第七十五話 そして彼は笑う
京都の姉妹校 躯高校――参華咒が尸を襲撃し、俺が暴走した翌日、全校集会が開かれた。
「校長の六道先生が体調を崩され現在入院しています。その間、代理として私がこの学校の校長を務めることになりました。改めてよろしくお願いします」
体育館の舞台上で奇兵先生がマイクを手にして喋っている。
体育館は昨日の事なんて初めから無かったかのように、形を保ったままだ。体育館だけじゃない。廊下も、教室も、校舎全体が昨日を消し去ったようにこれまで通りを演じていた。
これは周防先輩のおかげらしい。俺も詳しくは聞かなかったが彼の丕業で、あの時に壊したものが無かったことになっているそうだ。
周囲の生徒たちがひそひそと喋っているのが聞こえた。
「私あの先生苦手なんですけど......」「うちも。厳しいよね」「前の校長が見逃していた事とかしつこく言ってきそー」
俺は校長代理となった奇兵先生を見る。いつも仏頂面な先生がどこか辟易している様にも見えた。
この学校の生徒たちは一部を除いて昨日の事を知らない。
周防先輩の幽霊船の中では丕業を持っていない人間は弾かれる。つまり、あの中で起こったことに影響されない。
彼ら彼女らは昨日何事もなく学校生活を終えて就寝した。そう錯覚している。本当はその場に居なかった人間がいるというのに――。
よく見ると、先生たちも皆どこかくたびれている。
今気が付いた事なのだが、俺のクラスの生徒が皆一様に暗い顔をしている。周囲の小さな喧騒が耳に入るほど、口を噤んで下を向いている。
「......?」
いつもなら矢田やその一派の人間が、周囲に負けないレベルで無駄口を衝いているが、その矢田すらもどこか青ざめた表情を作っている。
奇兵先生の話が終わった。
諸事項を学年主任の先生が話し終えると解散となった。各々の教室へ足を向ける。
「八夜君!」
周りに流されながら教室へと向かっていた俺の肩に、誰かが手を置く。
「通か!良かった、あれ以来会っていなかったな。怪我は?」
手を置いたのは通吟常。同じクラスの友人だ。
相変わらず長い前髪で顔を隠し、表情が読み取れない。
「僕たちは全然。二年の生徒会の人が見守ってくれていたからね......それよりも八夜君の方だよ!」
「俺は......うん、なんとか。この通り、怪我は......ない」
通の目の前で手を開いて見せる。
「山江さんや三浦さんがすごく心配していたんだ......勿論僕も。渚ちゃんが怪我をしたって聞いて不安になって......」
ほとんどの生徒が体育館から姿を消し、数えるほどしかもう見当たらない。
「すまなかった。心配かけたけど、本当に大丈夫だから。山江達にも謝らないとな」
「こういう時は謝らなくていいんだよ。ちゃんと君の言葉で伝えてあげれば」
安心した声で、そう言ってくれた通。俺が『守った』なんて恩着せがましいことは言えないが、それでも無事でいてくれて、本当に良かった。
「さて......早く教室に戻らないとな。我孫子にも言いたいことがあるし......」
「そうだね......教室に戻ろっか」
体育館を出て、長い廊下を歩く。
道中、通には何があったかを軽く説明していた。
「そんな事があったんだね......ちょっと信じられないよ」
「だろうな......俺もそうだ。けど、本当に皆無事で良かった」
「......そういえば八夜君、夏休みどうするの?バイトとかはしていないんでしょう?」
通が唐突に話を切り出した。
七月に入った。尸高校の夏休みは七月の半ばから八月の終わりまで。本当にもうすぐだ。
「折角だしさ......皆でどこか遊びに行かない?僕と、八夜君、それに山江さんや三浦さん。阿南君とか、我孫子さん誘ってさ!」
あまり、考えた事が無かった。これまでの学校生活における長期休暇は姉の見舞いと、婆ちゃんの手伝いにしか充てていなかったから。誰かと共に過ごすという事を端から考えもしていなかった。
