第七十四話 偶さか
――あともう少し遅ければ、手遅れになっていただろう。
刑事さんは殺され、ともすれば瓔君も無残に......。本当に、間に合って良かった。
気が付くと、白い花を背負った小さな蟲が俺の足を撫でている。花弁が触れるたびに、こそばゆい感触が伝わってくる。
「おーい!千草!」
大きく手を振りかぶりながら阿南がこちらへと向かってくるのが見えた。
「阿南、早かったな......ていうかそれ、なんだよ」
俺の元までたどり着くと、息を整える。阿南の手元には複数のハンバーガーが握られていた。
阿南は「腹が減って死ぬ!」と先ほど一人で近くのファストフード店へと赴いていた。
せっかく京都へ来たのだからそれらしい店にでも行けばいいのに、と思いつつも見送ったんだが......。
「いやぁ......さっき気前のいい人がもう食べられないからってくれて......って、本人!?」
未だ事情が呑み込めていない刑事さんを見るや驚愕の声をあげた。
どうやら阿南の言う気前のいい人というのは、この刑事さんの事だろう。
「あぁ......君はさっき店にいた......」
刑事さんも気が付いたのか納得のいく表情で阿南を見る。
「とりあえず、この場を離れよう......もう少し賑やかな方へ、出来るだけ人の多い所の方が良いかと」
俺は尋ねるように刑事さんの顔を伺う。
「......分かった。とりあえず君たちに従おう。ここで悠長に話すのは危険そうだしね」
ざっと辺りを見回す。
陽は完全に落ち、辺りを闇が覆う。隠れている虫の鳴き声があちこちから聞こえる。
俺たちは急いで今出川通りに出て、鴨川へ向かって進む。流石にこの人の多さだと六本腕が近くに潜んでいようと出ては来れないだろう。
しばらく道なりに進むと賀茂大橋が見えてくる。そのすぐ近くに洒落たカフェが銀行と軒を連ねていた。
「ここならいいんじゃないか?」
店の前までくると、阿南がそう呟いた。
京都の街並みとはすこし趣の違ったヨーロッパ風のファサードは、違和感なく街並みに溶け込んでいる。テラス席もあり、この人数でも問題はなさそうだ。
「ここでいいですか?」
最後尾を着いてきていた刑事さんに尋ねる。
「......まぁ、問題なさそうだね。あぁ、先輩を呼んでも良いかな?同じ刑事の」
「俺たちは問題ありません......瓔くんはそれでも良い?」
俺の後ろに隠れるようについている瓔君に尋ねてみる。じっと花と見つめあい、少しだけ頷くと俺の方へ顔を向ける。
「大丈夫です」
「ならよかった......すまないが、先に入っていてくれないか?電話をかけてくるよ」
そう言い残し、刑事さんは橋の方へと歩いて行ってしまった。
「うっし!それじゃあ入ろうか!腹が減ったんだよなぁ~」
鼻歌でも聞こえてきそうなほど明るく、阿南が店へと進む。
「お前、さっき食ったばっかだろ」
「足りん」
「刑事さんから貰った分は」
「歩いてた時に全部食った」
「そうか」
阿南の大食漢ぶりに呆れながら、俺も続く。瓔君も俺を追う形で入店する。手に抱えていた虫は身体を小さく、本物の花束の様に擬態して身を潜めていた。
「や、お待たせ」
電話を終えた刑事さんが店に入ってきた。
俺たちは川に面する窓側のソファー席へと案内されていた。奥から瓔君、俺、阿南。そしてその対面に刑事さんが座る形となった。
窓からは鴨川を一望でき、薄暗い店内に橋を渡る車の光が差し込む。その光とは別に、川面に反射した月明りも柔く注いでおり、なんとも幻想的な風景だ。これからこの幻想的な風景とは反するような話をしなくてはならないのが、残念だ。
「先ずは何から話してもらおうか......」
注文したアイスコーヒーを含みながら刑事さんが口を開いた。
「や......とりあえず、俺の方から質問するからそれに答えてくれればいい。いいかい?」
別に何も悪いことはしていないが、刑事さんとこのような形で会話をすることに妙な緊張感を覚えていた。
沈黙を肯定と捉えた刑事さんは、状況を整理するように、思い出しながら質問する。
「まず、君たちの身分から知りたい。この近辺の高校生では無い......ね?」
「はい。俺たちは東京の昨神市からきました。尸高校という高校の生徒です。こっちにいるのは阿南対馬で、同級生です」
