第六十七話 手手、欣喜
伊織と我孫子が屋上に広がる繭と向き合うのとほぼ同じ時刻。屋上から林へと投げ捨てられた土師ノは、自身を飛ばした六道と対面していた。
「あぁーー!?痛ってぇなぁ!せっかく気分よく進化を堪能していたっていうのによぉ」
腐乱した身体を確かめるように振り回し、近くの木々を薙ぐ。
肩口から生えるいくつもの腕で上半身を支える。もはや人の形から逸脱した土師ノ。
「あんた......どうしたいの?今更あの生徒がかわいそうになった?同情?」
迫りくる六道を見据え、問いかける。
異形の姿へと変貌を遂げた土師ノを、汚れていた頬を拭いつつ六道は心底冷めた目で見据えていた。
「まさか......今でも私はあの選択を間違いだとは思ってはいないよ」
「ん?じゃあなんで僕の邪魔をするのかな?僕らの邪魔をするのかな?」
「――貴様、夜辺亡と繋がっていたのか」
その気迫に近くの木々に佇んでいた鳥たちが慌ただしく羽ばたく。
森全体が怯えているかのように慟哭をあげる。
「いやはや、便利な駒程度にしか思ってはいなかったが......侮っていたよ。君のその姿......夜辺から与えられた力だろう。到底丕業とは思えない」
「初恋を忘れらんねーきしょい爺が凄んでんじゃねぇぜ」
器用に体を支えつつ、残りの腕を六道に向ける。
見えない掌握が木々をへし折り六道に襲い掛かる。
六道は迫りくる危機に自身の丕業を展開し身を守るが、黒い腕は何かに押しつぶされるように空中でひしゃげ、無残な形へと変わる。
「いやまぁ、僕の運命だからさ......僕自身が決めるんだ。あんたの事、尊敬してたんだぜ?けど、退屈でもあった......。退屈を感じさせたあんたが悪いんだ」
「一つ聞きたい......君はそれがどういう力か知っていたのか?」
「......」
「夜辺はそうやって、人を死蟲に変えていたわけか。では、君や六本腕のような奴らは成功例、というべきか......そして、八夜千草も。勿論失敗作もあるわけだな」
先ほど校庭に現れた異質な死蟲が脳裏によみがえる。
「さあな」
猛スピードで駆ける六道に照準を合わせる。が、追いきれず接近を許してしまう。
「まだ力を把握できていないと見える」
先ほどの阿南と白間との戦いでは見せることのなかった六道本人による白兵戦。
隙を衝き、掌底を顎に放つ。土師ノがその事に気が付く頃には既に六道の姿は見えなくなっていた。
「ぐっ......な!?」
後頭部に衝撃が生まれる。いつの間にやら背後に回っていたらしい。
前方へ流れる身体を横の木々から生える黒い腕が捕縛する。
土師ノの身体は引き戻され、再び後頭部に攻撃を許してしまう。
「居場所を聞きたい......夜辺の居場所を」
土師ノの身体を掴んでいた黒い腕から別の腕が生え、首をつかみ取り、捻る。
バキバキと不協和音を奏で乍ら、首がありえない方向へ捻じれる。
「三秒だけ......待とう。三......二......一......」
絶命へのカウントダウンが六道の口からもたらされる。
捻じれた状態で、震えながら口を開く。
「――運命は回る」
「さらばだ、土師ノ君」
身体との繋がりを失った頭部は力のあまり数度回転すると、身体から少し離れた茂みに跳ねていった。
「......」
自身がねじ切った首を見ようともせず、六道は潜思の表情でその場を立ち去った。
* *
東京都の片隅――。
夥しいほどの人間が跋扈する都市部から離れた郊外。山々が連なる隙間に出来たその森は、名すら満足に与えられず、今日まで存在し続けてきた。
人々が見上げるほどの木々が新緑を装い、強く差す夕暮れを遮り、足元を暗闇に落とし込む。
周囲は言いようのない澱んだ空気が重くのさばっており、周囲の町に住む人間は滅多に足を踏み入れることは無い。
小学生の童子程の大きさの蝉が、木々に張り付いていた。
それも一匹や二匹ではなく......視界に入る木の皮膚が見えなくなるほどの数である。
人気がこの辺りに感じられないのには理由が多々ある。
人間には生存本能がある。これ以上は自身の命を脅かす――という勘。
その勘に訴えかける何かしらがこの森にはあった。「なんとなく嫌な予感がする」「迂回して違う道を辿ろう」という何気ない思い付きが生者と死者を別つ。
そして、最も主な理由は――須らく貪りつくされたという事。
本能に逆らう者も中にはいる。そのような人間を待ち受けているのは涎を垂らす捕食者である。