「海でも山でも、キャンプとかも面白そうだね......恥ずかしい話、僕あまり友達が多くなくて夏休みとか基本暇なんだ。だから、その......」
気恥ずかし気に俺の方へとちらりと顔を向ける。
「あぁ......それは、いい考えだな。本当に......楽しそうだ」
ここへきて、大切なものがたくさんできた。姉さんと婆ちゃんしかなかった俺に。
「皆で行こう......どこでもいい、皆で」
独り言の様に呟いて、その言葉はどこかへと消えた。
階段を上りきり、左へと曲がり教室の前まで来た。そういえば通達と教室に入ったのは昨日なのか。あまりに濃密な一日だったから、忘れかけていた。
教室へと入る。と同時に感じる異質。
完璧なデジャヴだ。昨日と一緒だ。まさかまだ蠅頭の呪いが......と考えるよりも先に誰かが俺の方へやって来る。
「八夜......本当にすまなかった!絶対謝って許されるようなことじゃないのは分かってる......けど、俺は謝ることしか出来ない!すまない!」
そういって矢継ぎ早に頭を下げたのは、修繕 奥太郎。阿南とよく話している男子生徒だ。普段は陽気なキャラで、クラスのムードメイカー。快活そうな顔は今、苦悶に満ち溢れているが。
「私も......あなたに酷いことをしたわ。何故か分からないけど、そうしてしまった。本当にごめんなさい」
続くように一人の女生徒がこちらによって頭を下げた。ゆるくパーマのかかった長い髪がふわりと動く。
「修繕......それに植木。あの、どうかしたのか......なにかあったのか?」
突然頭を下げられ困惑する俺。
「昨日、あなたに酷いことをしてしまったって。皆謝りたいって、そういわれたの」
気が付くと山江が傍に居た。手には牛乳パックが握られている。
「昨日......?」
「ほら、あの......蠅みたいな」
「あぁ......蠅頭の」
そこまで言って漸く合点が言った。
蠅頭による呪い。恐怖心の操作。あの時、皆蠅頭の呪いにかかっており、一時的とはいえ俺と敵対していた。
結局蠅頭は渚ちゃんが倒したらしい。その時に呪いは解除されたが、記憶の方は残っていたのだろう。
「本当にごめんなさい」「すまなかった」他にも、こちらに頭を下げる生徒が。
あまりの切り替えの速さに、何も感じなかった、とは言えない。都合がいいとも思った。
けど、俺だってそうだ。初めて見たものに対して恐怖を抱かない人間はいない。そのあとどうするかは個人だ。
全員が謝っているわけではない。何人かは遠巻きに様子を伺っている。また何人かは気不味そうに目を逸らしている。
――これでいいのかもしれない。全員に分かってもらう必要はない。
「あの......頭をあげてくれ。気にしていないって言ったらウソだ。けど......もう過ぎた事だ。俺は、これからの事を......その、皆と分かち合いたい。まだ、夏も秋も冬も来る。だから、そう......頭を下げないでくれ。対等にいこう」
頭を下げていた人たちが一様に顔をあげる。
「そうか......そうだな。じゃあこれでこの話は終わり。修繕だ、これから改めてよろしくな、八夜」
握手に応じる。端で見守っていた阿南がうんうんと頭を振りながら笑っていた。
「八夜」
クラスの皆と話していると、矢田がやってきた。
「矢田か......」
「俺は......謝らねーぞ。お前に何されたか覚えてる。何を言われたかも。俺が言った事も」
怪我は完治しているようで、一昨日見た姿となんら変わりは無い。昨日の様に蠅頭が付いている様子もない。
「――けど、礼は言う。助かった」
それだけ言い残して、自身の席へと帰った。
「あれでもきっと、八夜君に感謝してると思うの」
いつの間にか来ていた三浦が矢田を目で追って笑う。
「素直じゃないわね」
山江が傍でそう言った。俺と目が合うと気恥ずかしそうに逸らした。
「あぁ......本当に、素直じゃない」
紛らわせるかのように、紙パックの牛乳を吸う山江を見ながら俺は笑った。




