第九十一話 救いの手 一
人並み外れた速さで京都の街をかける七幸さんに俺たちはついていくので精一杯だった。
「ちょ、ちょ! みんな速すぎだし! ウチを置いてかないで~!」
泣き言を零しながら、それでも懸命にフーロ先輩はついてきている様だった。なれない土地で全力疾走というのは存外体力を奪われる。
「次の交差点を左に曲がれば直ぐです」
淡々とした口調で七幸さんがこちらに声をかける。さてはこの人、本気じゃないな......。
大通りを左に曲がり、少し走ると何やら人垣が見えてきた。
周囲にはパトカーも数台停車しており、ただならぬ雰囲気を感じる。
「一瞬やって警察の人が言うてたわ......」
「ホンマか? 人が灰になったーって聞いたけど......」
「そんなわけないやろ。暑さで頭やられた奴が適当な事言いふらしとるだけやろ」
「けど、ここの屋敷ほんまに無くなってるやんか」
「夜逃げや夜逃げ。夜中に火ぃ付けて燃やしたんやろ」
耳慣れない関西弁が鼓膜を揺する。野次馬がぞろぞろと湧き、物珍しそうにある地帯を遠巻きに見ている。
「ここですね。先ほど連絡が入りましたが......幻秋様以外のビフレストは壊滅したとの事です」
抑揚なく、ただ目に入った文字を読み上げる七幸さん。
そっと大御門の方へと顔を向けると、彼は少しばかり目を閉じ、ひとつ息を吐いた。
「だろうな」
「大御門......」
「心配かけて悪い......けど、大丈夫だ。もう......覚悟は決めている」
揺るぎない決意を目に宿した大御門が頭を軽く振った。
「幻秋様は敵と交戦後、本邸に一度帰られた様です」
タイミングを見計らった七幸さんが手元のスマホをこちらに見せつけてきた。
画面には地図アプリが表示されており、一つの地点に赤いピンが刺さっていた。
「ここが......参華咒の本邸......ですか」
「えぇ。ここにはもう何も残っていない様です」
「何もって......」
「本当に、何も残ってはいないんです......。何も」
そっと、人垣の奥を見てみる。軒を連ねている筈のこの通りにぽっかりと何もない空間があった。いや、それでは不十分だ。灰だけが、そこにはあった。山ほど積もった灰が、何気ないそよ風に形を崩した。
「兄貴だ......。きっと兄貴の丕業だ」
それをみて何か合点がいったのか、
「俺の目的は、一つだ。兄貴を殺した奴を殺す。たとえそれが参華咒だろうが、夜辺亡の一派だろうが。七幸さん、俺を止めるかい?」
鋭い目つきで目の前の七幸さんを睨む大御門。
「おい、大御門! 七幸さんは関係ないんじゃないか」
「そうだよ、ろっくん。さんかじゅ?って幻秋さん達だよね? じゃあ良い人たちじゃんか」
俺とフーロ先輩が宥めるように言い聞かすが、そも耳に入れるつもりは無いようでじっとその瞳は七幸さんを捕らえていた。
「当主は初めから分かっていたのかもしれません。絶大な力を持つ敵が今この場に来ていることも、その彼らの目的も」
言い訳せず、ありのままを話してくれた彼女はどこか寂しげな表情で俯く。
「だったら、話は早い。本邸に乗り込む。あの萎びれた爺を殺す。それが手向けだ。兄貴への......何も知らずに死んだ人たちへの」
「殺すって......大御門」
「八夜、ここからは別行動だ。すまないが、先輩たちによろしく言っといてくれ。あぁ......おすすめのケーキ屋は東京に帰ったら教えるさ。約束だ」
それだけ言い残すと、大御門は手元から藤色の折り紙を取り出し何かを書き込み鶴の形に折る。すると、瞬く間に紙体は膨れあがりこの場を離れる。勿論その翼に大御門は乗り込んでいた。
「ろっくん......」
フーロ先輩が心配そうにその背中を目で追う。引率として辰巳先輩に命じられた手前、立ち止まったままの俺を置いて大御門を追う事が出来ないのだろう。視線は右往左往と流れる。
「フーロ先輩......俺、アイツを追おうと思うんですけど、先輩はどうします」
俺の言葉に反応したフーロ先輩が暫く固まる。
そっと口が開いたと思えば、萎むように閉じ。それを三度ほど繰り返すと、
「......ウチ、やっぱり皆でわいわい楽しみたいなーって。全員で集まったことってまだ数える程しかないじゃん? 冬になったら今の生徒会は解散になって、集まれることも無くなっちゃう......。悲しくない?」
「俺も......今のこの生徒会、好きなんです。皆いい人だから」
