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~第22話 岐路~

「え・・」


 リンは自分の耳に入って来た言葉の意味が理解できずに、正面に座る包帯男の方を見た。


 包帯男の表情は当たり前であるが、顔が完全に包帯でぐるぐる巻きになっているため全く読めない。

 

 しかし、自分が相当に驚いた顔をしているはずなのに、動揺している様子は微塵もみられない。


 聞き返す自分のほうを見てるのか見てないのかわからないまま、陶器の湯呑に入った玄米茶をすする。


 しばし、空気が凍りついたような静寂が六畳の部屋を支配する。


 このまま、時が止まってしまうのではないかと思ったそのとき、最愛の恋人である包帯男が再び自分を絶望させるあの言葉を口にした。


「リン・・おまえ、男に戻れ」


 脳味噌がはっきりとその言葉を理解するのを拒もうとするが、別の自分が勝手にそれを理解する。


 リンは、なぜこうなってしまったのか、自分が何を間違えてしまったのか必死に回想する。


 今日、カラオケに行くと念話で伝えた時の恋人は特に変わった様子もなく、いつものように優しい口調で『気をつけてな』と言ってくれていた。


 その後、自分がカラオケから帰ってきて、それほど間を置くこともなく家に恋人は帰ってきた。


 恋人は食事を作っておくから、先に風呂に入っておけと言ってくれ、悪いと思いつつも結局リンは先に風呂に入った。


 しかし、これはいつものことで、恋人はこんなことで怒ったりはしない。


 自炊ができないリンに、『ぼちぼち覚えていけばいい。焦ることはない』と言ってくれていつも食事を作ってくれるし、風呂の準備もしてくれる。


 悪いと思うし甘えていると思っている。


 自分を変えなくてはいけないと思うが、恋人はいつまでもそうしようとしない自分に怒っているのだろうか?


 いや、違う。


 長年付き合っているが、そんなことで怒る恋人ではない。


 先にキレてしまうリンをずっと支えてきてくれたかけがえのない人なのだ。


 そんなわけはない。


 では、食事のときか?


 いや、それも違う。


 風呂からあがった後、いつもと同じように今日あった出来事をお互い話ながら、笑顔で食事を済ませた。


 これも違うはずだ。


 では、なんだ?


 その後はもうない・・今につながるだけのはず。


 食事の後、恋人が話があるといって、ちゃぶ台に玄米茶の入った湯呑を持ってきて、リンに座るように言った。


 何事だろうと思いながらも、そんな深刻な話ではないとタカをくくっていた自分に恋人は、若干迷うそぶりを見せながらも口を開いた。


「もういいだろう。おまえは十分がんばったと思う。だから・・」


「だから?」


 何をがんばったのか、だからなんなのか、さっぱりわからないリンに、恋人ははっきり言った。


 一番聞きたくなかった言葉を。


「リン・・おまえ、男に戻れ」


 どうしてもわからない。


 いったいなぜそうなったのか。


 リンは顔を真っ青にしながら、正面に座る恋人に自分でもわかる震える声で聞く。


「な、な、なん・・で・・」


 リンの質問に、しばらく異様に静かに考えていたロスタムだったが、覚悟したような口調で話し始めた。


「なあ、リン・・おまえ、今日、クリスにメールを送っただろ?」


「メー・・ル・・あっ!?」


 ロスタムの言葉の意味が一瞬わからなかったリンだったが、すぐにそのメールの内容について思い出した。


 文章についてはどうということはない、しかし、そのメールに張り付けた内容については決してほめられた代物ではなかった。


 それどころか、下手をすれば犯罪の証拠ですらある。


 それか、それのことで激怒しているのか。


 恋人から発せられるであろう怒声を予想して、リンは身をすくませるが、その予想に反して恋人の声は非常に静かで優しい響きに満ちていた。


「そのメールについてどうこう言うつもりはないんだ。いや、確かに最初あの動画を見た時は怒りもしたし呆れもした、帰ったら絶対そのことについてとことんおまえと話し合おうと思っていた。しかしな、リン。あの動画を取ったとき、おまえがどんな気持ちだったか考えた俺は、もうおまえを責めることはできなかったよ。男なら、あれだけの美少女達に囲まれた状態におかれれば、誰だって舞い上がるさ。ましてや、おまえは今は女だが、十六年近くを男として生きて来たんだ。それを俺のためだけに女になることを選び、女になる努力をしてきた。俺はそれをよく知っている」


