第八十五話 紫の終焉
頭がいてぇ。頭かどうかも分からねぇ。けど、凄く痛い。腹に風穴が開いたぐらいじゃ怯みもしないと勝手に思っていた。生まれつき俺はそれぐらいタフだったからな。
胃の中がひっくり返ったように気持ち悪い。今日は何も食っていないのが幸いして、飛び出るもんも出ねぇ。
視界はさっきからずっとぐるぐる回っている。俺は立ってるのか?それとも膝をついてるのか......やっぱり分からねぇ。
吐き気を飲み込むように深呼吸をしてみる。あぁ、辛うじて出来た。じゃあ大丈夫だ。
この薔薇頭。散々好き放題やりやがって。耳穴から血が止まんねぇよ。音も聞こえねぇ。自分で喋った言葉すらろくに分からねぇ。あぁ、けど、この体勢は実に気分が良い。こいつより俺が上だってはっきりと見下ろせるからな。
顎を下げる動作に時間を要する。普段だったら意識しないでも出来る程度の事すら今では億劫に思える。新鮮な空気に触れた口腔が、血の味を思い出させる。酷く気分が悪い。
「おま、え、なにを、する、気だ」
口元が分からねえから読唇しようがない。けど、こいつが何かを言っているのは気配で分かった。
「虫けらに地獄なんてあるか知らねーけどよぉ。とりあえず落ちるところまで落ちようや」
皮肉たっぷりに俺は笑みを浮かべた。頬の肉がつり上がるときに激痛が頭蓋を渡ったが、目の前のこいつのうろたえっぷりが、痛みを上塗りした。気分が良い。
「おまえ、ら。出番、だ」
突然周囲のクマザサやら朝顔やらがその葉の先を伸ばし、俺に絡みつく。本物の植物であれば容易く引き千切れるだろう――そう思って軽く引っ張ってみたが、腕に絡みつく緑色の鎖はビクともしない。
「俺の、丕業、だ。解けは、しない」
――これは、人か。
明確にそう断言されたわけじゃない。だが、かすかに人の声が聞こえた。この伸びる草から悲痛なうめき声が聞こえた。
「そいつら、は、まだ、生きて、いる。生きて、いるから、養分を、欲する」
つまり、俺の仲間はこいつの呪いで草木に変えられて、ずっとそばに居たわけだ。こうやって敵の隙を衝くために、この薔薇頭は最初から仕掛けていたんだ。
――ズドッッ。
「ぐぶッ......オェ」
俺の腹に、数本の竹が刺さる。地面から土を割り、俺だけを目掛けてその先を穿つ。新緑が鮮血に彩られ、灰色の砂利を赤く染める。夥しい量の血は止まることを知らず、ただ流れに任せて溢れる。
「この、蝶が、どんな、力を、持って、いるかは、知らないが、それよりも、先に、殺す」
上下左右、あらゆる方向から鋭利な竹が俺を串刺しにする。骨は容易く砕け、肉片が飛び散り、無事だと呼べるような部位は一つも無くなった、辛うじて首をひねったおかげで頭部はまだ、残っていた。
右手......はダメだ。肘から先が無い。痛みを感じられないからそんな事も見ないと分からない。左手もほとんど千切れかけているがなんとか、動かせる。
では足はどうだ......これもダメ。両方ともぐちゃぐちゃに抉れて皮と肉が裏返っている。
我ながらよくまだ生きていると思う。呆れを通り越した感動がある。
皮肉な事に、突き刺さっている竹が俺の上半身を支えていた。
「澱神【帝上揚羽】」
言葉にするのは少しだけで良い。俺がこう、名を連ねれば後は勝手にやってくれる。
辺りを覆うように飛翔していた、無数の紙で出来た蝶がひらひらと俺の周りに集う。
俺の最後にしては、えらく幻想的だ。最高の終わりではないだろう。最低から数えた方がはやい終わり方だ。けど、それでも満足だ。
多分、俺以外のビフレストは皆殺されているんだろう。これだけ大きな騒ぎになっていても誰も駆けつけてこないのが証拠だ。参華咒の人間も沢山死んでいる筈。
俺は手にしがみつく蔦に目を向ける。
「俺たち結構頑張ったよな......。京都の為とか、世の為とか口ではほざいてても......やっぱり自分の為に頑張った。これでいいよな」
集う蝶の数が倍に、倍に増えていく。小さな羽ばたきの音はいつしか轟音へ。風が吸い寄せられるように吹き込む。次第に小石や枯れ葉、小さな虫たちが風に飲み込まれ周囲を目まぐるしく回る。
辛うじて動く左手で服の内側をまさぐると、目当ての物を取り出す。
「麓郎太ァ......お前も来てんだろう京都に。しょうがねーからよぉ......頼りになる兄貴が......手伝ってやるよ。だから死ぬなよ......お袋と親父の墓参りぐらい、誰かがやんねーとなぁ」
激しい戦いでもみくちゃにされ、ねじ曲がった煙草を振るえながら口元まで持ってくる。
「くそ......あぁー。こんなんじゃ火もまともに起こせねぇじゃねーか」
俺は足元で呆然と押し黙る薔薇頭に愚痴をこぼす。
「お前、心中、する気か」
薔薇頭から欠片も怯えは見て取れない。
「何言ってんのかわかんねーな。虫の言葉はよぉ」
――ピリッと何かが封を切る様な音が響いた。
それを皮切りに、何十万という数に膨れ上がった蝶がその姿を火に変え、燃えながら宙を彷徨う。次第に赤い炎はその色を青に変え、最後には朝顔の花のように紫へと変じた。
音は無かった。無音の世界で紫の炎は俺を中心にただひたすらに燃え続けた。
「すぅー......はぁ。何年吸ってもあんまり美味くねーな」
視界に広がる幻想的な炎を見て、少し眠くなった。地獄の炎にしちゃ随分と小奇麗だ。
「全部......燃え尽きろ」
微睡む視界の端に、奴の頭が映った。
薔薇に表情なんてものは無いけれど、俺には酷く歪んで見える。心の底から俺を憎悪しているような鬼の形相。
――実に滑稽。最後に見る景色にしちゃあ......満点だ。




