第六十九話 朽ちる躑躅と溶ける群青 一
あまりにも眩しすぎて、目が焼け焦げたのではないかと錯覚を起こした。
しばらくぶりに見た光は俺の網膜を悪戯に刺激して、瞼を開けさせなかった。
呼吸を忘れていた。あの中にいた時は当たり前の様にしていたけれど、外に出た途端、酸素がうまく肺に取り込めなった。
喉が掠れる。耳鳴りがひどい。高熱を引き起こした時の感覚に近い気がする。どこか寒気もする。
けれど、我孫子の顔を――。俺が傷つけてしまった手を、綺麗な黒髪を見て、口は自然に動いていた。
「我孫子......ありがとう」
――ありがとう、本当に。
我孫子の目が濡れていた。俺はその瞳に返す程の何かを持っているのだろうか。
「久しぶりだな――八夜」
我孫子の横で、烏を頭にのせている伊織先生が声をかけてきた。
どことなく嬉しそうで、まるで先生自身が報われたとでもいうような、安堵の表情だった。
「先生......」
「あーあー辛気くせー顔してんじゃねーよ。お前の選択した道だろ?堂々と胸張れよ。俺はお前の選んだ道を否定しない」
乱雑に頭を撫でられた。あの時の様に先生は逃げなかった。俺は少しばかり笑みをこぼす。
「はい......俺が選んだ道です。どう転がろうが、後悔しない選択です」
先ほどまで雨が降っていたのか、屋上が湿り気を帯びていた。
雲は厚みを減らして、徐々にだが夕陽の指す量が増えているようだ。
一条の光が俺の足元を照らす。まるで俺のこれからを暗示するかのように足元だけを確かに照らしていた。
屋上から室内へ渡る扉がガチャガチャと、騒々しい音を立てる。錆び付いているのか開けるのに手間取っているようだ。
ゆっくりと扉の方へ向かう。こちら側から錆びに塗れたドアノブを捻るといともたやすく開かれる。
「千草ー!無事か!直ぐに助け――あれ......ちぐ......さ?」
扉を開けると、俺よりも大柄で体格のいい男が顔に汗を纏わりつかせ、突っ立っていた。
柔らかなウェーブを描く茶髪をくしゃりともみ込みながら、阿南は目尻を下げた。
「色々言うべきことがあるんだ。けど、その前に言わせてくれ――おかえり千草」
大きな拳を突き付けて阿南は「おかえり」と言った。
これまでみた阿南の拳は、常に憎悪を燃やす様に赫い拳をしていた。今は俺と同じ肌色をして、ごつごつとした、これといって特徴のない拳だった。
俺は合わせるように自身の拳を打ち付け、言った。
「俺も言いたいことがあるけど、先ずは――ただいま」
骨の鎧に覆われていた灰色ではない拳と。
「八夜君......心配したのよ本当に」
阿南の後ろから巴会長が姿を現す。
いつもの凛とした姿とはかけ離れ、今にも倒れそうなほど疲弊しているのが見て取れた。しかし、彼女の目はしっかりと俺の顔を見つめ、離さなかった。
「巴会長......色々と......すみませんでした。俺、会長が守ってきた学校を......」
目線を下げる。
すると巴会長は俺の頬を両手でしっかりと掴み顔を無理やりに上げた。変わらず力強い瞳が俺を捕らえていた。
「あふぉ......なふぃふお......」
「この学校を守ったのよ......あなたは。生徒会のメンバーとして、よくやったわ......ありがとう」
ふと、糸が切れた様に目が潤む音がした。
顔を掴まれたまま会長の胸元へ引き寄せられる。
華奢な身体の筈が、心地よい体温と柔らかさを保ち、高鳴った心臓が落ち着きを取り戻す。
「俺......おれ、は」
「これからの事は、皆で話しましょう」
先ほどとは違い、柔らかな笑顔でそう口にした。
「......はい」
鼻水と涙で、巴会長の胸元を現在進行中で汚してしまう。
「あぁーーーーーー!八夜お前!!!か、かいちょーーーーー」
階段を上り終えた白間が俺の現状を見て、奇怪な声をあげる。
「なによ......。労いぐらいするわよ私だって」
少しムッとした顔を白間に向ける。
「いや、そうじゃなくって......ん?労ってくれるんすか会長......」
白間の目が怪しく光る。スキンヘッドの頭部も汗で光っている。
「えぇ......。けどもう私の労いたい欲は消え失せたわ。またの機会ね白間君」
そっと俺を離すと、白間へ片目を瞑る。気のせいか、会長の尻から小悪魔染みた尻尾が見えた......気がする。
両膝を衝いて血涙を流す白間。
「俺......今なら八夜みてーに全身鎧で覆える気がする」
洒落にならないからやめてくれ......。
遅れてやってきた周防副会長と見慣れない二人の生徒がやってきて、伏していた白間を弄り、空気が穏やかに移りつつある。
「とりあえず、全員ここに来いよ」
屋上の隅で煙草をふかしていた伊織先生が俺たちに声をかけた。
我孫子も傍に立って俺たちを待っているようだ。
伊織先生、我孫子、俺、阿南、白間、巴会長、周防副会長、そして知らない二人。
伊織先生を囲むように、他の八人が円を描き屋上に佇む。
「今回の発端は――校長の六道だ」
全員が見守る中、先生が重々しく口を開いた。
言葉一つ一つを慎重に選びながら喋っているようで、どことなく緊張した表情だ。
「躯から来た三人の目的は八夜の強奪だ。六道が京都に八夜を売ったんだよ......。そして死蟲を何らかの方法でこの学校に放ち、その混乱に乗じて作戦を開始する筈だった。が、お前らの奮闘で計画はとん挫したようだな」
火の付いた煙草がじりじりと音を立てる、