――子鬼の様な姿をした何かが、かつて人だったモノの腕らしき部分を食らい口を血に染めている。
――木々の葉に擬態していた虫が眼前を通る人間の首を切り落とし生き血をすする。
――彷徨っていた人間の身体を食い破って生まれる小さな虫もいた。
ここでは人がただただ捕食される側。
捕食する側とされる側。ヒエラルキーから逸脱していた人間が、この森ではその制度に再度組み込まれたというだけの事。
今、そのような森に一人の男が迷い込んでいた。
大学のサークルで知り合った四人の男女が思い付きでこの森にキャンプをすることとなった。
そもそもからしてまともなキャンプなど経験がない若い四人は、そこいらの川辺に行くような軽装で臨んだ。
ミニバンに乗り込み森を目指す。
初めは順調だったドライブも、森に入ると共に、突然視界が不明瞭になる。
霧というには濃すぎる。煙というには広すぎる何かが視界を遮った。
仕方なしにと、路肩に車を止め、四人は目的地まで徒歩で向かうことにした。
運転をしていた男の一人――大輔は先頭を買って出、四人は一列になって先へ進む。
ランニングシューズの軽快な足音が四つ分確かに聞こえる。
大輔は時折後ろを振り返り、皆が付いてきていることを確認し、また足を進める。
十分程歩いた辺りから、更に濃い何かが辺りを染める。
「んだこれ......おおい、また霧が濃くなってんぞ!気ぃつけろよ」
注意を促しつつ後方へ振り返る。
しかし、先ほどまで確かに聞こえていた談笑が突然聞こえなくなり、どころか自分一人だけ取り残されたことに気が付く大輔。
「ハァ!?お前らどこ行ったんだよおい!今話してたじゃねーか!揶揄ってんのか!おい!」
数歩後を戻ってみるものの、他の仲間がいた形跡すら見受けられない。
全身を脂汗が舐める。鳥肌が抑えきれなくなるほど皮膚を覆い尽くし、膝が震えていた。
三人が自分を揶揄っているだけだ、という安楽な思考に考えを持っていこうと励むものの、身体がそれを容易く否定する。
次第に息が荒くなり、喉が枯れるように感じた。
しばらく立ち尽くしていた大輔に妙案が浮かぶ。
「(もし逸れたんだとしても車に戻れば結局合流することになるか)」
全身がはやくこの場を離れろと急かす。
ポケットにしまっていたスマホの地図アプリを起動し、自身の現在地を調べる。
しかし、いくら読み込んでも指し示す位置が刻々と移り変わり、意味をなさない。
「あぁーー!!クソ!!くそ......電波が通じね......どこだよここ」
画面とにらめっこをしても事態は好転しない。
「つうか妙にさみーし......六月も終わりだろ......何でこんなにさみーんだよ」
悴む腕を頻りに摩り、ひとりごちる。
こうして無理やりにでも口に出さなければ、心細さで気が滅入ってしまいそうだった。
「みほーー!じゅんやーー!はなーー!どこだよおーーい!」
共にやってきていた仲間とはぐれてしまった大輔は、仲間の名を大声で口にする。
「おーーーい!誰かいねーのかーー!」
歩くたびに耳元の大量のピアスがカチャカチャと音を立てる。
スマホのライトをつけて、不安定な道を照らしながら歩く。
「......面倒、だな」
「ッッ!?......だれかいるのか!おい!」
少し離れた茂みから微かに声が聞こえた。ついでに何かが動くような音も共に聞こえた。
すぐさまその音のする方へ駆け、明りで茂みを照らす。
「おい!誰かいるのか!美帆か!?」
草木をかき分け、奥へと進むと、ふと手に何かが触れた。
妙な生温かさを秘める何かに、少しばかりの嫌悪を抱く。
明りで照らせばそれが何なのか、一発で理解できるだろう。だが、理解してはいけない何かだと、背骨辺りが酷く鈍痛を孕みながら全身に警鐘を鳴らす。再び脂汗が顔に張り付く。
意を決して、拾ったそれをもう片方の手で持つ明かりで照らす――。
「ハァハァ......なんだ?人の顔した......肉......え?何の肉――」
その言葉を最後に男の首がはじけ飛んだ。
首を失った身体はびくびくと痙攣を起こしながらうつぶせに倒れる。手にしていた肉塊も転がる様に手から落ちた。
男の首を薙ぎ払ったのは、意思を持っているかのように切っ先を振るう太い蔓。
男の身体に自身の先を突き刺し、中にある体液をすすっているかのようだった。顔は無いが、確かに満ち足りたような雰囲気が漂ってくる。
――辺りには、干からびた首のない男女の死体が四つ地面に横たわっていた。




