第九十話 思い馳せる弟
「やー、先輩遅くなりました!」
京都の風情溢れる街並みに溶け込んだ一人の男が肩で息を切らし、眼前の上司に声をかける。
「後刻、遅い。もう鑑識は始まっている」
声をかけられた男――松木は後輩の後刻に軽く注意をすると直ぐに身体の向きを変える。目の前には黄色いテープがいくつも張り巡らされており、一般人の侵入を拒んでいる。そのテープを軽く持ち上げると、青い服に身を包んだ鑑識官の蔓延る内側へと入ってゆく。
「火事......じゃあないです、よね?」
後に続いて入ってきた後刻が、眉間に皺を寄せ強張った表情を作る。
「この灰を見ろよ」
周囲には草木の一本も残ってはいなかった。ここへ来た時から視界には入っていたが、こうしてよくよく見てみるとその余りの異質さに後刻は喉を引きつらせた。
「普通......火事が起こって、燃えたものが灰になるとして......こんな、ですっけ?」
言いたいことが少しばかり伝わったのか、松木は軽く頷くと補足するように口を開く。
「もっと時間がかかるだろうな......けど、この一面を見てみろ。綺麗さっぱりと全てが灰に還ってる。どう見ても火の類じゃない......神の御業だろ」
「先輩でも冗談を言うんすね」
「冗談なら、良いんだがな......」
辺りをうろつく鑑識官達に目をやりながら、松木は小さなため息をついた。
「これってやっぱり、八夜君たちが言ってた丕業ってやつでしょうか」
「それ以外、説明がつかない......。なら、そうなんだろうな」
「こんな状況じゃ、被害者が誰で、何人居るのかさえ分からない」
きつく絞った掌に熱が籠る。後刻はふと、自身の友人や家族を思い浮かべた。
この京都が、生まれ育った街が、危機に瀕している。だというのに自分に出来ることは大したことじゃない。犯人を見つけることも、被害者を救済することも、出来てはいない。
――これが俺なのか。恐るべき怨敵を、そのままにしていていいのか......。
「先輩! やっぱり、八夜君達と合流して犯人を見つけましょう! きっとこのまま捜査していてもなんの手がかりも掴めない。また被害者を増やしてしまう。そうなる前に!」
「......おまえが言いたいことは分かるよ。俺だって腸が煮えくり返っている。けど、あの子たちは子供だろう」
「あっ......」
その言葉で、冷えた手で内臓を掻きまわされた様な感覚に陥った。
「目を疑うような力を持った人間たちでも、彼らは子供だ。特別な力をたまたま持った子供なんだ。俺は......彼らをあまり巻き込みたくはない」
うなだれるように頭をさげ、力を抜く後刻の肩に松木はそっと手を置く。
「分かっている。お前の気持ちも、あの子たちの気持ちも。けど......まだ俺たちにしか出来ない事があるはずだ。それをしてからでも......遅くは無いんじゃないか? 彼らに頼るのは」
「......っす」
「とりあえず、聞き込みからだな。俺たちは地道に足を使ってナンボ、だろう?」
「俺は、ここから北の辺りを!」
「分かった。俺はこれまでの事件の資料を借りてくるよ」
言うが早いか駆けだした後刻の背中を、松木は優し気な眼で見守っていた。
「お前もまだ、若いんだ。考えるってのは重要だぜ」
* *
「俺は兄の元へ向かう」
大御門がそう口にした時、誰も彼もがそうなるべく未来を予想していた。俺もきっとそういうだろうと思っていたから、何も迷うことは無かった。
「俺もついていく」
大御門は意外気な顔でこちらを向く。
「......なんでだ? こう言っちゃなんだが、あまり関係無くないか?」
「確かに、大御門の家の事は俺とは関係無い。けど、もしかしたら夜辺亡の手がかりがあるかもしれない。六本腕もそうだ。それに......」
「それに......?」
「大御門麓郎太は、俺と同じ生徒会のメンバーだろ。関係大ありだ」
大御門はあっけに取られたようにポカンと口を開かせると、次第に笑い声を漏らす。
「そうだな、それもそうだ......八夜、お前意外とコミュ力あるんだな。もっと内気な奴かと思っていた」
「......悪かったな」
俺も気恥ずかしくなって前髪をいじくる。
「全員行きたいところだが......流石にそういうわけにはいかないな。フーロ」
暫く見守っていた辰巳先輩が手を叩き、フーロ先輩の名を呼ぶ。
「はいはーい! どしたしぃ?」
「俺がついていければ良いのだが、ここを開けていてもいかんだろう。一年だけ行かせるのも忍びない。フーロ、二人についていってくれ」
「りょーかい! ろっくんも、はっちーもよろしくね~!」
フーロ先輩が俺と大御門の肩に手を回す。髪からふわりと花の甘い香りがした。
「阿南君はどうする?」
一人残った阿南に声をかける。すこし間を置いてから口を開いた。
「いや、俺は......すこし、ここで整理します」
少し意外だった。阿南はこういった時、有無を言わさずについてくることが多かったから。
「意外だな? てっきりついてくるかと」
「なんだよ千草~寂しんぼか~?」
腹の立つ返しをされたので無言で背を向けると、
「冷たくない!?」
「そうか? いつもこんなもんだろう」
「あなみんとはっちーは仲がいいね~」
フーロ先輩が朗らかに笑った。
「――さて、いくか」
五分程で支度を追えると俺、大御門、フーロ先輩は寺の入り口に集合した。
「えっと......よろしくお願いします、その」
「七幸と言います」
俺たちの案内を努めてくれるのは、幻秋さんの部下で俺たちの世話を焼いてくれたあの短髪の女性だ。正直言ってこの人とはコミュニケーションが取り辛い、が危険を承知でついてくれるのだ。有り難い。
「では七幸さん、よろしくお願いします」
「幻秋様から『危険が及ばないように』との言伝を預かっていますのでお忘れなきよう。もしもの場合は強引にでも引き返しますので」
「......はい」
「では」
そういうと、七幸さんは走り出す。黒いケープに黒い幕を顔面にあしらった、全身黒一色の出達が俺たちの前をかける。さながら宵闇が京都を突き抜けていく様だ。
――あぁ、やっぱりそうなんだな。
忘れるわけはない。俺が殺した参華咒、夜に邂逅した参華咒。やはりここはそういった場なのだ。
人の肉をすりつぶす感触。骨を砕く音、血の匂い。全身にこびりつき、落ちはしない。
指先から血の気が引いたのが分かる。
――くそ、俺はもう受け入れたんだろう!? 俺がした行動に、責任を持つんだ。
「八夜」
歯切れよく俺の名前を呼ぶ大御門が、神妙な顔でこちらを見ていた。
「ありがとう。お前が言ってくれたのは意外だったが。それでも助かった。あの時、少し気が動転していたんだ......。だから、ありがとう」
そうだ、これも俺の行動だ。俺が選んだ、末の答えだ。人を殺した俺の――
「今度、京都の美味しいケーキ屋を教えてくれよ」
俺の突飛な話に疑問符を浮かべる大御門。
「別に......構わないが......?」
「姉が甘いもの好きで、いつか来たいって。だからその時に」
「......こうみえて俺も甘いものには眼が無くてな。安心しろよ。穴場を教えてやる。夏休みにもう一度姉と来ればいい」
「あぁ......ありがとう」
――姉さん、いつか退院できたら一緒に京都に行こう。その時は俺の友達におすすめされたケーキ屋さんに行こう。俺もいっぱい友達が出来たんだ。だから、心配しなくていいよ。




