第八十四話 静寂と蝶は彼の手で
「ビフレストの七基、紫斑の大御門、だな」
芭禍羅は口元の乾いた薔薇を音たてながら、一言いってのけた。
眉間に皺を寄せ、今にもその場から飛びつこうとした神永の足は、芭禍羅の思惑通り止まってしまう。
「やっぱ知ってんのか?お前なにもんだよ?そこらの死蟲とはわけが違うだろ」
警戒するように手に持った紙の鋏を突きつけながら、ぐるぐるとその周りをうろつく。
手から生まれ落ちた黒い蔦を持ち上げると、芭禍羅はそれを神永の方へ放る。即座に反応を示した鋏の切っ先が、空中で広がる黒い蔦を瞬時に切り分け、地に着くころにはバラバラと音を立てて崩れる。
決して油断してるわけじゃなかった。だが、それは音を立てずに地の底から根を張っていた。
芭禍羅を一部たりとも見逃すまいと凝視していたゆえに、気が付かなかった。
地面から生まれ出てきた黒い蔦が神永の足を絡めとり、小さな棘が肉に食い込む。
「クソがッ!?」
悪態を衝きながらも、即座に切り落とそうと足元の蔦に鋏を向ける。だが、その一瞬を見逃さなった芭禍羅は一息で傍まで近寄ると、神永の両耳に黒い薔薇を突き刺す。
――ズチュッ。
肉を抉る嫌悪の音が二つ。音の出所は、耳よりもずっと奥。頭の中心辺りから聞こえた。聞こえたというのもおかしな話だ、とこんな場面で神永は不意に皮肉を思い浮かべた。
「近づくのを待ってたんだぜ?えぇ?俺はこれを待ってたんだ。お前からくるのを、な」
耳に薔薇を突き刺した芭禍羅の両腕をしっかりつかむと、神永は口を開いた。
「これ、は」
芭禍羅の視界に入ったのは、彼の舌。その上に小さな紙で折られた虫が数匹。
「【澱神・花潜】」
神永の言葉に反応を示すように五匹の紙の蟲は、懸命に小さな翅を羽ばたかせ芭禍羅の顔に蔓延る黒い花弁を、次々と喰い進みだす。綺麗な形を保っていた花は見る影もなく花弁を散らせる。
「くそ、が。いいきに、なるなよ」
咄嗟に顔に蔓延る蟲を引き千切り手の中で絞め殺す。くしゃりという紙を潰した感触が確かにあった。
「いい気になってんのはお前じゃねーかよ?えぇ?俺がこの程度でひるむとでも思ってんじゃねーぜ」
自由になった両手を振り回し、鋏を手に再度芭禍羅へと近づくと、庭師が庭の植物を刈り取る様に、垣根を整えるように、悠然と芭禍羅の頭を刈り取る。
バスンッ――
毬のように、芭禍羅の頭は地面を撥ねると、数歩先の砂利の上に転がる。切り離された胴体は一見すればただの一般人のようにスーツを着込んでいるだけの様だった。けれど、傷口はうねる蔦がびっしりと詰まっており、それは確かに人ではなかった。
「天牛の刃はお前らだけしか切れない。故にお前は死蟲だ。いま、その事だけは分かった。次に俺が聞きたいのはお前の仲間の居場所と、数だ」
手にした大仰な鋏を威嚇する蟹のようにもたげ、詰め寄る。この程度では殺せないと、神永は直感で分かっていた。
転がり落ちた頭部――薔薇の密集したそれは、体制を整えるとひとりでに動き、その視線を神永へと向けた。
「俺は、仲間、思い、だから、な。いうと、でも?」
「奇遇だなぁ。俺もだよ。だから何が何でも吐かせるさ」
突然、地面から天に向かって伸びる植物の茎が神永の周りを囲んだ。一瞬にして伸びきると、互いの隙間を埋めるように地面と平行に棘を生やす。
「おい!てめぇ!まさか!」
「言った、だろう?俺は、あれを、返してほしい、だけだと。それ以外、今はどうでも、いいんだ。本当に、そうなんだ」
刹那の逡巡、神永は二つを秤に乗せた。一つは、上から命令された『瓔とその手にした死蟲』もう一つは『自身の同僚と呼べる人間』
自分自身が、死ぬこと。それ自体に恐怖は無かった。だが、自分だけではなく周りの人間が死ぬという事実は、どうしようもなく回避したい忌むべきものだった。
気が付けば、乾ききっていた口を開いていた。そんな彼を責めることが出来るのは、人以外の生物か、もしくは人を人足らしめるものが備わっていない人間擬きだけだろう。
「交換条件――だ。肯定か否定しか受け取らねぇ。考えることもさせん。答えろ」
「......いい、だろう」
神永は、少しばかり前の記憶を思い起こしていた。それは瓔という子供と数度交わした言葉だった。
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「おじさんは、どうしてこの仕事をしているの」
穢れを知らない人間ではない。そんな人間はこのように純粋ではないからだ。穢れをしっているからこそ、瓔という少年はこういった表情をするのだ。
「俺は......力があったからな。才能があった。だからそれに見合った仕事をしている。この仕事をしているのはたまたまなんだ。出来るなら......そだな、君のような子を育てる教師なんてやってみたかった」
血で薄汚れた服を欠片も気にせず、こんな自分に優しく話しかけてくれた少年は、夏の花のように太陽を含んだ笑顔を作った。
怖くはないのか。少年をこのようにしている参華咒の人間である自分に、なぜそのような笑顔を向けられる――神永の疑問は尽きなかったが、彼の笑顔の前では全てが虚しくなるだけだった。
「京都の人を守ってくれる仕事、僕は尊敬してます。僕の姉も......守ってくれますか?」
気が付けば、下唇を噛み切っていた。鉄の味が脳内を犯し、意識に落雷を落とした。
「――あぁ、約束しよう。君の姉を守ると」
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「――わかった、その屋敷に、あれは、あるんだな」
聞きたかった事を知ると、切り離された頭部は引力のようなものに引っ張られていくように胴体とくっつくと、元に戻る。切られたはずの首元には既に新たな蔦が見えた。
踵を返し、砂利の上を音を立てて歩く。
「――あぁ......やっぱさっきのは嘘だ。俺は人間との約束しか守らねぇんだわ。わりーな」
隙を見せた後頭部に蹴りを放つと、うつぶせの芭禍羅の身体に乗りかかる神永は悪辣な笑顔を作った。
「グッ!?」
「京都を守る仕事なんだ。その仕事には......まぁ、お前らが狙ったものも多分含まれてる。じゃぁ......見逃せねーよなぁ」
固定するように首を押さえつけると、一度深い呼吸を行った。傍の木に止まっていた鳥達が一斉に羽ばたきの音を立てる。
「仲間を殺されて、俺が平気な人間だとでも思ったか。自分の命が惜しいような人間に思ったのか。俺は自分を思ってくれた人間の為に戦う。それが社会で学んだ俺の仕事というものだ」
怒りに震える神永の周りには、相反して静寂をもたらす様な色をした紙の蝶が、群れを成して空を覆った




