第八十三話 迫る音 二
二条城の傍、堀川通りを北上すること十数分。出水通りとぶつかる交差点を左に曲がり、暫くすると、大きな屋敷が見えてくる。
時刻は午前九時を少し過ぎた頃。照り返す熱線はアスファルトに反射され、上を歩く者に容赦なく襲い掛かる。
京都の街並みは高い建物があまりない。故にこの死の熱線を遮るものがほとんどなく、ただただ体温の上昇に辟易するだけ。
大御門 神永はうだる暑さの中、額から噴き出す汗を何度も拭っていた。
「死んじまうぜ......おい。タクシーぐらい寄越せってのな」
先ほど連絡を受けた場所に急ぎつつ、愚痴をこぼす。こんな暑さだ、それぐらいは許されるだろうと自分に言い聞かせていた。
「はぁ......?おいおい。どうなってんのよ?」
漸く見えてきた、と思った矢先。視界に入ってきたのは普段から見慣れている屋敷の姿では無かった。
古くとも歴史を感じさせるかつての姿は無残な形へと変貌していた。
白壁は大小様々な穴が穿たれ、綻びを見せている。敷かれていた瓦は千々に吹き飛ばされ、欠片がそこいらに散らばっていた。よくよく見てみると見知った顔が何人も散らばった木材や瓦の下敷きになっていた。
「おいおいー?んだこれ?死蟲かぁ?」
傍に駆け寄ってみるも既に事切れていた。死体を探ってみると少しだけ分かったことがあった。
「(これは......何かに刺されてんな。つーかこの屋敷。よく見ると外からじゃなくて内からやられている。破片の飛び方が一方からだけだ。となると......んん?敵は内部かぁ?)」
荒れ果てた門をくぐり、屋敷の内側を覗く。そこへきて漸く分かったことがあった。
「植物か」
重たいサングラスを額にあげ、曝された眼で辺りを見回す。
屋敷の庭にあったクマザサや椿が驚くような増殖を繰り広げていた。一昨日来た時にはここまで広がっていなかったはず。ならばこのありえない増殖が原因とみて間違いないだろう。
神永はおもむろに傍の石にこびりついていた苔を毟る。するとちぎられた苔が震え、神永の手を滑り顔に差し迫ってきた。
「おわっ!?」
即座に払いのけたものの、飢えた猟犬が獲物を見つけたが如く、その狙いを変えることは無かった。
ちぎられた苔は地に着くと増殖を繰り返し膨れ上がると、傍にあった死体に覆いかぶさる。
液体をすする嫌悪感を抱く音を立て体全体と結合すると、器用に死体を動かし立ち上がる。
「苔人間ってのは......初めて見るな。いいぜ暇を潰そう」
ゆっくりとした足取りで神永の方へと向かう苔。掌を見せつけるように差し出した。
「?......ッお!?」
掌から噴出される苔を間一髪で避ける神永。
「おいおい!いきなりは無いんじゃねーの?」
懐から紙を取り出し、瞬く間に形作るとそれを苔人間の方に放る。
「澱神【花潜】」
小さな甲虫の姿を模した紙は一直線に苔を目指す。体内に潜ると苔を食い進み始める。
「これは止まらねーぜ?どんどん喰い進んでデカくなる。デカくなるってことは......食欲も増すってわけだ」
初めは親指程だったが次第に膨れ上がり、拳よりも大きくなっていた。
苔人間の傷口から血が零れ落ちた。それは先ほど苔に取り込まれた人間のもの。そしてその人間は神永の知人である。
ここは参華咒の根城。参華咒の中でも抜きんでた実力を生まれ持っていた神永は沢山の人間から尊敬を集めていた。この人間もその一人だった。
呪いを持つことは無かったが、それでも『人の安寧を脅かす死蟲から人々を守りたい』と神永は本人の口から聞いたことがあった。その事に「あぁ」とか「そう」とか返した覚えはあったが、別段仲良くは無かったと記憶している。
そんな人間の死体がここに五つ。そして先ほど電話を寄越した仲の良かった同僚の死体が屋敷の玄関に打ちひしがれていた。首ははじけ飛んでいた。けど誰かは分かる。
――彼は神永と同じように色を与えられていた。
参華咒の中でも強い呪いをその身に宿した人間は色を与えられる。赤、青、黄、緑、紫、黒、白。全部で七色。
その中での優劣は無かったが、その他大勢とは違った。この京都の町を守護する任を与えられた七人は『ビフレストの七基』と呼ばれていた。
彼は赤を与えられていた。燃えるように熱い奴では無かった。熱血漢からは凡そ離れていた。けど、悪い奴じゃなかった。
目の前で自分の呪いに食い殺されている苔人間を見ながら神永は考えた。
そもそもここに来るまでに殺されていたんだ。別に俺が殺しているわけじゃない、と。どうでもいい人間が死んだだけだ、と。
もし、もう少しだけ早く俺が来ていれば何かが変わっていたのだろうか。先ほど連絡が来た時はなんともなさそうだった。あれからまだ三十分も経っては居ない。
自分は自分に出来る最善を常に尽くしている。
「――ならこれはなんなんだろうな?」
掌が血に塗れていた。知らず内に強く握りしめていたせいで爪が食い込み肉を抉っていた。ぽたぽたと地に滴り落ちる血が酷く熱かった。
漸くすべての苔を食い破った神永の呪いは彼の血に塗れた手の元へと帰って来る。綺麗に折られた紙は元の状態に戻り、手から零れる血を受け入れ赤紫へと色を変える。
「やっぱダメだなぁ!おい!ええ?どうでもいいわけねーよなぁ!!最ッッ高に気分が悪いぜぇ!!」
血に濡れた手で髪を掻きあげる。紫色の中に鮮血が一筋。
――なら、どうする?死ぬ、か。
突然足元から声が聞こえた。少しだけ目を見開くと即座にその場から飛び、回避するように転がる。
「お前、も、こいつらの、仲間、か」
地面から黒い薔薇の花弁が噴き出る。その中から姿を現したのは真っ黒いスーツを着込んだ人型の何か。顔の部分は噴き出てきた薔薇と全く同じ花弁が隙間なく押し固められていた。
「お前がこいつらをやったんだな?ええ?今俺はブチ切れてんだよ。簡単な言葉しか受け付けねぇ。迂遠な問答は即座にやめろ。殺す」
額に血管を浮かべながら黒薔薇を睨み付ける。
「俺は、返して、ほしい、だけなんだ。あれは、とても、大事なもの、だからな」
頬の部分を掻いて首を掲げる黒薔薇。カサリと渇いた音がやけに響いた。
「殺す。澱神【天牛】」
言うが早いか、神永はその場から駆けながら紙を折る。鋏の形状を模した折り紙を巧みに操り差し迫る。
「だから、人は、嫌いなんだ。話を、聞かないから」
悠々と両手を広げるとその手の先に黒い蔦を生み出す。
「少し、話をしようか」




