第七十八話 向かうは湯の船
賀茂川をそのまま北上し、加茂街道に沿って歩く。暫くすると大通りにぶつかった。信号を左に曲がり、五分程歩くと小奇麗なマンションが視界に映る。
しっかりと掃除の行き届いている階段を上り、正面にそびえる扉を開き中へと入る。
「ただいまー!」
阿南が部屋全体に響き渡る様な大声で挨拶をしながら、靴を脱ぎ奥へ進む。
そう、ここは俺たちが一時的に借りているマンションの一室だ。一週間という期限付きではあるが......。
あらかじめ決まった金額を払うと、一定期間その部屋を好きに使わせてくれるシステムで勿論掃除や洗濯、食事の用意などは各々で準備しなければならないのだが、それでも学生の俺たちで借りられる程に安かった。
「あー!あなみん!やぁっと帰ってきた!マジ遅い!夕飯食べちゃったよー?」
奥の部屋から俺達を迎えてくれたのは他でもない『紫吹先輩』だ。
紫色のパステルカラーでふわふわとした質感の部屋着は彼女の太ももを随分と露わにしており、正直言って目のやりどころに困る。
普段と違ってメイクも簡単に済ませているのだろうか。けれど元々の顔が良いからか素直に綺麗だと思える。
普段はバッチリとしたメイクでカッコよさの方が前面に押し寄せているが今は部屋着の雰囲気も合わさってどこかメルヘンチックに見える。あと、室内なのにフードを被っているのは何故だろう。
「大丈夫っすフーロ先輩!外で食べてきたんで!」
部屋のソファーにどさりと腰を落とし、制服のボタンを緩める阿南。
「すいません、急なことが立て続けにあって連絡し損ねました」
「はっちーもおかえりー!」
俺も手近なところへ荷物をおろし、部屋着に着替えようとして、はたと気付く。
そういえば紫吹先輩がいるんだったな。
先輩にとってはどうでもいいことかもしれないが、異性との共同生活というものは至る所にトラップが仕掛けられているのか。
「あ、今お風呂はろっくんが入ってるカモ。てゆーかもう三時間出てきてなくない?ダイジョブかな?」
紫吹先輩がお風呂のある方へ顔を向けた瞬間、その方角から怒声が響き渡った。
「ちょっと大御門君!君早く出なさいよ!いつまで入っているんだ!?」
「この声は......辰巳先輩か」
現在この部屋に寝泊まりしている人間は俺と阿南だけじゃない。
生徒会の『大御門 麓郎太』『紫吹 楓露』『辰巳 翹楚』の計五人だ。
この大所帯でも部屋は十分過ぎるほど広い。また唯一の女性である紫吹先輩は何も考えていないのか、はたまた俺たちを信頼しているのか同じ部屋で過ごしている。
「あー辰巳先輩、すんません俺、結構長風呂するんですよね」
「いや、先に言ってくれるか!?三時間経っているぞ!?」
お風呂場から二人の喧嘩が聞こえる。
「ーー!--!?......あーもう!なら俺はその銭湯にでも行くよ!!」
踏みしめるような足取りがこちらに向かってくる。
この部屋と廊下を遮る扉が音を立て、開かれる。
「全く......いくら長風呂といっても三時間は......おお、二人とも帰ってきたのか。遅いじゃないか!連絡の一つぐらい入れたらいいものの」
開いた扉から中へ入ってきたのは、欧米のモデルかと思う程顔の彫が深い美形の男子。
やや明るく抜けた黄金色の頭髪に翡翠の両目。くっきりとした二重瞼に乗りかかる長く太い睫毛。
これで手元に手ぬぐいとシャンプーハットさえなければ様になっているんだがな......。
「すみません辰巳先輩......。ちょっとトラブルがあって。いえ、これは言い訳ですね、すみませんでした」
素直に謝り、頭を下げる。すると彼は手にしていたシャンプーハットを落とす。
「漸く素直で可愛げのある後輩が出来た気がするよ......。よし八夜君!今から銭湯に共に行こう!なーに金なら心配するな!俺が出す!」
鼻息を荒くしながら俺の肩に手を回すと、問答無用で玄関の方へと引っ張り始める。
「たつみーあんま遅くなんないでよー?」
紫吹先輩が手を振りながら送ってくれた。どちらかといえば彼を止めてほしい。
「阿南君!君もどうだね!」
「あー......すんまっせん、俺銭湯苦手なんすよ」
「そうか!苦手なら仕方なし!二人で行こうか!」
顔を引きつらえながら阿南が俺に手を振る。
「あ、阿南!おまえ!」
「交友を深めてくるんだ。死んだら灰は鴨川に流す」
――明日の朝、アイツの寝起きに蹴りを入れてやろう。うんそうしよう。
ニコニコと手を振る紫吹先輩と、顔が引きつったまま手を合わせている阿南を視界に入れつつ、俺は再び外へと駆り出された。
* *
歩いて数分もかからないところに小さな銭湯があるらしく、俺は引きづられながら辰巳先輩と目的の場所へと進む。
「そういえば......どうして今回三人は着いてきてくれたんでしょうか」
ズリズリと踵がすり減ってゆくのが分かる。首根っこを掴まれているため、俺は来た道を振り返る様な姿勢のまま、辰巳先輩に聞いてみた。
「そうだな......理由はそれなりにあるな......うん結構あるな!」
やけにテンションの高い先輩だ。正直言って生徒会で一番関わりの無かった先輩だったからどう接していいか分からない。
「よし着いた!八夜君!見たまえ!」
ついたと同時に手を離された。完全に体を預けきっていた為頭から地面にぶつかる。
「ッテ!?」
体勢を起こし、前を向くと古ぼけた小さな建物が視界に入る。
古ぼけたとはいってもしっかりと手入れはされており、汚らしさは全然感じられない。白熱灯に照らされた黒い木材が味を出していた。昔ながらの作りで瓦が屋根に敷かれ、木の枠で仕切られた大きなガラスになにやら模様が描かれている。
「すごい......穴場って感じですね。京都の銭湯に詳しいんですか?」
「まさか!京都に来るのは今回が初めてだよ。先ほど大御門君が教えてくれてね。いやぁ彼のセンスに任せて正解だな!早速入ろうか!」
言うだけ言うと再び俺の服を掴みズリズリと引きずり始めた。
「あぐッ......あの!?俺......歩けるんで!?な......ちょっ、引っ張らないで......貰えませんか!?」
首がうまい具合に閉まり、言葉を発せられないまま銭湯の暖簾をくぐった。




