第七十二話 供花はここに 二
「ん?」
後刻が不意に窓へと顔を向ける。暫く、あっけに取られたように顔を動かさない後刻に松木は声をかけた。
「どうした?不審な奴でもいたか?」
「や......そうじゃなくて......なんか、女の子が花束を抱えて......」
「そんなもん別に珍しくもないだろ」
「それが......女の子、上質そうな良い服を着てるのに全身薄汚れてるし......それに抱えていた白い花束がなんか......変というか。まぁ、事件には関係無さそうっすけど」
笑い声をあげながらポテトフライを貪る後刻に「そうか」と軽く相槌をし腕時計を見る。
時刻は十八時を回っている。本格的に夏が差し迫ってきており、この時間帯とはいえ京都の町は未だに薄明るい。
「俺はもう少し周辺を見て回る。お前はどうする?」
ズレた黒縁の眼鏡を指で直し、立ち上がる松木。後刻は目の前にある大量のハンバーガーと松木を見比べながら軽く焦った様な笑みを見せる。
「あのー先輩......一つ......いや、二ついかがっすか?」
「だから無理だと言ったんだ......」
山積みのハンバーガーを二つほど手にすると、後刻に背を向け店内を出る。
やる気のない店員の「ありがとうございました」という言葉を尻目に松木は止めていた車へと向かった。
残された後刻は食べられるだけ胃袋に詰め込むと、残ったハンバーガーを近くに座っていたえらく体格のいい高校生らしき少年におすそ分けし、駆け足で店を出てファストフード店の斜め向かいに存在する京都御所へと向かう。
「そういえばさっきの高校生、あまり見ない制服だったな......」
上空から見れば長方形の形をした京都御所は、広大な敷地を有している。北から南にかけて約一駅間分は優にあるそこで、後刻はパトロールついでに散歩を堪能していた。
中には様々な神社や門を内包しており、見て回るだけで時間は潰れる。
薄明るかった空は徐々に濃さを強め、植物がその足元に影を落とす。
「あー......蝉うるせー」
蝉の鳴き声は、意識してもしていなくても鼓膜を強く揺さぶる。これもまた夏の風物詩かと、諦めながら砂利を踏み進めているとガサッと何かが茂みで揺れた。
頭の中を掠めたのは連続殺人。よく見れば周りには人もあまりおらず、状況からすれば持って来いである。
「(まさかこんな所で......?)」
後刻の胸中は不安で溢れかえる。まさか自分がその現場に居合わせるとは、先ほどまで考えもしなかった。
砂利を踏む足に細心の注意を払う。今この場には頼れる先輩もいない。ここで見逃せばもっと被害が大きくなる、という予感――。
後刻という人間は、楽天家だが無責任な人間ではない。幼いころから正義感に溢れ、周囲の反対を押し切りついには念願の警察官となった。
相応の努力をした。不必要なものは切り捨てた。取捨選択は間違ってはいなかった。
自身の胸に手をあて、数度深呼吸をしタイミングを見計らう。
茂みの揺らぎが一層大きくなる。
「(今!!)」
大きく踏み出し、僅か一歩で距離を詰めると、手にしたペンライトで茂みを照らす。
「おい!ここで何をしている!?」
後刻の眼前に広がった景色、それは『鼠を食らう白い花』であった。
暫し、言葉を失っていた。目に映る風景があまりに常識外で頭が白く濁った。「あ」とか「え」と口は発していたようだが、それも定かではない。
硬直した後刻を意にも介さず、白い花は尚も「食事」を続けていた。
骨を砕く音、筋肉を裂く音、血をすする音。嫌悪感が全身を舐め回し、止まっていた意識と身体を再起動させる。
「なんだ......なんだよコレは!?お前は一体......!?」
大声をあげた後刻にようやく気が付いた白い花は、その花弁を揺らした。よく見れば根元に蟲の様な身体が付いており、まるで冬虫夏草のようだと感じた。根元の蟲に備わっている口が器用に餌を解体し喉の奥へと押し込んでいる。
今度は白い花が奇声を上げる。その鳴き声は初めて耳にするものだった。蝉に近いがもっと弱々しい、小鳥のさえずりに近い。
どうすればいいのか、分からないでいた。
これは事件と関係あるのか?そもそも夢ではないのか。いくつもの疑問が浮いては沈む。
戸惑いを隠しきれないまま数分が経った。尚も奇妙な声をあげる花。動かない身体。
すると、後刻の傍に一人の子供が駆け寄る。
「あ、あのこれは......違うんです!」
後刻はその子供の顔に覚えがあった。先ほどファストフード店の窓から見えた花を抱えていた子供。そして連鎖して思い出したのは、抱えていた花が今目の前で鼠を貪っている「コレ」だという事実。
「違うって......何が......コレが何なのか説明できるのかい?君は......」
みっともなく、子供相手に詰め寄る様な態度を取ってしまい、少しばかり後悔を感じる。だが、未知との遭遇で余裕は欠片も残ってはいなかった。
「僕の友達なんです......唯一の......だから、その」
後刻と花の間に割って入る子供。怯えているのか声は弱々しく震えていた。だが、懸命にも目は後刻から離さない。
しばらく、にらみ合いのまま硬直状態が続く。後刻には市民を守るという正義感と義務が。子供には友達を守るという使命感が――互いを奮い立たせていた。
「コレ......いや、失礼。この子は人を襲うのかい?」
「いえ......小さな虫や動物しか口に入れません。まだ出会ってばかりだけれど、確かです」
「......分かった。別に君から奪ったりはしないさ。けど、一体何者なんだこの子は」
やがて、折れたのは大人である後刻の方であった。
「僕にはさっぱり......」
そう言いつつ、花へと目を向ける。向けられた花は気にしていないのか、はたまた敵意が無いことが分かるのか、鳴き声を止め子供の足へすり寄る。
まるで捨てられた子猫を拾った子供みたいだ、と後刻は感じた。見た目はあまりに特異だが関係としてはそのようなものだろう。
「随分懐いている?ようだ......お嬢ちゃん、名前は?」
子供に声をかけると、びくりと反応し恐れるように後刻の方へ顔を向ける。
「瓔、です。あと僕は......男です」
「や......その、本当に申し訳ない。瓔君......だな」
後刻は自分の鈍さに呆れ返ってしまう。いくら中性的とはいえ、性別を間違えてしまった自分を深く恥じ入る。
「そろそろ辺りが暗くなる。この時間に出歩くのはあまり感心しないな。苗字も教えてくれるかい?詫びと言っては何だが家まで送るよ......あぁ、こう見えてお兄さん刑事でね。ほら、これ警察手帳――」
恥ずかしさのあまり矢継ぎ早にぺらぺらと喋る。懐から警察手帳を取り出そうとしたその時。
「あぁ......やぁっと見つけましたよ!芭禍羅さんに怒られるところだったんですから」
傍の池に跨る短い橋の上に、一人のサラリーマンが立っていた。




