第八十七話 睨まれた獲物
――なんだこの爺さん。気味が悪い。
芭禍羅はもう遠くに行っただろう。蛇共のセンサーから消えて暫く経つしな......。
「来ない様なら......先手を打たせてもらおう」
目の前の爺さんが姿を消した。俺の目で追えない速度で動いてやがる! 本当に人間かこいつ!?
「ぐっ!!」
身体を矢のように飛ばし、どこかから俺の後頭部を蹴りつける。
「本当に気味の悪い爺さんだ! なぁおい!」
口の中が血の味で満たされた。折角セットした頭を何回も蹴りやがって。
「人の姿をしてはいるものの......やはり、人ならざる者か」
感触を確かめるように蹴り上げた足を見つめる爺さん。消えたと思った数瞬後に、また同じ位置に居やがる。
「へい!アンタの丕業は瞬間移動みたい感じなのかい?」
試しに問いかけてみた。まぁもっとも返って来ることは端から期待しちゃいないが......。
暫くの沈黙の後、白鬚に覆われる口を開いた爺さんは、
「瞬間移動......のように便利なものでは無い。ただ少しばかり移動が速いだけだ」
と俺の右後方から答えた。
くそ! またか!? けど、距離を見誤ったのか俺と少し距離がある。これならばまだ間に合う!
「――ォおお!?」
迫りくるギロチンのように鋭い蹴りを何とか首をひねり躱すと、続けざまに俺も右足を強く踏み出す。空中で身体を半分捻り、距離を取る。
砂埃が舞い、辺りの視界が不明瞭なものへと変わる。空気が乾燥しているのか、随分と砂埃の量が多いな。
「......」
交わされたことが意外だったのか、爺さんは少しばかり目を見開くと即座に構える。
「へいへい!そんななまっちょろい攻撃じゃあ俺の命までは盗れないぜ」
――これは挑発だ。
先ほどから爺さんは時折、何か考えているような素振りを見せている。
それは何か――恐らく俺たちの目的と所在。そして俺の丕業。
爺さんの攻撃は常に一歩引いた所から放たれる。今一つ踏み込んできていない。それは俺が未知数だからだ。そして、目的を吐かせたいのだろう。だから大技を繰り出さず可能な限り生け捕りを目指している。
「なまっちょろいんだよ。命のやり取りに関して全身全霊で取り掛からない奴はあっけなく死ぬんだぜ?もっと踏み込んで来いよ」
まだ俺の力は見せる時じゃない。この爺さんも“見せても問題ない”範囲でしか力は使ってこないはず。
「若造が言うではないか」
品の良い笑みを浮かべると、一転鬼の形相に変わり、こちらに突っ込んできた。
全身の肌がピリピリと何か悪寒めいたものを感じ取っている。
「これならどうよ!」
俺は白衣の内ポケットから小さな釘をいくつも取り出すと爺さんに向かって投げる。
「目くらましか?」
軽く腕を払うだけで、俺が放った釘は辺りに散らばる。
眼前まで迫った身体がまたしても煙のように視界から消える。
「やっぱ瞬間移動してんだろう爺!!」
見失った相手を視界に納めるべく、ぐるりと身体を回す。しかし三百六十度見渡せたものの奴の頑強な肉体は欠片もみえない。
と、ふと自身が影の中にいることに気が付いた。という事は......!
「上か!」
頭上からこちらに向けて自由落下してくる爺さんがナイフを手に迫ってきていた。
「見た所、長物は持っていないようだし、呪いを出さなければ避けきれんぞ」
あくまでも冷静に、爺さんはそう言った。
「しょーがねーなぁ! 大蛇!」
やむなく丕業を使う。
俺の声に呼応して巨大な大蛇がどこからともなく現れ俺の身体に纏わりつく。
それを見てもなお攻撃の手を止めない爺さん。切り裂くように振りかぶりナイフの切っ先を蛇にあてる。
「!」
だが、形を変えたのは俺と大蛇ではなく、爺さんの手にしたナイフだ。
カラン、と乾いた音を立てて破片が辺りに散らばった。
綺麗に着地を決めると爺さんは素早く身を起こしその場から数歩下がる。
「なるほど、蛇か」
鋭い眼光だ。何か納得のいったような表情をして数度小さく頭を振る。
やはりこの爺さん、気味が悪い。底というものが見えやしない。延々に続くような黒を見ている気分だ。
「あんたがあの色持ちの中で一番強い?」
「強い、とは?」
「問答するつもりはねーんだ。単純な腕っぷしの話だよ。あんたらが一斉に殺し合いをして誰が一番最後に生き残るか?って聞いてんだぜ俺は」
身体に纏わりつく大蛇の頭を優しくなでながら俺は口を開いた。
「私は大御門殿のように派手な呪いを持ち合わせてはいない。彼の呪いはとてもきれいだった。折り紙の様な見た目もまた良い。色味もまた実に美しかった。雅豪殿の呪いも賞賛すべきものだ。彼は芸術家としても才能があった。呪いが無ければ彼は今世界に轟く陶芸作家になっていたやも知れぬ」
古いアルバムを見て談笑しているような温かさを感じた。爺さんは孫と思い出を懐かしむように少しばかり穏やかな声音で話し始めた。
「へい! だから俺は会話のキャッチボールをするつもりはないんだぜ? こっちが求めてるのは誰かというただ、それだけだ」
「芦原殿は気弱だったが、誰よりも人々を救う気概があった。そして呪いもまた、人一倍強力なものだった」
だめだ、この爺さん人の話を聞いちゃいねー。
「八夜君、阿南君、そして弟の麓郎太君もまた、人一倍正義感に溢れていた。最近の若者は実に素晴らしい。掛け替えのない財産だ」
今出た名前に俺は引っかかりを覚えた。
「......まて、今あげた名前は......」
――そうだ、思い出した。亡の旦那が言っていた“おもしろいもの”の名前だ。そう、確か八夜......
「「八夜千草」」
俺と爺さんの声が重なった。
「何故心の中で思っていた事が重なったか、不安かね?」
俺を試すようにじっとこちらに目を寄越す。なんだ......なんなんだこの得体のしれない気味悪さは!
まさか心を読む丕業か!?
「まさか心を読む丕業か」
またしても一字一句違わずぴたりと言い当ててしまう。だが、疑問が残る。奴は瞬間移動のように姿を消していた。だとすれば人の領分から離れた力だ。丕業以外にありえない。いくら鍛えた体を持っていたとしても......人が人の力を超えることはない。
「私の目は少し特殊でね......呪いを宿しているこの目を【天覩】という」
爺さんの目をよくよく見てみる。だが、普通の人間と何ら変わりはしない。色だって同じだ。
「先ほどの質問だが......君自身の目で確かめてみるといい。殺したんだろう?私の同僚を。ならば身をもって体験したまえ。誰が一番最後まで生き残るのかを」
睨まれて動けなくなったのは、蛇の方だ――




