第八十二話 紫の死神は蝶と舞う
「あぁーくそ......なんだってこんなとこに一人で......暇だ」
夏の朝の日差しを受けつつ、一人の男が欠伸混じりに言葉を漏らす。朝露に濡れた道端の草だけが、彼の愚痴に耳を傾けていた。
「嬢ちゃん取り戻す為ってのは......まぁ、カッコイイと思うぜ?まだ高校生なんだっけか......」
手持無沙汰になった男は袖に入れていたセブンスターのソフトを取り出すとおもむろに火をつける。焼ける音と煙が辺りに広がる。
フゥーと息を前方に吹きかける。煙は忽ち姿を変え、伸びるように空へと昇る。
――京都に点在している参華咒の根城。二条城の近くにある一つの屋敷の門前で男は背中を壁に貼り付け、早朝の時間を潰していた。
真っ黒な作務衣を着込んだ男は紫に染色した短髪を掻きむしる。
「俺の仕事ってほんと、つまんねーよな......向いてねーんじゃねーの?というか、向いてる仕事してる人間ってどれくらいいるもんなんだろう」
京都の街並みに溶け込むような服装を、紫の頭髪と顔の半分を覆うようなサングラスで見事に台無しにしていた。
陽が昇ってからまだ浅い早朝の街を走る健康志向な若人や配達員に、尊敬のまなざしを送りながら男は煙草をふかす。
「俺だってよー。それなりに矜持やら正義感あったんだぜ?けどまぁ、社会ではゴミ以下だ。持ってるだけマイナスに働く分、ゴミ以下だそんなもん」
短くなった煙草を地面に押し付けると、捻じれた吸い殻を飲み込む。しゃがんだ姿勢のまま、男は道端に自生していた名も知らぬ植物に声をかける。
「まぁ、そんな社会ギリ適合者『大御門 神永様』が聞いてやる。何が目的よ?」
「ぎゅつっちゅおみ?みみみあ?」
声をかけられた植物は意思を持ったように音を返すとその真下の地面から姿を現す。
「わかんねーな。ここは京都だぜ?日本語で喋れよ。それ以外は許してねーぞ」
『這い出てきた何か』に男は嫌悪の眼差しを向ける。一言で表せばモグラに近いだろう。頭から生える植物は先ほど地面から顔を出していた部分だ。土に埋まっていた身体は男の想定よりもやや大きく、成人男性程度はあった。
茶毛に覆われた、人ほどの大きさのモグラ。手の先には随分と立派な爪が生えそろい、どす黒い赤がこびり付いていた。
「むゆう!みゅゆゆゆ!」
「可愛い声だしてんじゃねーよ。社会にでたら笑われるぞ」
「あむゆうゆ!」
男の急所を狙おうとその爪先を喉元に向け突き出してくる。怒っているのか妙に鼻息が荒い。迫る爪を足裏で防ぐと即座に払いのけ、数歩後退する。
男は分かっていた。これは『死蟲』だと。望んでいたのは件の高校生であったが、暇を潰すには丁度いい『玩具』なのだと。
「当主様はえらく機嫌がいいんだぜ、知ってたか?八尾ちゃんは帰って来るし、あの......なんだっけ?尸の......高校生が向こうから来るしで。郡お嬢は......気の毒だがな」
「あむむみゅ」
「今頃どっかほっつき歩いてんだろ。俺が心配したってどうしようもねーよ。無駄だ無駄。もっと気楽に生きよう。考えるだけ損だぜ」
男が袖から一枚の折り紙を取り出す。淡い紫の色をした紙を器用に折っていく。
「これ、俺の武器ね」
紙で折った蝶を見せつけるように死蟲の方へ手を伸ばす。
ゆっくりと、柔い風に乗せるように掴んでいた手を放すとふらふらと流れに乗って紙の蝶が空中を漂う。
「澱神【揚羽擬】」
まるで生きている様に対の羽をゆらし、死蟲の方へと向かう。
「あぁーそれ。触れると爛れるぜ」
――ひらり、と。紫色の揚羽蝶がモグラ型の死蟲に触れた。途端、皮膚がぼこぼこと泡立ちはじめる。痛みに耐えかねた死蟲が奇声をあげのたうち回る。
「むむみょ!みょあああああ!」
懸命に患部を撫で回復を図るが、一向にその痛みは消えず徐々に範囲を広げていた。
「まだこれからじゃねーか。楽しもうぜ?なぁ?俺は暇なんだよ。暇はダメだ......考えなくても良い事まで考えちまう。だからダメなんだ暇は」
あまりの痛みに視界を閉じた死蟲。
次にその瞳を開いた時、眼前には夥しいほどの紙の蝶が舞っていた。触れれば激痛を伴う死の蝶が、数百はくだらない数で辺りを埋め尽くした。
迫る蝶の群れを身体を捻り躱す。だが、その先に待ち構えていた蝶までは避けきれず、ただただ迎える事しか出来なかった。表面は毛に覆われていた筈だったが、触れたのち異臭と共に爛れ落ちる。
「あんまり弱いとさ、時間がつぶれねぇのは分かるな?だったらお前はどうすればいいか分かるよな?ガキじゃねーんだから」
紙吹雪の様に飛び散る死の蝶が怖くないのか、堂々とした足取りで蹲る死蟲の元に向かう男。下駄の乾いた音が死神の足音の様に感じた。
痛さと恐怖に駆られた死蟲は、全身の震えを隠そうとはしなかった。
「あみゅ!みゅああああ!あむ!」
「おん?なんだ?命乞いか......まぁいいか、時間が潰せるなら」
「むああやぬ!」
男は死蟲の言葉が欠片も分からなかったがその表情をくみ取り、会話を続ける。
「よし!ルールを決めよう!これは大事だ!社会は何だってルールに縛られるもんだからな!」
「みゅあ」
「俺が背を向けて十数えるからお前はその間に隠れろ。数え終わったら俺は自力でお前を探す。見つかったらお前の負け。死。けど見つからなかったら俺の負け。お前はそのまま生きていける。どう?あぁ、勿論自力だから呪いは使わないぜ?」
両手を叩くと数百の紙の蝶が瞬く間に千々になった。空気に溶けるようにその切れ端を消した。
「むゆみゅぬ!」
「よし!それじゃあはじめるぞ!」
男は元気よく声をあげると死蟲に背中を向け、数え始める。
「いーち......にーい......」
死蟲は脇目も振らず地中を目指し始めた。広がった穴は次第に草木が生え始め、穴などまるでなかったかのように元通りになる。
「きゅーう......じゅう!よっしゃいくぞ――っと電話?」
興奮した面持ちで探し始めようとした男を止めたのは一つの着信音だった。
勢いに水を差された男は不満げにスマホを耳にあてた。
「......はぁ?もうここは良いのかよ?え?あぁそう。そっちに行ったのね?おけおけ。はーい。んじゃそっちいくから。うい、おつかれー」
通話を切り、暫し地面を見つめる。
「澱神【揚羽擬】」
パチンと指を鳴らした途端、先ほど消え去った紫色の紙で織られた蝶が地中から間欠泉の様に噴き出してきた。その羽は赤黒い血でべっとりと濡れている。
――ボト、ボタタタッ。
よくみると死蟲の皮膚の一部も付着しており、辺り一面に茶色と赤の肉片が散らばった。
「暇じゃなくなったからもう行くわ。あぁ、あと......お前人じゃないからな。社会のルールも通用しないんだわ。さっきのは嘘」
サングラスに飛び散った血を袖で拭うと、死神は下駄を鳴らしどこかへと向かって行った。