「思えば前回の死蟲侵入......アレはさっきの土師ノ......だったか?あいつによるものだろう。人間なら侵入は容易い。外を守る防壁も内側から死蟲を取り出されたんじゃどうしようもないからな」
ふと、あの時丕業を使った瞬間を思い出す。
「幸い、周防の幽霊船によってまだ、大多数はこの現状を把握していない......。とはいっても教師と俺のクラス、あとまぁ数人は今回の騒動を目にしている。この騒動を全て無視するわけにもいかない......。が、この辺は俺たち教師の役割だ。お前たちが気にすることじゃない」
「六道......校長はどこへ......?」
阿南が一歩前に出て伊織先生に尋ねた。
「さぁな......けど、この事は校長がけじめをつけるべきことだし、そうする人間だよ」
じっと阿南を見つめる先生。
一瞬目を見開いて硬直するが、すぐに息を吐き瞑目すると元の場所に戻る。
「......そういえば、阿南と八夜は二人の事、知らないんだったな」
横に居た二人の生徒を親指で指す。
「はい......」
「俺はさっき軽く挨拶を......」
先生が目だけで「挨拶しろ」と二人の生徒に指示を出す。そのうちの一人――ぼさぼさ頭の男子生徒は、気だるげに後頭部を掻きながら、俺に身体を向けた。
「生徒会一年......の......大御門麓郎太。他に何かいう事は......特にないな」
どこか間延びするような口調で、自己紹介をする大御門麓郎太。
阿南の様なおしゃれパーマではなく、癖のある髪を伸ばしている為毛先が明々後日の方へ向いている。身長は俺とあまり変わらず、この蒸し暑い時期だというのに冬服の制服のしたにパーカーを着込んでいる。伏し目がちな三白眼が、ルーズな見た目からアンバランスな気迫を保っている。
「お前が八夜......か。まぁ、同じ一年同士......程々によろしくな」
にへらと口元だけ笑みを作り、握手を求めてきた。
「まあ、知っていると思うが八夜千草だ。ファーストコンタクトはこんな感じだが......よろしく」
俺も自己紹介を返し、差し出された手を握り返す。
すると突然腕を引かれ、耳元に大御門の口が迫る。
「会長にハグされたんだってな......胸の感触を......教えてくれないか......大事なことなんだ」
小声で、とんでもないことを言ってのけた。聞き間違いかと思って大御門の顔を見るがどうやら真剣の様だ。
「......小ぶりだが......確かにそこにはあった」
その答えに満足したのか、数度噛みしめるように頷くと俺の背中を叩き、先ほどいた場所まで戻っていった。
なんだこいつ。
周りの人たちが皆、頭にはてなを浮かべながら俺たちを見守っていた。
気恥ずかしくなって一度咳を衝くと、今度はこちらからもう一人の女子生徒に自己紹介をした。
「初めまして......。八夜千草です。紫吹先輩......で間違いないですか」
一度阿南から生徒会の人たちの話は聞いており、紫吹という苗字だけは知っていた。
白髪に近い金色の髪をなびかせて近づいてくる。ふわりと女子特有の甘い、良い匂いが鼻腔を通る。
「おっつー!君が八夜くんねぇ!てかやば!髪と目のカラーマジ神じゃん!」
大ボリュームの声に鼓膜が痛いほど震える。
「え、えとそうです......ね」
咄嗟に髪と片目を手で隠す。その行動に紫吹先輩は何かを感じ取ったのか、妙な焦りを見せた。
「あ、あぁゴメンネ!もしかして気にしてた系?ほんとゴメン!」
わたわたと手を振り必死に謝ってきた。決して悪気があっていったわけではない事が分かった。
「いえ、俺も驚いただけで気にしてませんよ......本当に」
「本当に......?」
「本当に」
小動物の様に体を小さくして、怒られるのを待つ紫吹先輩に、今度は俺が必死に否定する。
「そっか......よろしくね......はっちー☆」
あぁ、八夜という苗字ではっちーか。
この先輩は他人との距離の詰め具合が異常に早いようだ。
「さて、自己紹介が済んだようだな......」
腰をあげ、円になっている俺たちの中央に立つ伊織先生。
吸い殻をケースにしまい、一呼吸置くとぐるりと皆を見てから声を出した。
「お前ら......良くやってくれた。今ここに居ない観月と辰巳を含め、皆本当によくやってくれた。こんな世界だ......今にも突然死ぬかもしれない。明日にはこの中の誰かが死ぬかもしれない。だから、今日を生きて明日を生きようとするお前たちに感謝する。ありがとう」
――深々と頭を下げた。
頭上の烏が、突然の行動にあたふたしながら背中に飛び移り、先生の背中を恨めしそうに小突く。
「ビックリスル!トツゼン!」
「お前は早く消えろよ!」
その後、先生が二三言話すと解散になった。
俺たち生徒会は、みんな満身創痍といっても過言ではない。
このまま帰宅してもいいと先生が言ってくれたので甘えてそれぞれ帰宅することとなった。
観月先輩は残って先生たちと事後処理にあたるようだ。相変わらずよく働く先輩だ。この生徒会の柱といっても過言ではなさそうだ。
もう一人の二年生、辰巳先輩は残った死蟲を全て片付けそのまま家へと帰るようだった。結局自己紹介が出来なかったけれど、また機会があるだろう。
さよならを告げ、皆一様に屋上から出ていく。
――最後まで足を動かさなかったのは、俺ともう一人。阿南対馬だ。