「じゃあやっぱ......ウチは皆が集まれるように働く! 我孫子ちゃんも連れ帰って、そんであのせーーんまい部室で菓子パしよ! きっと楽しい系じゃん! うん!」
彼女の無理やりな明るさを俺は、きっと忘れることは無いだろう。先輩なりに、後輩なりに、彼女はあの輪を保つ事を望んでいる。それは俺もそうだ。
「いいですね、菓子パ。俺、友達少ないんでやったことないんですよ。教えてくださいよ。菓子パ」
彼女の顔が綻んだ。フーロ先輩は笑った顔の方が断然いい。
「当たり前ジャン! はっちー! フーロ先輩がきっちり手取り足取り教えてあげる!」
俺とフーロ先輩は固い握手を結ぶ。そしてそれまで黙って息を潜めていた七幸さんの方へと向いて、
「さっきの本邸の場所、詳しく教えてください。俺たちも向かいます。良いですよね?」
変わらず硬い表情だったが、どこか刺々しいものが無くなった様な七幸さんが口を開いた。
「私は否定も肯定もしませんよ。ただ......言われればそう従うように命令されています」
「ありがとうございます。それじゃあ......行きましょう。参華咒の本邸」
* *
だだっ広い畳の部屋で、死にかけた様な男が頬を吊り上がらせ胡坐をかいていた。
何が面白いのか、目を細め視界に映るものを一秒でも長く観察しているといった様子だ。
周囲は黄金色に染まる襖が連なり薄暗い部屋を下品に灯す。中央に敷かれた赤い絨毯もこれまた下品なまでに鮮やかだった。
「八尾......八尾、おお、八尾」
部屋の最奥、一段高くなった場所で男が声を漏らす。息も絶え絶えといった風体ではあるが、興奮しているのか頬は上気し、鼻息は荒い。
「見てみるがいい......呪いが喜んでおる。カカカッ......」
男の視線の先、黄金の畳みの上で乱れた姿の若い女が這いつくばっていた。両手は後ろで拘束されており、衣服は白く薄い布切れが一枚のみ。この部屋には他にも幾人かいる様であったがじっと息を殺し、傍観に徹していた。
畳に顎をくっつけていた女――我孫子八尾は、眼前の男を食い破ろうとする程睨み付け、意思を示す。猿轡をされた手前、そうするほか無かった。
そんな八尾の足に幾つもの目が張り付いていた。大小様々だが須らく人の目と同じ、そこには睫毛も瞳もあった。そこか充血したように白い部分に赤が混じっている。ぎょろぎょろと忙しなく動く目に対し、八尾は心の中で悪態をつく。
生まれ持った才能。強大な呪い。
こんなもの要らなかった――、あぁ。
自身を取り囲む醜悪に、八尾は心をすり減らすばかり。
「あの小僧......八夜、千草と言ったか。あやつがここへ向かってきているのではないか?」
「......」
男の口から放たれた名前に八尾が反応を示す。
「ふむ......問答をしようにもそれではままならんか。外せ」
男の言葉で傍に居た一人の黒装束がそっと八尾の背後に回り、猿轡を外す。暫く口を覆っていたため、唾液が糸を引いて、離れる。
「その口で、彼の名を呼ぶな」
「カカッ......。吠える吠える。無様だぁ......。餌の分際で」
「彼はここへは来ない......」
予想と違った答えが返ってきた男が、笑顔のまま首を捻る。
「そう八夜千草を邪険に扱うな。仲間はずれはかわいそうだろう?」
「言ったはずだ!! その汚らわしい口で名を呼ぶなと!!!!」
八尾は怒りのまま畳を蹴る。両手足縛られたままだというのに、その感情に任せ身体を強引に立ち上がらせると、僅か一歩でその距離を詰める。
傍に居た黒装束たちが素早く反応し拘束する。大の大人に組み拉がれ、あと数センチといった所で再び身体を畳に擦りあわせる八尾。
「頼む! 彼を危険な目に合わせないでくれ! これ以上彼を苦しめないでくれ! お願いだ! お願い......します! 私はどうなっても良い! だから彼は――」
「お前にどんな意思があろうと意見が在ろうと、認めぬ。肯定せぬ」
「お願いします......もう、彼が辛い目にあっているのを見たくない......最愛の人が、苦しむ姿なんて......もう......」
畳の跡が付いた頬に、一条の涙が零れる。
――とうに涙は枯れたと思っていたのに。
「来ないで......千草。あなたは瓔と共に、ここから逃げて......お願いだ......お願いだ」
一人の少女が我が身を顧みず、切に願う。