 ロスタムは、一つ溜息を大きく吐きだして一旦言葉をきると、からからに乾いた喉をうるおすために玄米茶をすする。


 そして、湯呑を音もなくちゃぶ台の上に置くと再び口を開いた。


「もう、いいだろうリン、もう十分だ。親友のリンにもどればいい。今までだってそうだったし、これからだってそれでいいじゃないか、俺はそれで十分だ。性別変化ができなくなる前に、もう一度男にもどれリン」


 怒るでもなく悲しむでもない、むしろ優しく自分のことを心から心配してくれている者が出せる声だった。


 しかし、その声は逆にリンを絶望へと追い込む。


 なんで、女の自分を否定するのか。


 なんで、男の自分を肯定するようなことを言うのか。


 哀しくて切なくて苦しくて涙が溢れてきて声も出ないリン。


 自分のことを見てくれない恋人に、こっちを見てと言いたいのに声が出ない。


 そう考えた時、リンの頭の中に何かがよぎる。


 はっとして横を向いたリンは、自分の真横に座る誰かの幻を見た。


『なぁ、もういいだろ、あいつには俺が必要なんだ。俺にあいつが必要なように、あいつにも俺が必要なんだ。俺にあいつを返してくれよ』



 苦笑しながらこっちを見るのは、ガリガリの体、メガネの奥でギラギラと光る狂犬の目、白いざんばらの髪をした少年。


 その姿を見た時に、リンはもう一つの事実に気がついた。


 恋人のあの声。


 あれは、いつもいつも無茶ばかりして、心配ばかりかけるガリガリの身体の少年に向けてかけられていた声。


 あれは。


 あのガリガリの狂犬のような少年は。


『男の私だ。男の私なんだ。ロムが見ているのは、私じゃなくて、あいつなんだ。いやだ・・そんなのいやだ!!』


 それがわかったとき、リンの中で何かが弾けて消えた。


 ロスタムの言葉を聞いてからずっと、顔を伏せて涙を流し肩を震わせていたリンだったが、不意に立ち上がると身につけていたTシャツやブラジャー、スウェットパンツにパンティーまでも脱ぎ棄て、完全に素っ裸のまま仁王立ちし、呆気に取られて座ったままのロスタムを睨みつけた。


「わ、私は、あいつじゃないっ!!」


「な、なにぃ!! り、リン、ちょ、ちょっと待て!!」


 慌てふためくロスタムに構わず、リンはずんずんと近づいてその前にしゃがみこむと、その包帯だらけの両手を取って、片手を豊満な胸に、もう片手を自分の女の象徴に押し付ける。


「もう、あいつじゃないの・・私はあいつじゃないわ。確かに私はあいつだった。ずっとあいつは私の中にいた。それは間違いない。でも、それは、あなたが消させてくれなかったから・・あなたが望み続けたら、私はあいつをずっと消すことができないじゃない!!」


 ロスタムの前で顔をくしゃくしゃにして涙を流し続ける少女は、いったい誰なのか。


 いや、ロスタムにもわかっていた。


 これが誰かわかっていた。


 ちゃんとわかっていたが、どうしてもあいつを消すことができなかった。


 どちらかを消すという選択を、ロスタムはできずにいたのだ。


 どちらも大事なリンなのだ。


 ロスタムにとってはどちらも大事な人なのだ。


 しかし、それは同じ人間であり、片方は片方であることをやめたがっている。


「お願い、ロム、お願いよ。私を見て。あいつじゃなく、私を見て」


「お、俺は・・」


「だめよ!! そっちを見てはだめ!! 私を見て!! 私だけを見て!! あいつは確かにあなたと私にとって大事な一部だわ。あなたと一緒に駆け抜けた中学時代の大事な思い出なのは、わかってる。

あなたがあいつを必要としていることもわかっているわ。恋愛の対象じゃなくて、大事な親友として、掛け替えのない仲間として。そういうものがいなかったあなたにとって、それがどれだけ大事なものかってことはわかってる。わかってるの!! でも、私は望んだの。それ以上になるって望んだの。あなたの恋人になって、あなたの妻になって、あなたの子供を産み、あなたと死ぬまで一緒にいるって。だから・・だから、お願い!!」


