第七十六話 渇仰する蛹
落ち着いた頃に席に着く。二限目を告げるチャイムが響き渡った。
「千草。本当に無事でよかった」
後ろから声をかけられる。この凛とした声は、いつ聞いても心地よく感じた。
「我孫子......すまなかった。色々と迷惑をかけたな」
振り返らず前を向いたままで会話を続ける。少し、気恥ずかしかったのもあるだろう。
「迷惑じゃないよ。本当に......。あなたを知れたのは、本当に良かったと心から思うよ」
「なんだよその言い方......。恥ずかしいんだが」
「ふふっ......照れてるのかい」
「照れてるよ」
「そう」
「うん」
教室の喧騒にかき消されるような、小さな声で俺たちは会話を続ける。不思議なことに、今この場には俺たちしか居ないような気さえしていた。
「千草、放課後――」
「いいよ、どこだ」
何故だか分からないが、彼女はいつも俺を放課後に呼び出す。
「!......ふふっ、そうだね......あそこがいいな」「あそこ?」
顔は見えなかったが、どこか遠い所を見続けているような、そんな声だった。
「いつも君が昼食を食べていたところさ。私とあなたが、一緒にご飯を食べた所」
「......わかった。放課後そこに行くよ」
二限目の授業を担当する教師がタイミングよく入ってきたため、俺たちの話はここで終わった。
* *
今日の授業が一通り終わった。ホームルームを終えた伊織先生が教室を出てゆく。
「さてと」
鞄に筆記用具などを詰めて帰る支度をする。
「あれ?千草もう帰んの?」
「あぁ、我孫子と予定があってな」
「デートか」「違う」
揶揄うように目を細める阿南に釘を刺す。「なんだぁ」と面白くなさそうに修繕の元へと帰っていった。
部活動に入っていない暇を持て余した生徒が教室で時間を潰していた。その合間を縫って教室を出る。
階段を下りいつもの場所へと足を速める。別に急ぐ必要はないのだが、気が付けば足は速度を上げていた。
「やぁ、待っていたよ」
校舎の片隅。人気のない日陰に彼女はいた。
変わらず黒々とした長い髪は、細かな刺繍の入った布で一括りされている。男子生徒用のスラックスと、躯高校の制服。こんな日の当たらない所だというのに彼女はやけに様になっている。
「何か話でもあるのか」
屋上で俺を好きだと言ってくれた。何も果たせずに、何も持たないこんな俺を好きだと。
本当に、彼女の事が分からない。けれど不安ではない、心地よい高揚感がある。
「なんで顔をこっちに見せないんだい?」
頭をもたげ分かりやすく疑問を表現する。目が妙に生き生きとしているから、きっとわかっていて言っているんだろう。
「恥ずかしがり屋なんだよ」
「素直だね?」「......悪いか」「ううん、良いと思う」
ゆっくりと我孫子の前までやってきて、軽く咳払いする。
「要件を早く言えよ」
傍にあった木に手をついて我孫子が口を開く。
「何度も話しているが......私は今、参華咒に属している」
参華咒というのは京都にある三つの家が集った、死蟲に対する一つの組織だ。
『飛鳥井』『我孫子』『土師ノ』の御三家から成る。もっとも、この三つの家の力は拮抗しておらず、現状飛鳥井家が実権を握り、他の二つはそれに従っているらしい。
飛鳥井郡はその当主の娘だ。だから我孫子は彼女のいう事を聞くしかなかった。
「参華咒に属する人間から生まれた子は強い呪いが発現すると、親の元から引き離され参華咒の構成員となる。親の権利なんて、まるでないんだ」
「......それは、我孫子もそうだという事か」
少し、憂いを秘めた目でこちらを見る。
「そうだね。もう親の顔も忘れたよ。随分と昔に殺されたからね」
「――おい今なんて言った。殺された?死蟲にか」
「表向きはそう。けど誰だって分かることさ。参華咒に歯向かった両親が次の日に死んだ。二人とも、森の中で捨てられたように、死んだと聞かされた」
「......ッッ」
「君は泣いてくれるのかい?こんな私の為に」
「こんなっていうなよ!!そんな言い方......止めてくれ」
自分でも驚くほど大きな声が出た。しかし我孫子は驚くどころか、嬉しそうに目を細めた。
「唯一残った弟は......幸か不幸か呪いが発現しなかった。今は参華咒で生活している。これは......恐らく私の枷だ」
「枷?」
「言っただろう?私の足には強力な呪いがあると。これは他のもので代用できるものじゃないらしい。私がいなくなると困るんじゃないかな。だから、逃げ出さないための......枷だ」
「つまり、我孫子はこの学校に、東京に逃げることは出来ないって......そういう事か」
分かっていた事だったが改めて事実を突きつけられて、やるせなくなった。
「――お願いが、ある」
改まった表情を作る我孫子。俺もそれに習い顔を向けた。
「私はこれから、弟を取り戻す」
それはつまり、参華咒を敵に回すという事だ。生まれ育った場所を......育ての親を。
「その手伝いをしてほしい......頼れる人に心当たりも少ないが......あるにはある。勝算は無いに等しいけれど、もう鳥籠に居続けるのは......嫌なんだ。外を知ってしまったから」
恐怖と、葛藤しているのか、僅かに手が震えていた。声も普段の凛としたものでは無く、どこか怯えを孕んでいた。