先ほど名乗ったので俺の説明は省き、隣に座る阿南を指さす。当の本人は話を聞きながら運ばれてきたカルボナーラを貪っていた。
「八夜君に、阿南君ね......。君たちは旅行に来たわけではない、と思うんだがどうかな」
本人にその意図はないのだろうがまるで取り調べを受けているようだ。丁寧に手帳に書き記しているのが見える。
「そうですね......今、学校は夏休み中ですが、別に旅行というわけではないです」
「その理由を聞いても?」
「それは構わないんですけど......」
ちらりと横の阿南に目を向ける。死蟲や丕業の事を伝えて良いのか迷ったからだ。阿南は汚れた口回りを乱雑に拭うと俺の代わりに口を開く。
「......別に話しても構わないですけど、到底『信じられるような話』ではないんです。それでも?」
気迫のこもった目で刑事さんを見つめる。互いの視線が交じり沈黙が生まれる。
「覚悟をしよう。瓔君の友達も、君たちの言う六本腕というのも確かにこの目で見たからね......。あぁ、それと自己紹介がまだだった!君たちばかりに話させてすまない。京都府警察署刑事課の後刻王異だ。改めて、よろしく」
黒い短髪を掻きながら照れ笑いを浮かべる。会話の最中は鋭い目つきであったが今は砕けたような笑顔だ。どことなく阿南に雰囲気が似ている。
「改めて、じゃねーよ。一番年上が何やってんだ......君たちすまない。こいつは少し抜けていてな」
俺たちの会話に混ざって来る人物がいた。背は高いが細身で、黒灰のスーツを着ている。艶のある髪を後ろに流し黒縁の眼鏡をかけたその人物は、やって来るや軽く後刻刑事の頭をはたく。
後刻刑事に比べ表情はやや硬いが、怖いというものでは無い。さっきのもいつものノリの様なものだろう。
「こいつと同じ刑事課の松木逸也だ。電話越しで何やら焦っていたから急いで駆けつけてきたんだが......」
松木と名乗る刑事が後刻刑事の横に腰を下ろす。
「今、その本題に入ろうとしてる所っす」
「俺たちも全部が全部知っているわけではないから、答えられないものもあります。それでも?」
引き続き阿南が会話を進める。松木刑事も後刻刑事も異論は無いようで黙って首を縦に振る。
「これはあくまでも、日常の一部の話です――」
俺たちは、阿南の言葉に耳を傾けた。
* *
「死蟲......丕業、ね」
あらかた説明の終わった後、松木刑事が振り返る様に新しく覚えた言葉を口にした。
手にしたペンを一定のリズムで机に当てる。コンコンと小気味良い音が酷く場を支配していた。
「やっぱり、信じられないでしょう?」
そう言ったのは阿南。端から自身の話を信じてもらえるとは思っていないようで、追加で注文したサンドウィッチを頬張っている。
「おぁ!?めちゃ辛い!千草食ってみ!」
額に汗を浮かべながら手にしたサンドウィッチをこちらに差し出す。
「......そんなに辛いか?」
一口齧ったものの阿南のリアクション程辛いとは感じなかった。
「あれ?辛いの得意な人間だったっけ?」
「いや、そこまで得意ではないけど......」
「――俺は......この子たちを信じるっすよ」
後刻刑事が手にしたアイスコーヒーを見つめながら、ぼそりと呟いた。
「......何故だ」
「まぁ、先輩は実際に見ていないから信じられないかも知れないっすけど。確かにあの男は人じゃなかった。まぁ、妖怪とか幽霊みたいなもんじゃないっすか?」
「もしそうだとしたら検挙が出来なくなるな」
髪を掻きあげながら松木刑事が返すと「あ」と今気が付いたような素振りを見せる後刻刑事。
「まぁ、信じる信じないかは......今は置いておく。話が進まないからな。それで......君たちはなぜこのタイミングで京都に来た?」
疑っているわけではないが、心の底から信用している訳でも無いようだ。眼鏡の奥に潜む瞳がじっとこちらを捕らえている。
「俺は......この子の姉と約束をしたんです」
所在無げにオレンジジュースをストローで吸っている瓔君を軽く見る。
「約束......。一体どんな?」
俺は店の外から聞こえる蝉の声に、阿南と共に屋上を後にしたあの日を思い出していた。