 リンの必死の言葉は、ロスタムの中に最後まで残っていた何かを無造作に踏みつぶして壊した。


 ロスタムは自分の顔が包帯でくるまれていて本当によかったと思った。


 今の顔を目の前の恋人にだけは絶対に見られたくなかった。


 いろいろな思い出が脳裏をよぎったし、いろいろと言いたいことが口から出そうになったが、ロスタムはその全てを心の中で握りつぶした。


 それはあとで思い出して自分だけが静かに泣けばいい。


 あいつのために。


 ロスタムは大きく深呼吸をすると、悟られないようにいつもの平静の声を出した。


「わかった。もう二度と男にもどれとは言わない。本当におまえのことは女として見るし、男のおまえのことは忘れる」


 恐らく今のままではすぐにそうはできないだろうが、それでもロスタムは徐々にそうするつもりで心からそう言った。


 だが、リンは・・ロスタムの心を知り、男だった自分とはっきり決別したリンは、最早先程までの男と女の間を行き来する中途半端な生物ではなかった。


 リンは、ロスタムの心を完全に見透かしていた。


 さっきまで全く掴めなかった彼の心が今は手に取るようにわかった。


 彼の心にまだあいつへの想いが残っていることを。


 それがわかったリンは、涙の残る顔に残酷なまでに美しく妖艶な笑みを浮かべてロスタムを見て、口を開いた。


 あいつを完全に殺すための言葉を。


「・・抱いて」


「・・は!? え、ちょ、ま、待て待て待て!! い、今、なんて言った?」


 ロスタムの脳味噌に目の前の少女の口から出た言葉が到達し、それを処理し、理解するまでの間非常に長い時間がかかった。


 それまでロスタムは、唯一包帯から見えている口を、最大限に開けてあほみたいに固まっていたわけであるが、リンは決して焦らなかった。


 恋人は絶対に呆けた顔をしながらも必死で逃げ道を探している。


 でも逃がすつもりは毛頭なかった。


「ま、待て、リン、今なんて言ったのだ?」


「何度でも言ってあげる。私を抱いてって言ったの」


「ちょ、ちょっと待て、おまえ意味わかってるか!?」


「わかってるわ。私を女にしてって言ってるの。あなた自身の手で私を本物の女にしてって」


 リンの壮絶な笑顔から繰り出される言葉に、ロスタムの体中から冷や汗が流れ出して止まらない。


 いくら朴念仁のロスタムとて、今のリンが本気中の本気であることくらいわかっていた。


 勿論、いずれはそういう日が来るとは思っていた。


 しかし、それはいつかまたの日であって、今日、しかも今であるなんて誰が予想するだろうか。


 苦しい言い訳でもなんでもいいから、とりあえず、逃げだしたかった。


 そして、幸いにも苦しい言い訳にならずに済む、正統な理由がロスタムには残されていた。


 密かにその理由を作ってくれることになった、新しい友ナイトハルトに感謝しながら、ロスタムは勝利を確信してその理由を口にした。


「いや、ほんとに待ってくれ、リン。おまえの想いに応えたいのはやまやまだが、見ての通り俺の怪我は治ってない。この怪我がなおってから・・」


 ロスタムの話が終わる前に、リンの両手がロスタムの顔面に伸びる。


 そして、ロスタムが反応するよりも早く、その包帯が無残に引きちぎられた。


 リンは、そのむき出しになった顔を掴んで自分の顔を近づけると、その濡れ濡れと光る赤い唇をロスタムのそれに押しつける。


 しばらくロスタムのそれを存分に貪ったあと、恍惚の表情で放し、茫然としているロスタムに口を開いた。


「流石バグベア族の超回復力ね。すっかり無傷、きれいなもんだわ」


 と、傷一つなくなっているロスタムの顔をうっとりと眺める。


 ロスタムは自分の逃げ道がすでに完全に塞がれていることを悟り、トドメを刺す気満々のリンを諦めにも似た苦い表情で見つめた。


「ほんと〜に、考え直すつもりはないか・・リン」


「ないわ。だって、私が私になるために必要なことだもん。それに、他の誰かじゃなくて、あなたに女にしてほしいの。もう、男の真似事はしないように、あなただけの女になるように」


