第六十六話 灰色の残烟
「俺が前にいった事、覚えているか」
――それは伊織の言葉から始まった。
「【綺麗なだけの言葉は好きか】って言ったんだ......お前は返したよな?【嫌い】って。綺麗な言葉自体は好きだぜ俺は。だが、口から出た言葉ってのは、責任が生まれる。綺麗なだけの言葉ってのは......無責任に人を動かす言葉だ。それっぽく含めた、迂遠な言葉遊び」
腰をおろし、ポケットから煙草を取り出そうとするが、背後から忍び寄る我孫子にそっと奪われる。
「あ!何しやがる!」
「面談......でしょう?」
にこやかに笑みを浮かべる顔には何か力が込められていた。少し気圧されながらも繭に語りかける。
「......お前が何かを隠しているのは分かる。それを言いたくないってのもな......。悪い事じゃねぇぜ?人間ってのは隠し事をして天下を生きてるもんだ。今聞きたいのはその事じゃない」
一呼吸置く。先ほどから伊織は一度も目線を繭から逸らさないでいた。
「教師として生徒の進路は把握しておきたいんでな。お前は......これからどうしたい?お前の言葉を聞かせてくれよ」
我孫子がそっと息をのんだ。その微かな音すら伊織の耳に入る程、屋上は静寂に包まれていた。
――ドクンッと脈打つような音が聞こえる。
繭はぴくりとも動きは見せなかったが、中から確かに聞こえた。
「......良かったぜ。八夜、聞いてはくれてるみてーだな」
ほっと小さく胸を撫で下ろした伊織。
「千草。少し、いいかい......。君に言いたいことがある。あの時言った言葉が伝わらなかったようだから.....」
隙を見て、我孫子が割って入る。胸に手を当てどこか緊張した面持ちをしながら――。
「――自分を救ってよ......」
泣いているような、怒りに震えているような声音で、語りかける。
「あの時【殺してくれ】と言ったね......。君は臆病で、弱くて、優しくて......最後は他人を優先してしまう。抱えきれないものまで背負い込んで、その重さで自分を殺す。君は本当にそれで全てが丸く収まるとでも......?君はそれで救われるのかい? 君はまだ十数年しか生きていない子供じゃないか」
声が震えていた。
どの口が、こうも偉そうに言うのだと。
そもそも自分は何の為にここに来たのだと、再三問いかけて来た。けれどもやはり、自分に誤魔化しはきかない。
我孫子は、心が引き千切れそうになるほどの痛みに苦悶を浮かべる。
「死んで解放されるなら、それも良いだろう。けど、君は私と似ている部分があると思っていた。もし私が君の立場なら......死んだとき、きっと心のどこかが燻ぶったまま地獄にいくだろう......。憎いなら憎いと、欲しいなら欲しいと......感情を出すことが出来ればどんなに楽なんだろうね」
表情はどこか欠けた様に陰りを見せる。
「君と出会えて本当に良かったと思っている。正直出会ったばかりの君に惚れている......のかもしれない。こんな経験今まで無かったからね......ふふ、笑えるだろう?私もそこいらの女子高生と変わらないよ。けど、惚れた君から殺してくれだなんて......余りにも酷じゃないか......」
「一応、教師が居ることを忘れるなよ......」
「ワスレルナ!オレモイルゾ」
伊織の言葉に被せるように烏が鳴いた。
「満ち足りた――満足したよ、この生涯で君と出会えて。そんな君をみすみす失う事なんて出来やしないさ。例え、丕業を持って生まれていなくても、丕業に飲み込まれそうになっても私は......」
「――鳥籠の外へ連れ出してくれた貴方が好きだ」
ゆっくりと足を運び、繭に近づくと優しくなでる。
我孫子の白い手は傷がいくつも出来ており、瘡蓋が数え切れないほど皮膚を覆っていた。
「どっちがお姫様なンだか......若いな」
伊織の軽い皮肉が口を衝く。
先ほどよりも大きな脈動が断続的に起きる。その感覚が短くなり、やがて繭が割れる。
「――こんな醜い俺を好きでいてくれるって......なんでなんだよ。なんでそこまで......。分からない......俺には分からないことが多すぎる」
ひび割れた繭の中から人の声がした。
外界に出ることを怯えているのか、震えた声だった。光の当たらない暗いその場で身を縮めているのが我孫子には分かった。
「そんなの......私だって分からないさ。けど、この言葉に責任を持とう。【君が好きだ】という言葉に......ね」
目じりに涙を含みながら、照れたように口に手を当てる我孫子。
紅潮した顔が汗で少し照り返す。
「あ!お前俺の言葉使いやがったな!」
「先生も言いたいことがあるなら早く言ってください」
「ぐっ」
ぴしゃりと言い放った我孫子に言い返す言葉が見当たらず、口をもたつかせる。
バツの悪そうに後頭部を掻きながらゆっくりと繭へ近づく伊織。
「ったく......んで、どうしたいんだ?丕業を持ったまま、これまでを忘れて日常に戻るか。それとも俺たちと共に日常に戻るか......。別にどっち選んでも責めねぇよ。お前が選んだ決断なら」
パキリと割れた繭を踏む音がした。
――光の当たることのない場所から、陽の下へ。
自ら足を進め、白日の元へ踏み出す。
「俺は......皆と過ごしたあの日常を忘れる事なんて出来ません......。また、戻りたい......必要とされなくても良い......ただそこに居るだけで良い......あの場所へもう一度帰りたい」
灰色をした髪と、灰色をした瞳を宿す少年は、嗚咽を漏らしながら決断を口にした。
「そして......我孫子。ありがとう――」
その時にして初めて、我孫子は八夜千草の本当の笑顔を見た。




