第六十八話 災異の階
「―-相変わらず辛気くせーなぁ......ここは」
蔦を踏みつけぬように器用に避けながら、何者かが死体の横を通る。
「亡の旦那はなんだってこんな暗ぇーとこに拠点置いてんだよ......はぁーやだやだ」
この森の雰囲気とは似つかわしくない軽薄な態度で奥へと進む三十代前後と思われる男。濡れた様に艶めくパーマが僅かに上下する。
白衣姿に黒のスキニー。丹念に育てられたブーツが腐葉土の上を押し固める。
白衣の下にあるハリネズミのマスコットが描かれたワイシャツがおおっぴろげに広げられ、鍛えられた肉体をチラリとのぞかせる。
「こんなんじゃ女の子呼べねーじゃん......だろ?芭禍羅もそう思わない?」
軽薄な男が同行していた人物に声をかける。
「......ここならば、人が、入り込んだとて、早々に、始末、できる。亡様は、俺なんかでは、推し量れるような、方では、無い。他にも、色々と、考えが、あるんじゃ、ないかな」
黒いスーツに身を包む芭禍羅と呼ばれた男が、独特な間と共に言葉を返す。
スーツの至る所から植物の蔓が見え隠れしており、全身を縛っている様にも見える。
顔の部分は黒いバラで一切が隠されており、皮膚の一部とも見ることはできない。
喋るたびに口元のバラがかさかさと音を立てて揺れる。
奇天烈な格好の芭禍羅を見ても軽薄な男は見慣れているのか、当たり前の様に会話を続けた。
「まぁ、お前にしてもここの方が良いわな......。にしても相変わらずその喋り方、慣れねーな。ナリはそんなにクールなんだからよ?もちっとこう、なんかあんだろ」
「俺の事、か?」
「他にいないでしょーよ」
「別に、困ることは、ないな。そんな、俺の事、より......この前、適合、した奴が、増えた」
「へぇ!そいつは良いな!どんな奴だ?暫く旦那の元を離れてたからな......近況を教えてくれよ芭禍羅」
「うん、どうやら、高校生、らしい。元々、目をつけてたそうだ。この前、亡様が、蟲を与えた。それを、使うかは、まだ、知らないけど、もし使うなら、適合するって」
「なんだ......。んじゃまだ確定ではないってことね?」
落胆したように肩を下げる。
その様子を見ていた芭禍羅は笑みを浮かべながら口を開いた。もっとも、その笑みもバラが揺れる動作でしかないが――。
「けど、時間の、問題、だって。だから、仲間が、増えるのは、確定事項。嬉しい、な」
「嬉しいねぇ!っと......ついたついた~」
大きな枯れた蔦を払うと、二人の眼前に現れたのは古ぼけた寺の様な建物。
至るどころ壁に穴があり、カビと独特な匂いが辺りを包んでいた。
雨風すら満足に凌げそうにないと思えるようなボロい建物の前までくると、軽薄そうな男がためらいなく扉を開く。
「旦那~!亡の旦那~!今戻ったぜ!」
室内全体に響かせるように大声をあげる。
中は仕切りが一切なく大きな一つの空間になっており、所狭しと書物が積み重なっている。どれもが古臭く埃をかぶっていた。
薄暗い空間の奥から一つの影が揺らめいた。
足を踏み入れた二人を歓迎するようにゆっくりと近づいているようだ。
「ふむ、なかなかに早い到着だな苡懼、それに芭禍羅」
褪せた灰色をした長髪が、ふわふわと霞の様に空中にたなびく。
苡懼と呼ばれた男より頭二つ分ほど大きなその影は、揺らめく蝋燭の火に素顔を曝す。
凡そ骨と皮でしか形作られていない顔を器用に動かし、言葉を発する。
「久しぶりだねぇ旦那も。相変わらずほっせぇなぁ!飯食ってるか?医者としちゃ見てらんねーぜ」
「苡懼、少し、不敬だ。馴れ馴れしい、のは、良くない」
諫めるように傍の男に釘を刺す芭禍羅。
その言葉を真摯に受け取る様な人物ではない、と発した本人が一番良く分かってはいたが、言わないわけにもいかなかった。
「ふふ、良い芭禍羅。皆とは言えぬが、こうして集うのは久しいからな。丁度余も言葉を交えたいと思っていたのだ」
気を悪くするどころか、笑みさえ浮かべる自身の主に少し胸を撫で下ろす。