「弟は瓔といってね......少し内気な性格だが素直でいい子なんだ。この事はあなたと何ら関わりのない事だ。私事だ......けど、あなたにはどうしてだか、打ち明けたかった。本当にすまない、巻き込むようなことを言って」
「それで俺は何をすればいい」
「え......?」
「だから、俺はどうすればいい。関わりのない?そんな事あるかよ、俺はあの飛鳥井郡に殺されかけたんだ。あの時の借りぐらいは返す」
話を聞いていて、少しイライラしていた。もっと俺を頼って欲しかった。頼りにならないだろうけれど、話ぐらいもっと早く知りたかった。
「頼りになる人ってのは、京都にいるんだろう?その人の所に行けばいいのか?それとも正面から乗り込むのか......あぁ、人手が足りない様だったら阿南も連れていく。あいつとはそう約束したからな」
ぽかんと、間の抜けた表情をする我孫子に笑いそうになる。
「確かに、お願いしている側だけど......いいのかいそんなあっさりと」
「我孫子、俺に『自分を救ってくれ』って言ったよな」
屋上での会話を思い出す。
「もし、我孫子に取り返しのつかない事が起こったら......多分俺は自分を許さなくなる。だから......お前が屋上で言ってくれた『責任』を......俺を救うために、我孫子に手を貸す」
これは本音じゃない。本当は自分の事なんてどうでもよくて、ただ俺を好きだと言ってくれた女の子を助けたいという低俗な理由だ。気恥ずかしいから絶対に本人には言わないが。
俺は我孫子が好きなのか分からない。分からないけれど......きっと。
「それじゃあ、計画を立てようか。なんだか旅行みたいだね」
無邪気な顔で彼女は言った。
「......返ってきたら、さ。その......どこか遊びに行こう。山の中へピクニックでもいい。海でもいい。街に出て、ショッピングでもいい。一緒にどこかへ......いこう。あぁ、勿論皆誘ってな?」
その顔があまりにも、嬉しそうだったから。つい言葉が出てしまった。大丈夫か、今凄い気持ちの悪いことを言ってないか!?
一瞬の瞬きの後、彼女は顔をほころばせる。
「うん、行きたいね。花火を......見たいな。祭りに行った事が無くて。夜店も回りたい。りんご飴を食べてみたい」
「祭りか......いいな、夏っぽいな。じゃあ帰ってきたら、その弟も連れてみんなで祭りに行こう」
諦めきっていた。感情を押し殺すのが上手いと思っていた。だけど溢れてしまった。
彼女はそんな表情で、嬉しそうに泣いた。
それから暫く、放課後は俺と我孫子と阿南でいつもの場所に集まり、救出するための作戦を練っていた。
旅費の事を相談すると婆ちゃんが嬉しそうにお金を貸してくれた。このお金はいずれきちんと返さなくちゃな。
「彼女を一度、家に連れておいで」「いや、彼女じゃない!」
飛び切りの笑顔で彼女と断言する婆ちゃんに、少し申し訳なさがあった。
「それでこの協力者と現地で落ち合うのは良いとして、大丈夫なのか?」
阿南が心配そうに我孫子に目をやる。
「あぁ、彼は信頼できるよ。それに......」
チラリと俺の方を向く我孫子。少し楽しそうだ。
「いや、今はやめておくよ」「なんだよ」
本当に何なんだよ。
「もう確認するようなものはない......な。今日は帰るか」
鞄をあさりながら阿南が帰る準備を始める。俺も特に残る用事は無いので鞄に筆記用具やらを詰める。
「そういえば......我孫子って今一人暮らしなのか?」
「そうだよ。短期で借りられるマンションに今は住んでいる。何?気になるかい?私の部屋が」
「ぅグ」
単純な質問だったのだが、そう返されては俺が何かを企んでいるみたいじゃないか。
ここ最近、彼女は刺繍の入った布で髪を結んでいる。滑らかな長髪は彼女が振り動く度に蠱惑な香りを散らす。
陽が沈み、青黒くなる辺りに彼女の髪が熔けて見える。汗ばむような暑さの中でも彼女はみだりに汗を拭わない。
校門まで三人で共に歩く。美形の二人に挟まれているのは針の筵だったが、二人は一切周りを気にしていないらしく、俺もいつしか気にならなくなった。
「それじゃあ、私はここで」
校門から出て坂を下り、交差点の辺りで我孫子と別れる事になった。
軽く手を振りながら信号を渡っていた我孫子の背中に声をかける。
「我孫子......また、明日な」
歩行者信号が点滅を始める。優雅に渡りきるとゆっくりとこちらへと振り向く。
「うん......。また明日」
その表情を見て、俺は確信した。俺は我孫子が好きだ、と。彼女の一挙手一投足すべてに目を奪われてしまう。彼女の声音が愛おしくすら感じる。
気が付くと阿南と別れて一人で道を進んでいた。呆けていたのか、気を失っていたのかは定かでないが、確かに俺は家へと歩いていた。
道中で自販機に目を付けた。普段あまりジュースなんか飲まないが、無性に喉が渇いた。
小銭を投入して、サイダーを購入する。もったいぶる様にキャップを緩めたが、落ちた衝撃か、中の炭酸が噴き出して手が汚れる。べた付いた手を気にせず口をつける。
「......サイダーだな」
それ以上でもそれ以下でもない、安っぽいサイダーの味に俺は少し感動した。
身体の中にある風船がおもりをつけて奥底へと沈むような、感情。その糸を断ち切った様な開放感。
手にしたサイダーからぱちぱちと炭酸が抜ける音が聞こえる。
「今日はよく眠れそうだ」
少しだけ浮足立った俺の身体は、吸い込まれるように家へと帰っていった。
――そして夏休み前日。我孫子が消えた。




