第六話 誰が為の独白 一
外は既に陽が沈み、一面を夜が覆っていた。時計の針は一九時を過ぎた辺りを指し示していた。あれから二時間程経っていたのか。
伊織は着くや否や、おもむろにポケットに入れていた煙草に火をつけはじめた。紫煙が空中に広がり溶け込む。静寂であったその喫煙所で、伊織の言葉だけが響く。表紙には赤い丸がでかでかと中央に居座っていた。
「まぁ何から話していいのやら。これでも一端の教師なんだが、言葉が見つからんな。八夜、聞きたいことを言え。答えられる範囲で答えてやる」
昼間の無気力な教師の言葉とは思えない。煙草の先から煙が絶え間なく空に向けて上がってゆく。
「それじゃあ、いくつか。先ずはあの蚕。あれは一体何なんですか......阿南は日常の一部だとか、普通の蚕とルーツがどうこうって......」
「あれは死蟲という。詳しい話は省くが、あれらはUFOから突然現れた宇宙人なんかじゃないし、科学実験の失敗作でもない。あいつらはこの日本に約千年前からいるそうだ。
だからまぁ、阿南の言う日常の一部ってのも間違っちゃいない」
「妖怪とか......そういう類ってことですか?」
「そうだな、今はそんな認識で構わない」
「じゃあ、その死蟲ってああして人を襲って食うんですか?どうみても、人を、栄養源にしていた」
知らず声が震えていた。
「そういう奴もいるし、そうじゃない奴もいる。快楽で人を殺す奴もいるし、人と同じものを食べる奴もいる。ついでに言っておく。死蟲と呼ばれてるが、あいつらは虫だけじゃない。蛇みたいな奴もいるし、蝙蝠みたいな奴もいる。そもそも、蟲という字は虫だけを指し示すものじゃない。元はマムシを示していたようだが、まぁとりあえず色々いんだよ。色々」
「わかり、ました。」
説明が面倒くさくなってきたのか伊織のその目が早く終わらせろ、と催促しているように見えた。
「意識を失う前に見た、あの阿南の腕の力は......」
「それは俺が説明するよ」
少し前に、説明するといった手前お株を先生に奪われて、後ろめたかったのであろう阿南が先ほどまで沈黙を守っていたが、嬉々とした顔で割り込んできた。
「あれは 丕業 と言うんだ。少し話は変わるが、西暦八百年ごろにあの富士山が噴火したのは知ってるか?」
唐突な歴史話に、なんとか頭を切り替える。教科書だったかで見た気がしなくもない。はっきり言って覚えていなかったが話を折るのも悪いと思い、軽くうなずいた。
「まぁ当時は今みたいになんでもあるわけじゃない。その噴火を引き金に、周辺の村落の作物はダメになるし、食料となるものは悉く失われていった。そしてその一帯に住む人々は多数の餓死者を出した。そんな中、ある一つの集落だけ全くその影響を受けなかった」
「全く?」
「あぁ、全くと言っていいんじゃないかな。俺も文献に残っているものを実際に見たわけでもないし、聞かされてきただけだから、記されているものとの齟齬があるかも知れないが。周りが死滅していく中でその集落だけが孤立したように無事だったんだ。その要因は、一人の男。名を夜辺 亡」
「夜辺......亡」
「あぁ、変な名だろ?」
丕業に、死蟲。言葉だけでも、全くと言っていいほど身に覚えはなかった
「じゃあその【夜辺 亡】ってやつが丕業を使って集落を守ったってことか?」
「それがわからないんだ。文献に残っていたものには夜辺が言葉を唱えてしばらくすると、噴火はぴたりとやみ、失われたはずの作物は息を吹き返していた、と」
「言葉?」
「伏魔蟲洛」
これまた聞きなれない言葉だったが、どこか嫌悪の抱く響きだった。
「丕業は、誰にでもあるわけじゃない。生まれつき持っているか、持っていないか。けれど持っていたとしても知らなければ無いのと同じだ。基本的に遺伝するものらしいが、絶対じゃない。何代も前に持っていた丕業が突然自分にだけ目覚めた、という報告もあるらしい」
「俺にも、その丕業はある......のか?」
「それが......」
先ほどまで饒舌であった阿南が、言葉を詰まらせる。
「無いわけではないんだ。けど、なんて言ったらいいか」
なおも言葉を詰まらせる阿南にかわり、伊織が口を開く。
「恐らくは、お前のその右目が何かしら関わっている。多分な」
右目。あの蚕を見たとき、ひどく傷んだことを思い出した。そして話を聞いている時、なんとなくそうではないかと心のどこかで思っていた。あの時の痛みは、同類を見つけた喜びで暴れていたかのような、このタイミングを待ち望んでいたかのような、そのような気配が感じられた。自身の目でありながら。
「こんなケースは初めて見た。後天的に発現することはあってもそれは元々そいつが持っていただけの話だ。恐らく、人かあるいは死蟲に、丕業を受け継がされたはず。心当たりはあるか?」
どうやら死蟲にも丕業はあるらしい。
「......右目が、こんなことになったのは小学校二年生の時の事故です」
嘘は言っていないが、すべてを話したわけじゃあない。なぜ話さなかったのかは自分でもわからないが。
「そんときだな。何かしらの影響を受けて丕業の力が目に居着いた。その灰色の目はその副産物だろうよ」
自身の根幹でもあった右目の謎が解けても未だ、その胸中は暗い雨雲に覆われているかのようだった。
「先生も、丕業を持ってるんですか」
どこかすっきりとしない気持ちのまま尋ねた。
「そういえば、俺の説明はまだだったな。お前が入学した尸高校。あそこの教師はみんな丕業持ちだ」