 そこまで女に言われて断れる男がいるだろうか。


 ましてや、相手は自分が愛する女である。


 ロスタムは返事をする代わりに、目の前のリンを引きよせ、リンは今度こそ正真正銘の女になるためにロスタムに身を委ねた。



~~~第22話 岐路~~~



 城砦都市『嶺斬泊』の中でも特に賑わいを見せるのが、『サードテンプル中央街』。


 三車線分ほどもある、天井の高い雨避けのアーケードのついた歩行者専用道路が隣駅である『ルートタウン』近くまで続いていて、その両側には実に様々な商店が並んでいる一大商店街である。


 夕方の十八時以降になると、会社帰りのサラリーマンや学生でごった返し、歩くだけでも一苦労なほどの人ごみになる。


 そんな商店街の中であるから飲食店も数多くあり、グルメ雑誌にも紹介されるような名店も数多く存在している。


 そのうちの一つ、『トレント』という喫茶店は、丸太作りのロッジ風の内装に壁の各所には緑の濃いい蔦がいやらしくない程度に絡ませてあり、また、店のあちこちに植物が配置され、いかにも森の中という落ち着いた空間が非常によくできた店である。


 勿論、店の中の見た目がいいだけではない。


 コーヒーも美味しいのだが、どちらかといえば非常に紅茶のおいしい店で、その紅茶に合うケーキを厳選しておいてあることでも有名である。


 玉藻はこのお店を非常に気に入っており、久しぶりにあった知人とゆっくり話をするのに、迷わずここを選んで入ったのだった。


「ほんと〜に、久しぶりですよねえ、ティターニア先輩」


 目の前に座る懐かしい顔を見ながら、玉藻はお気に入りのチーズケーキをぱくりと口の中に放り込んだ。


 そんな変わらぬ後輩の姿を見て、ティターニアは嬉しそうに微笑む。


「ほんと、如月さんは相変わらず変わらないのね。なんだか、安心したわ」


 穏やかで優しい口調で話しかけてくるティターニアに、玉藻は若干いやな表情を向ける。


「先輩、あの・・私の前ではやめていただけませんか? 今更、そういう話し方で話かけられても、先輩のことはいやというほど知ってますし・・」


「う・・まあ、そうなんだけど、なんとなく癖でつい・・あ〜、じゃあ、玉藻ちゃん、久しぶり、元気そうでなにより。これでいい?」


 玉藻の言葉を受けて、途端に砕けた口調になるティターニア。


 そんなティターニアを苦笑を浮かべながら見る玉藻。


「そうそう、それこそいつものティターニア先輩ですよ。ただでさえ外見がいいから、ああいう口調されると、どこの深層のお嬢様かって思いますもん。実態を知ってるだけに、まるで別人を見てるみたいで気持ち悪いです」


「ひど!! 私が深層のお嬢様じゃないみたいじゃない!!」


「全く違うじゃないですか」


 疲れたように言って、目の前で怒るティターニアを呆れた表情で見つめる玉藻。


 ティターニアとの付き合いは、玉藻が中高一貫性の女学校に入学したときから始まっている。


 当時、玉藻は中学一年生、ティターニアは四つ年上の高校二年生であったが、その学校は全寮制で、ティターニアは高校生でありながらその学校の関係者であったこともあり寮の管理を任されていた。


 それだけならただの顔見知りで終わるところだったが、どっこい玉藻には人よりもド派手に目立つことを自他共に認めるとんでもない親友がいたことで、否が応でもお世話になることになってしまい結局中学校卒業し、別の高校に進学するまでひたすらお世話になりっぱなしになった人であった。


 正直、ティターニアに借りがあるのは全面的にその親友にあると思っているが、それでもその親友のピンチを何度も救ってくれたこの目の前の人物に好意を抱いていないわけはない。


 実は玉藻、その親友が受けた恩を少しでも返せる機会かもしれないと思い、ティターニアをここに連れてきたのであった。


 玉藻は今日、ティターニアに会うべくして会っているわけではない。


 あの衝撃的な昨日の出来事から一夜明けて、痛めつけられてほぼ再起不能になってる祖父母や両親、それに脱税の件で思いっきり叩かれている実家のことはどうでもよかったが、中央庁管轄の福祉課に保護されているという妹、晴美のことだけは気になって仕方なく、今日思い切って『サードテンプル』の南にある中央庁舎を訪ねて見たのである。


