幕間
――地獄絵図であった。
山は、溜まりにたまった鬱憤を辺り一面に、これでもかと吐き出している。噴火だ。傲慢な人を選定するためのそれは、神の気まぐれなのかもしれない。だとすればあまりに慈悲が無かった。
日々の食料を確保することさえままならず、生きるために食いつないでいるのか、食いつなぐために生きているのか。けれど、そこそこに幸せではあった。子も栄養が十分であるとは言えないが、弱音を吐かず、健やかに育ってくれていた。
そう、男にとってはその生活こそが幸せの渦中であった。しかし思いもよらぬところからソレは、この幸せを根こそぎ奪おうとしていた。
どこからか飛んできた礫が、すぐ横を駆けていた女の頭部を容易く、撃ち抜く。淡い色をした脳と鮮血が辺りを赤い花畑に変える。途端、自身の家族がこの女と重なる。無事であるはずという希望的な推測に体は何とか動いている。もしそうでなかったら、この体は容易く朽ち果てるであろう。
何人かの男が周囲に散らばり、状況を照らし合わせている。わかっていたことだがこの一帯は既にどこも死が蔓延っているようだった。胸中は怒りに、悲しみに満ちていたがその矛先がどこにもないことが一番の苦痛であった。
――天災。こればかりは自身の運がなかったと、諦めるしかない。口の端から血が流れる。
男がなんとか我が家に走っているとき、奇怪な男が目に入った。逃げ惑う人々に逆らうように悠然と歩を進めるその姿はどこか美しくもあった。腰まで伸ばしている鼠色をした髪は後ろに束ねており、背丈は周囲の男達より頭一つ大きく、また、やせ細っていた。肌は色白を通り越して青白いといってもよかった。病床に付していた者が、この騒ぎに出てきたのであろうと自身に結論付けた時、その奇怪な男は満面の笑みを浮かべた。この場ではあまりにその顔は似つかわしくない。気でも狂ったのであろうか。
骨と皮で支えられている両手を広げ、ぼそりと、呟く。
「ふくま......ちゅうらく......」
奇怪な男がつぶやいた言葉を反芻する。耳慣れない言葉であったが、近くにいたことが幸いして何とか聞き取ることが出来た。
すると、その広げた両手の間に、黒い泥のようなものが姿を現した。泥はそのまま地に落ち、吸い込まれるように消えていった。全て吸い込まれると、その近くで先ほど頭を失った女の死体が震えた。
そう、震えたのだ。おかしい。どう見ても臓物をまき散らし、その命はそこで潰えていたはずであった。
千切れた肉の断面が盛り返し、液体とも固体とも判別つかないその肉の塊は徐々に元の、先ほどつぶれた女の顔になった。すっかりと元の形を取り戻した女は先ほどの奇怪な男に近づき、その幽鬼の頭を垂れた。
あまりの出来事に足は止まり、全身から嫌な汗が噴き出していた。それは、神による御業ではないか、と。その光景を目視していたのは男だけにとどまらなかった。
そして、皆同じ考えに至ったのだろう。神の使いが救いを差し伸べに、地に参られたのではないかと。
ひとり、またひとり、女につられるようにその場で首を垂れ始めた。善神による使者なのだと。大地の怒りを鎮めに来たのだと。誰もが疑わなかった。疑う余地がなかった、あんなものを見せられては。
男はその場で興奮のあまり頭を垂れる皆に語った。「ふくまちゅうらく」と唱えた途端、死人が生き返り、奇跡が起こったと。この方はきっと我らの救世主なのだと。
実際先ほどから辺りを襲っていた礫は止み、静寂が包んでいた。皆が歓声を上げる中、救世主はなおも笑みを絶やすことはなかった。
ほどなくし、落ち着きを取り戻した集落は、再建の為に総出で働いていた。救世主と祭り上げられた男は、敬意により、村一番の塒を与えられた。無論そこに誰も立ち入ることは許されなかった。
しかし興奮を抑えきれぬ男は感謝を述べにその塒に赴いた。すると中から、我らが救世主の独白が聞こえた。
「いやしかし、愉快愉快。こうも愚かとは、飽きさせぬな人は。力も試すことが出来た。万事滞りない。いや、あの男は消しておくべきか......」
会話の意味していることはわからない。けれど、なにか自分たちは過ちを犯したのではないかと、悟った。慌てて引き返そうとした時、足に何かが絡みついて倒れる。
来た時は何も足に引っ掛けるようなものは無かったはず、と男は自身の足を確認した。
そこには巨大な百足がいた。幾重もの脚を絡め、今から男の足を食い破らんとその角ばった口を近づけている。口の中に、無数の歯が蠢いている。ありつけた獲物を離しはしないと、握りこぶしほどの大きな眼がそれを物語っている。
「ぁああ」
情けない声が静寂な辺りに木霊する。
「あぁ丁度良いところにおった。ぬしを探しておったのだ」
「救世主様!どうか!助けてください!どうか!」
先ほどの疑念を忘れ、すがる男に、
「あぁ、助けようとも」
救世主と呼ばれた男が笑みを携えて答える。純粋な笑顔で、ただ嬉しいという感情を発露した顔で。




