第九十二話 救いの手 二
「ここを過ぎれば、あと数分です」
――走る、走る。はしる。
体力に底がないのか? という疑問を抱き始めて数分が立った。依然七幸さんは速度を落とすことなく、走る。
京都の街並みが視界から過ぎ去ってゆく。観光をしている余裕なんてない。余裕があったとしてもするつもりもないが。
大通りを進むタイミングで、そっと後ろを振り返る。フーロ先輩はあれ以来、特に何も言わずに必死についてきていた。体力は限界の様だが、弱音をあげない。
「......もう少――ッ!?」
前を走る七幸さんが心配してこちらに振り向いた時、何か黒い影が街路樹から飛び出してきた。
その影は、人の形をしていて、それで――。
「六本腕!!!」
「おや、鎧骨君じゃないですか! 奇遇ですね! 死んでくださいよ!」
よれよれで、薄汚れた灰色のスーツに身を包む、六本腕だった。
まだ、姿形は人のままの様だったがまさかこんな街中で出会うなんて......!
七幸さんは六本腕に掴まれた袖部分を強引に引き千切り、距離をとってこちらへと戻る。
奴の掌に残った衣服がぐずぐずに溶けて、周囲に異様な匂いを放つ。
「アレは知り合いですか」
「知り合いというか、でも知ってます。夜辺亡の手下です」
「そうですか......アレが」
細まった目を向ける七幸さん。肌に突き刺さるような殺気が一瞬感じられて俺は彼女の顔を見る。
「あのーー」
「先に進んでください」
俺の言いたいことを、先回りするように被せてきた。
「え? でもあいつは――」
「二人とも、本邸の場所は覚えていますね?」
「え、えぇ。けど......」
「お友達が、危機に瀕しているのでしょう? ここで立ち止まる必要はありません。あぁ、私の心配も結構。仕事ですので」
淡々とそれだけ言うと懐から取り出した暗器を構える。艶消しの施されたナイフ。見覚えが、ある。
「話を聞いてください! あいつは危険なんです! 俺と七幸さんと、フーロ先輩三人でやる! それが一番安全で確実なんです!」
彼女は仕事だといった。仕事だから......何だというんだ。
フーロ先輩も七幸さんが残ることに反対のようで、あがった息のまま口を開く。
「そ、そうですよ! ウチら結構こう見えて強いし、足も引っ張んないから、だから――」
ずっと六本腕を見ていた七幸さんが、ゆっくりとこちらに振り返る。
「前へ、進んで」
ずっと、面を被っていたように表情を消していた七幸さんが、優しく微笑んだ。脆く、酷く脆い笑顔を見せられた俺は、なにも言えなかった。
「あ......」
「フーロ先輩、行きましょう。早く!」
競り上がる何かを抑え込もうと口に手をやっていたフーロ先輩の手を取り、俺は全速で駆けだす。
「ちょっと、ちょっと! 逃げないで下さいよ! あの子どこですか!」
道行く人たちに紛れて進んだが、そう易々と見逃してはくれない。六本腕は周囲の人の目を気にせず、形を変える。鞭の様に撓る長い尾を巧みに操り、俺に狙いをつける。
「フッ――」
が、即座に対応した七幸さんが割って入り、蠍の様な尾をナイフで弾き、六本腕から視界を遮る様に俺たちに背中を見せる。
「絶対、無茶しないで下さい! 直ぐに逃げてください! 俺も阿南達に連絡入れるので!」
張り裂けんばかりの大声をあげて俺は七幸さんに別れを告げた。
七幸さんは、軽く腕だけあげると六本腕の方へ走り出した。俺もフーロ先輩ももう、後ろを振り返る事はなかった。
* *
「また、邪魔が入った。いい加減うんざりなんですよね。僕はただ欲しいものがあってそれを手に入れるために動いているというのに......いい大人が邪魔しないでくれます?」
攻撃を往なされた六本腕――高山縁は心底不機嫌な表情で溜息をつく。
いい大人が――という台詞に苛立ちを募らせる七幸であったが、縁のようにぺらぺらと喋るつもりはないようで、じっと目を向けるばかり。
「あの子、鎧骨君。あなたの同僚を殺しているんですよ? なーんで手助けしてるんです? 普通逆じゃあありません?」
「......」
「あの、僕だけ一方的に喋るの、好きじゃないんでなにか喋ってくれません? 腹立つなー」
感情を表現するように尻尾を地面に叩きつける。
通行人は何かのショーだと思っている様で、遠巻きに二人を眺めながら暢気にスマホで撮影をはじめる者まで現れた。
「あの子たちがどこへ向かったか、あなたに聞けばいいか」
縁が僅か一歩で七幸の元に近寄る。スーツの下にある肉体がおどろおどろしく変貌を遂げ、歪に膨らんでいた。
「――ッ!」
七幸が額に汗を浮かべながら身をねじり縁の腕を躱す。あと数秒遅れていたら死んでいた。すぐそこにある死の恐怖に心臓が早鐘を打つ。
「丕業、さっさと見せてくださいよ。別に手の内曝そうがしまいが死ぬことに変わりないんですから。こっちとしては早く終わらせたいので」
まるで定時を気にするサラリーマンのように腕時計で時刻を確認する縁。
「同僚が殺されたから何だというのだ。殺したのはそちらも同じだろう」
「お、やっと喋ってくれましたね! けど、僕は殺していませんが?」
「私の呪いは、貧弱。凡そ戦闘に向いているとは言えない」
短い髪を乱雑に掻きあげる七幸。
七幸の呪いは言うならば透視。ただ、人の内側を覗くだけ。けれど幼少の頃からずっと鍛え続け、現状では僅かな筋線維の伸縮や呼吸、脈動でどのような行動に移るか多少分かる様になった。恐ろしく反射神経の良い人間の僅か先。
建前と本音が乖離した大人を随分と見てきた。見続けて、疲れ果てた。七幸は次第に感情を削ぎ落し、目に見えるものが正しいのか、そうでないのか分からないでいた。
見えたがゆえに、醜い。
そしてその呪いで見た、子供たち。
仲間の為、兄弟の為。見えたが故に穢れた自分とは違い、どこまでもあの子たちは本心だった。
「仕事なので――なんて冷たく突き放してごめんなさい。私は、私の目の前で人が死ぬのが嫌なんです。楓露さん、千草くん。ごめんなさい。そして、ありがとう。あなたたちはまだ子供だけど......私たちよりずっと強いわ」
「? 誰に言ってるんです? あ、僕ですか?」
「どうか、子供たちの行く末に救いがありますように――」
最後に、そう言い放つと優し気に後ろを振り返る七幸。そこにはもう、子供たちの姿は無かったが、脆く剥がれた仮面の下には夏の花の様に柔らかな笑顔があった。