 しかし、予想していたとはいえ、中央庁の担当者は晴美の居場所はお教えできないと、丁寧ながらもけんもほろろに断られ、できるだけ粘ってはみたのであるが、結局何一つ教えてもらえないまま追い返される結果になってしまった。


 そんな玉藻が中央庁舎の一階ロビーからすごすごと退散しようとしていたとき、玉藻の目に懐かしい人物の姿が目に入ったのである。


 それが中学校時代に世話になったエルフ族の女性の先輩、ティターニアだった。


 すぐにティターニアに声をかけようと思ったのだが、そのときティターニアは一人ではなかった。


 目の前には紺色のビジネススーツをビシッと決めた、三十前後と思われる容姿の男性が立っていた。


 短髪の黒髪に、額からは二本の角が生えており、顔は精悍でありながらどこか優しさを感じる整った顔立ち、身長は百八十前後だろうか、スーツの上からでもがっちりした筋肉質の体であることがわかる。


 ティターニアはその男のほうをうつむき加減に向きながら、何やら話しこんでいて、やがて、話が終わったティターニアは男性に見送られて庁舎を出て行った。


 玉藻は、急いであとを追った。


 理由は簡単である。


 男性と話をしていたときのティターニアの表情が、無理矢理笑顔を作っているものの、非常に悲しげであったからだ。


 玉藻はとぼとぼと帰ろうとしていたティターニアを後ろから捕まえて声をかけ、ここに連れて来たのである。


「それにしても何年ぶりですか、先輩と会うのって。中学卒業してからだから、六年になりますか」


 チーズケーキをあっというまに食べ終わった玉藻は、オレンジペコを一口飲んで喉を潤しながらティターニアを見る。


「そうねぇ、もうそんなになるのねぇそういえばミネちゃんは元気?」


「う、先輩、いつも私とあいつがセットって思ってますね」


 心底嫌そうに顔を歪める玉藻を、不思議そうな表情で見つめるティターニア。


「違うの?」


「・・否定できないのが残念です・・」


 がっくりと肩を落とす玉藻。


「じゃあ、やっぱり一緒なんだ。その口調だと相変わらずみたいね、ミネちゃんは」


「もう毎晩毎晩呑みに来るから困ってます。うちは呑み屋じゃないっつの」


「あははははは。ほんとミネちゃんらしいわ」


 学生時代の玉藻達を思い出したのか、大笑いするティターニアを恥ずかしそうに見つめる玉藻。


 その話題を変えるべく玉藻は別の話題にもっていく。


「先輩は今何していらっしゃるんですか?」


「ん〜、玉藻ちゃん達は?」


「私とミネルヴァは大学通ってます。回復術を専攻してるんですけどね」


「そうなんだ・・私はいま御稜高校で教師やってるわ。実は玉藻ちゃん達とちょうど入れ替わりで入ったの」


「え〜〜〜〜〜〜!!」


 世間は狭い。


 まさか自分やミネルヴァが通っていた、そして、今は恋人の連夜が通う高校の教師に自分の先輩がなっているとは。


 と、いうか、連夜のこと知ってる可能性が大ということに・・


『やばい、連夜くんのことは悟られないようにしよう・・』


 内心で冷や汗を流しながらも笑顔を崩さないようにする。


「そうなんですか、なんだか因縁ですね・・」


「そうねぇ・・」


 『因縁』という言葉がティターニアの心の何かに引っかかったのか、一気にその表情に縦線が入る。


 玉藻はそろそろ核心に入ろうかと思い口を開く。


「先輩、さっき中央庁舎でかっこいい男性と会ってましたけど、彼氏さんですか?」


 努めて明るく質問する玉藻だったが、肝心のティターニアは先程男性に見せていたのと同じ無理矢理とわかる笑顔を作って玉藻を見つめていた。


「彼氏・・ではないわ・・」


「ちがうんですか」


 ティターニアの言葉に、どうも自分が見当違いなことを考えていたらしいと一瞬思った玉藻だったが。


「結婚する相手かな・・」


「ああ、結婚される相手ですか・・って、はぁっ!?」


 彼氏じゃないけど、結婚する相手?


「えっと、お見合いですか?」


「ううん」


「職場結婚ですか?」


「ううん」


「婚活ですか?」


「ううん」


 じゃあ、なんだというのか?