「んで......俺らが一番乗りってわけですかい......あん?そういえばオーガの奴がいねぇな?あんなナリじゃあかくれんぼも出来やしねーってのに......旦那ひとりかい?」
「平四郎蟲は今、迎えに使わせている。そう遠くない頃に戻っては来るだろう。お前たちにも紹介しておきたい者がいてな」
「それは、前に、仰っていた?」
芭禍羅の口元のバラがカサリと音を立てる。
「そうとも。なかなか面白い奴でな......先刻、蟲を行使した反応が感じられた」
くつくつと笑い声をあげながら口元を手で覆い隠す亡。
通常の人間が一目見れば狂気に陥りそうになるほど、邪悪で純粋無垢な笑顔。
裂けているのかと見まがうほど口が半円を描く。
「さて......階の準備はどうだろうか」
本題に入ると、亡は笑みを止め、傍の二人に目を向ける。
「俺の方はまぁ、順調っちゃー順調だな。こればっかりは俺の頑張りでどうこう出来るもんじゃねーし。気長に見守ってますよ」
苡懼はひらひらと手を振り、事の順調さを大雑把に伝える。
「芭禍羅はどうだ」
「俺の方、は、既に。この森は、通じました。後は、各地で、階が通じるのを、待つ、だけです」
「やはり芭禍羅が一番早かったか。まぁ......相性というものもあるだろう。」
満足気に頷くと、懐から取り出した薄汚れた紙を開く。
「後は京都......大阪......そしてここ東京が二つか。ふむ......」
亡が思案していると、先ほど苡懼が扉を開けた時よりもやや控えめな音が聞こえた。
「主よ......戻りました」
芭禍羅と苡懼が扉の方を振り向くと、そこには一目見ただけでは収まり切れないほどの巨大な何かが頭を垂れていた。
「おぉ!平四郎蟲か。存外早かったな?」
正面を見据え、帰還した平四郎蟲を称える亡。
「は......独断ではありましたが、丕業を使いましたので」
平四郎蟲、と呼ばれた巨体は身体には似つかわしくない仰々しい態度で言葉を連ねる。
「こやつを目指している最中、樒の匂いも感じ取りました。もしやと思い急ぎ駆けつけると......御覧の有様です」
入るときに背負いきれなかったのか、自身の後ろに置いてきた何かを建物の中へと持ち運ぶと、三人の中央へゆっくりと降ろす。
「あちゃー......樒ちゃん、ボロボロじゃんか。大丈夫か?」
樒と呼ばれたガスマスクをつけた人物は呼吸を荒くさせながらびくりと身体を震わせた。
表情が見えないので、苡懼からは意識があるのかどうか分からなかったが、何かに怯えている様にも見えた。
「苡懼、早く、樒を、見て、やって、くれ。かなり、危なそうだ。それに、横の、こいつは......」
芭禍羅が説明を求めるように平四郎蟲へと顔を向ける。
平四郎蟲はゆっくりと頷くと、文字通り鬼の顔をゆっくりと上げた。
「こやつが件の人間だ。名は確か......土師ノ、だったか......追いつめられた末に蟲を使ったのだろう。まだ進化が終わっていない」
樒と同じように体を震わせていた土師ノ。
だがどうにも、二人は違った理由で身体が震えているようで、土師ノは頻りに鼻息を荒くさせ、興奮していた。
「僕ら......不死身にでもなったのかな?そんなバカなことがあるか!けど......確かに僕らは首が落ちた......けど生きてる。これってどういうこと」
ブツブツと呟くさまを見て、苡懼は少しばかり気持ち悪さを感じていたが言葉には出さず胸の内に秘めた。
「ふむ?抵抗しているのかされているのか......。どちらにせよ我々の同士が増えるのは得難い事だ。歓迎しよう......土師ノ邦」
横になっていた土師ノにそっと手を差し伸べる亡。
先ほど自身の首をねじ切ったのも手であったが、土師ノにとってこの手は果たして――。
「芭禍羅」
「はい、なにか?」
「ひと段落着いた芭禍羅に一つ、聞き入れてほしい事があるのだが」
「亡様、の言葉なら、何でも」
「京都の階を、手伝ってやってはくれぬか?エニシ一人では荷が重いようだ」
「あそこは、躯も、参華咒も、あります、から。俺で、よろしければ」
――深黒の薔薇が、笑みを咲かせる。




