あの美しい笑顔はもうどこにもない、あの気高い魂はどこにもない、あの小さな体はもうどこにも・・


ただ明日を生きていたかっただけなのに、彼女は平和に普通に暮らしていたかっただけのに・・


「生きることさえ・・明日を生きることさえ許されなかったものもいるっていうのに、貴様らは・・明日を生きる命を持っていたのに・・そんな大事な命があったっていうのにまだ何かがほしいのか!? ふざけるな・・ふざけるんじゃねえええええっ、彼女の命を踏み台にして生きてきた貴様らに、これ以上何一つやるものはない!!」


哀しみの絶叫と共に失った小さな命を想い少年は駆ける、彼女から奪われた明日を取り戻し、今は天にある彼女に返すために。


「彼女が与えたその明日、いまこそ返してもらうぞ『倚天屠龍(G-バスター)』タイプ ゼロファイブ!!」


巨大な黒い化け物の影と、小さな少年の影が交差し一瞬のうちに交差して、再びその距離が離れる。


交差して離れていった二つの影はしばらくの間微動だにせずに互いに背を向けた状態で動きを止め、静かに時間だけが流れて行った。


どれくらいの時間を姫子は息を呑んでその光景を見詰めていただろう、やがて、突然静寂を破って黒い化け物が狂ったように笑い始めた。


「あはははははは・・そうか、そういうことか・・貴様が誰だかわかったぞ・・なるほど、貴様なら我々の手口がすべてわかっているのも道理だ・・だがな、覚えておけ、他の奴は俺のようにはいかんぞ、特にタイプ ゼロツーはな・・あいつは貴様らの技をすべて会得している、それでも勝つことができるかな? 続きは地獄でゆっくり見せてもらうぞ・・俺達の元になりし『人造勇者』宿難 凱の息子よ・・」


そう言って化け物の体は足元から白い粉のようなものとなって次第と崩れおちていく。


振り返った少年はその様子を哀し気な表情でじっと見つめている。


「さらばだ、『人造勇者』より生れし人間・・宿難(すくな) 蒼樹(そうじゅ)!!」


そして、化け物の頭部までもが白い粉となって崩れ落ちると、そこには白い粉の小山だけが残った。


少年はその小山に近づくと両手をあわせ静かに瞑目し、やがてぽつりとつぶやいた。


「関係ないよ、彼女の明日で生きている貴様らから、彼女の明日を一つ残らず取り戻し、彼女が待つ天へ返す。」


こうして一つの死闘が終わった。


しかし、この死闘が終わることで、何かが始まろうとしていた。


少年と化け物の会話を聞いていた姫子は、自分が聞いてしまった内容の意味がわからず、ただ立ち尽くし、合掌を続ける少年を見詰め続ける。


「宿難・・蒼樹(そうじゅ)って・・どういうことなの!?」


 

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