 玉藻はわけがわからなくなり、とうとう適当に聞いてみた。


「知りあい程度の人にプロポーズされて受けちゃったみたいな感じですか?」


「うん」


「な〜んだ、そうなんだ・・って、ええええええええええ!!」


 驚きに目を見開いて自分を見つめる玉藻から逃れるように、顔を背けるティターニア。


 その表情から嘘を言ってるようには見せず、玉藻は非常に複雑な表情で自分の頬をぽりぽりとかいた。


 しばらく黙ってティターニアを見つめていると、沈黙に耐えられなくなったのか、ぽつりぽつりとしゃべりだした。


「以前、ある事件でお世話になった方なの。すごい優しくていい方でね。どこが気に入ったのか私のこと好きだって言ってくれて・・結婚してほしいって前から言われていたの。ずいぶん返事を先延ばしにしていたんだけど・・今日、決心がついたから、お受けしますって言ってきたところだったのよ」


「あ、ああ、そうなんですか。おめでとうございます」


「・・ありがとう」


 そういって再び二人の間に沈黙が流れる。


 別に放っておいてもよかった。


 ティターニア自身が自分で決断したことなのだ。


 玉藻が口を出すべき問題ではない。


 と


 二週間前の自分だったら、ここで愛想笑い一つ浮かべて席を立って、さようならと言っていただろう。


 しかし・・残念なことに・・非常に残念なことに、今の玉藻の心には完全に完璧に自分自身を独占する人物が居座っている。


 その人物を知った今となっては、目の前の人物の心情がわかりませんとは言えない自分がいるのだった。


 厄介なことに踏み込もうとしてるよなぁと自覚しつつも玉藻は口を開いた。


「先輩・・先輩、今、自分がどういう表情してるかわかってます?」


「・・え」


「それ、結婚を前にしてマリッジブルーになってる人の表情じゃないですよ。そういう表情をしていた人を何人も知ってますけど・・言っていいですか?」


「う・・」


 玉藻の言葉が、鉄壁の笑顔に亀裂を走らせる。


 そして。


「その先輩の表情・・それ愛している男に捨てられた女の表情ですよ」


「!!!」


 ティターニアの表情の上に作られていた笑顔という壁はもろくも崩れ去り、一番突かれたくなかった急所を一撃で粉砕されたティターニアは顔を覆って号泣し始めた。


 そんなティターニアをしばらく黙って見つめていた玉藻は、確実に厄介なことになると理解しつつも更に踏み込むことを決心した。


『ごめん、連夜くん。やっぱりこの女性(ひと)ほっとけないわ。連夜くんとのことバレてもなんとかするから、許してね』


 と、一応心の中で謝罪を入れる玉藻。


 しかし、多分、自分の自慢の恋人は例えそうなったとしても『いいですよ』と、優しい声で許してくれるだろうなあと確信犯なことをちゃっかり考えていたりするのだが。


 ともかく、玉藻はティターニアがしゃべれるようになるのを見計らって声をかける。


「私じゃ大してお役に立てないでしょうけど、お話だけでも聞かせてくれませんか、先輩。これでも中学時代に受けた恩は忘れてないんですよ」


 茶目っ気たっぷりにそういう後輩が、なぜか異様に頼もしく見えたティターニアだった。



 ・・そして、ちょうどその頃の宿難家食卓。


「へ、へ、へっくち!!」


「連夜さん、過邪ですか?」


「お兄様大丈夫ですか?」


 くしゃみをする寸前、食卓から顔をそらして唾がご飯の上に飛ぶのを防いだ連夜は、鼻を手でこすって身をぶるぶると震わせた。


 そんな連夜を横で一緒にご飯を食べていた晴美とスカサハが心配そうに見つめる。


「い、いや、なんでもないよ・・ちょっと、誰かが折角穏便にすみそうな事を、すっごいもめそうな方向に持って行きそうな気配がしたものだから・・」


「え、もめそうって、何がですか?」


「お兄様、何かまた厄介事に巻き込まれているのでは・・」


「い、いや、あははは・・ごめん、なんでもない・・ま、まあとにかく、ご飯食べましょう、ね」


 あははと笑ってごまかす連夜だったが、なんとなく自分の嫌な予感が当たりそうな気がして、もう一度身震いするのだった。


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