第六十四話 雨は止んだというのに 二
「俺の心は今、殺意と失望に震えている......この学校の生徒たちを不安に貶めたお前に対しての殺意。そして......何も知らなかった俺自身に対する失望だ」
感情を表す様に、激しく髪を掻きあげる。舞う髪の隙間から覗く瞳には、薄く涙が溜まっていた。
細く、けれど芯のある身体を風に舞う木の葉の如く揺らしながら一歩、また一歩と距離を詰める。
「この学校で副会長から声をかけて貰い、生徒会に入った......歓喜したよ。助けを求める声に、この手を差し伸べることが出来る、と」
やや大げさにも見えるその動きに餓鬼と呼ばれた死蟲は戸惑いの色を隠せないでいた。
「俺はやればできる......そう信じ込んでいた。だが、やはりそう都合よくはなかった。友がこんなにも身を削り、命を懸けて学校を死守していたというのに......」
腰のホルダーに手を伸ばす。そこに納められていたのは三十センチほどの定規。
「ならばこそ、俺は全力を持ってして、貴様と戦おう。慈悲はやらない......くれてやるのは俺の丕業に刻まれるという事実のみ、だ」
取り出した定規をゆっくりと突きつける辰巳。
「さぁ、人の世に巣喰う怪奇よ......気を緩めるな。一瞬だ――」
「あ、会長と副会長......。それに白間と......初めまして、か。阿南だよな?」
「大御門君じゃない!久しいわね」
「あー大御門クンだ」
「よう、相変わらずぼさぼさ頭だな」
今にも駆けだそうとしていた辰巳の背後で大御門が生徒会のメンバーと合流し挨拶を交わしていた。
「あ、あぁ......そういえばそうだったな。阿南対馬だよろしく」
「よろしくっす......で、もう一人の......八夜?はどこにいんの」
「......それがだな......説明が難しくて......」
「ふーん......なんか複雑っぽいね?」
「いやいやちょっと待ってくれないか!?今緊張感が必要な場面だろう!自己紹介は後にしなさい!」
定規を構えつつ首を後方に捻じ曲げ、和気あいあいとしていた一年に声を荒げる。
「えっ......」
心底驚いたように声を漏らし、目を丸める周防。
「えっ......じゃない!副会長がそんなだから......」
「あーー!古美ちゃん!ひさしぶりー!れんれんも!」
「えぇ、久しぶりね紫吹さん」
「皆、無事そうで何よりだね」
遅れてやってきた紫吹 楓露が輪に加わり、より一層と賑やかさを増す。
「てか、がっこー来んの超久々かも......あれ、君は......」
紫吹が、輪の中に見慣れぬ顔を見つけ、詰め寄る。
「あ、あぁ......一年の阿南です。あなたが......二年の紫吹さんですね」
「えぇーやばー!イケメンじゃん!この生徒会、何気にイケメン多いよねー!うんうんよろしくー」
誰とでもすぐに打ち解けられるのは、彼女の美点であった。
阿南と手を握り合い、ぶんぶんと激しく振るう。白髪とも金髪ともとれる派手な髪が空中を忙しなく舞う。
「ちょっと副会長!」再び辰巳が周防に声を荒げーー。「えっ......」これまた同様に声を漏らす。
その様子を伺っていた死蟲はどうすべきかをしばし模索していた。
バカみたいなやり取りは視界に入っていない。
今死蟲の胸中にあるのは、腕を遠くから一瞬にして切られたという事実。
全身が警鐘を鳴らしている。今この場で最も危険なのは、あの男だと。
「あぁぁぁぁ!!!母ちゃんのーー手料理がーーぁぁ!!!」
止めていた足を動かし、接近する。男の未知なる恐怖よりも、空腹が恐ろしかった。
生徒会のメンバーは談笑を止め、迫りくる餓鬼を見据える。
「まぁ、冗談はここいらにして......任せてもいい?辰巳クン。僕ら、向かわなくちゃいけないところがあってね?」
飄々とした声で、辰巳に声をかける周防。対する辰巳は特に気負うでもなく気楽な声で返す。
「足りない生徒会のメンバーを見れば、凡そは分かります。早く行ってください」
「っす......。じゃあとは頼みました」
「たつみー、あんまり無理しちゃダメだかんねー?」
駆けだした周防達に続き、大御門と紫吹もその場から立ち去る。
「えぇ!?君らも!?」
行ってくださいと言った手前、もう引けなくなった辰巳だけが残された。
辰巳を囲むように数多の死蟲と、それを従える様に餓鬼が立ちはだかる。
周防を先頭に巴、紫吹、そして八夜を除く一年生が列をなして校舎へと足を急く。
「あの......俺、あの人の事良く知らないんですけど大丈夫なんですか」
心配そうにちらりと後方を振り返り、周防に尋ねる阿南。
「うんまぁ......寧ろあの場に僕らがいた方が邪魔だしね」
別段心配する素振りもなく、あっけらかんとした回答に阿南は不安を吐露する。
「けどあの餓鬼みたいなのは......普通じゃなかった。それにアレ以外にも死蟲は......」
「阿南君、この学校において、最も死蟲を屠ってきたのは私だと自負しているわ」
会話に割って入る様に巴が口を開いた。
「それを誇りに思っているし、だからこそ、私は生徒会長でもあるの......けど、辰巳 翹楚。彼は......彼が本気で丕業を使ったら恐らく、私なんて足元にも及ばないわ」
その言葉に阿南は耳を疑った。彼女の強さを知っている阿南からすれば冗談も甚だしいことだが、巴の表情を見てそれが事実だと知る。
「まぁまぁ、あそこは【君たちの頼れる先輩で僕らの誇れる後輩】に任せようじゃないか。僕たちは向かうべき場所へ一秒でも早く行くんだ」
それ以降、無駄な会話をすることは無かった。
紫吹と大御門以外は、皆、一人の人物を心に浮かべながら校舎を駆ける。




