第六十三話 雨は止んだというのに 一
――キリがない!!!
突然染み出てきた黒い影――その中から生まれ落ちた死蟲を払いながら、巴は口から出そうになった弱音を押し殺した。
この力に見覚えがある。忘れがたい程の侮辱を受けた。その相手の顔を思い出す事すら嫌悪する。実際に吐いてしまってもいた。なんともまぁ無様だ、と悪態を衝く。
尸高校で一番死蟲を屠ってきた自信も実績もあったが、この連戦で疲労は確かに溜まっていた。今、立っていられるという事すら、奇跡だった。
だが、向かわなくちゃいけないところが出来た。守らないといけない場所でもあった。
――約束したから。カッコいい事言って、カッコつけたから。彼が見ているから。
使命感、といえば無粋だ。役割を果たす為、とでも言おうか。
「阿南君!白間君!」
骨の髄が熱を保つ感覚があった。
今、空は豪雨とまではいかないが、それなりに雨は降り注いでいる。気温も体温も下がり続ける一方だろう。だが――熱を感じた。この感覚に覚えがある。
「か!かいちょーーーーーーー!!!!」
スキンヘッドに、十字の傷。何度見ても慣れることはないが、次第に愛嬌というものを感じられるようになった白間の顔を見て、安堵のため息をつく巴。
「良かったわ二人とも無事みたいね」
「えぇ、何とか。会長も、何とか無事みたいっすね」
まるで尻尾を振り懐く大型の犬の様だ、と白間を見ていて思った。
顔は凶悪そのものだが、性根は寂しがりやなのだという事を巴は理解していた。白間への理解は普段の日常で培われてきた。
――彼のそういった一面は、まだ発見できていない。
「会長、俺はーー」
阿南が顔を伏せながら何かを言おうと口を開いた。
だが、巴はそれを耳に入れる前に阿南の口に手を当てる。
「まだ、やるべきことがあるわ」
「......っす」
眉を困らせたようにやや下げ、笑顔を見せる阿南。
そう、まだ皆が帰ってきていない。
「ちょっとちょっと~?皆、誰か忘れてない?」
おどけたように会話に滑り込んできたのは生徒会 副会長の周防 連。
「あれ?副会長いたんすか」
「......皆、僕の扱い熟知してきたじゃないか」
どこか寂し気に白間の肩を叩く。
「副会長の丕業でどうにかならないですかこの数......いくらでも湧いてくる。流石に俺たちだけじゃ手に余りますよ」
言いながら、赫至赫灼で上空を羽ばたく巨大な蝶を焼き殺す阿南。
気が付けば四人が揃った場所を囲むように、累々たる死蟲がこちらの様子を伺っていた。
「それに、先輩の丕業の中じゃ他にも何人か丕業をもった生徒が残されてるんじゃ......」
「その事については問題ないよ。先生方が保護してくれている。それに観月君もそっちに居るからね。心配するべきなのは寧ろ僕らの方さ......。残念ながら、僕はこの学校を幽霊船で覆っている以上もう手がない。いや......正確に言うと、あるにはあるが焼け石に水さ」
ため息とともに両手をあげ、打つ手がないことをアピールする。
マスクの下に隠れている周防の口が、大きく開いた。
「――つまり、全部殺すまで殺されるなってこと!わーわかりやすいね!」
飛びきりの笑顔で無茶を言う周防を一年生は胡乱な目で見つめる。
「(なぁ、白間。この人頭おかしいんじゃないか)」
「知らなかったのか阿南。この人は頭がおかしい」
「おーい、聞こえてるよ......っていうか白間君隠すつもりないでしょ」
「けどまぁ、言ってることに間違いは無いわ。一つの禍根も残さず、消す。私たちがしなきゃいけない事に、やるべき事に変わりはないわ」
先ほどまでの弱音は影を潜め、決意したように言う巴。
「――さぁ気を引き締めていきましょう」
その言葉を合図に、囲む死蟲に攻撃を仕掛ける。
* *
「おおおおぉぉ!!!」
身体の底から気力を絞り出すように、雄叫びをあげながら阿南は死蟲の群れに飛び込んでいた。
(くそッ!あまりにも多すぎる!)
両手を交差するように振ると、目の前にいた有毒を思わせる色をした芋虫の様な死蟲が焼き切れる。
「ぴぐ!ぷぎゃ!」
飛び散る体液が身体に掛かろうとも、それを拭う暇さえない。右から迫るダンゴ虫の死蟲を拳で貫き、炭化させると共に眼前の大蛇を蹴り、距離を置く。
「ハァハァ......まだ、こんなにも」
休むことなく手を払い続けていたが、その数より黒い染みから出てくる死蟲の方が多い。
殺した死蟲の死体が、灰に還り、空中へ溶ける様に消えた。
「――ぅお!?」
先ほど蹴り上げた大蛇が猛然とした速度で足場に食らいつく。間一髪のところで回避したが、咄嗟の事で着地に失敗し、横へ大きく転がる。
(不味い!!)
地に伏せた阿南の眼前には、鱗粉をまき散らす紫色の蝶が数多、飛翔していた。
息を吸い込もうとした鼻と口を手で覆い体制を立て直すと、もう片方の手で払うように丕業を行使する。
断末魔もあげることなく、蝶たちは不可視の熱に身を焼き、その熱を近くの蝶にも伝播させる。
「......ふぅー......」
束の間の深呼吸を味わうと、辺りを見回す。
「周防先輩......は、またいなくなってるな」
常日頃から掴みどころのない人物だと思っていたが、ここへきてもやはり底は掴めないでいた。
心配するのも無駄と、他の二人を探す。
「会長はあそこか」
校舎を背にして、奮闘している巴を見つける。
地面にいくつもできた口が、腹を満たそうと頭上を通過する死蟲を食む。
姿勢を崩した死蟲は成す術もなく、地に吸い込まれるようにして姿を消した。
傍から見ても限界だ。華奢な身体を目いっぱい動かし、攻撃を掻い潜る。時折身体を掠めることもあるが、彼女の目は何か執念の様なものを宿し、諦める様子は微塵も見せないでいた。
【――ここは、居ても良い場所なの。当たり前の様な顔をして、ここでまた集まりましょう】
今朝、巴から言われた言葉を阿南は噛みしめていた。
(あぁ......だからだ。会長が無理をし続ける理由は)
彼女はそう口にした。出してしまったものには責任が伴われる。
「本当に......面白い先輩たちだ千草。そうだろう?」
不意に屋上へ目を向ける。
「さて......俺も早くここを片付けて、屋上へ向かわなきゃな」
――少し前に、三本足の烏が阿南と白間の元へ飛んできた。
どうやら伊織の力によるもので、今探し求めている八夜千草が屋上にいると、わざわざ伝えに来たのだ。
早く向かいたい気持ちがあったが、この死蟲の数を前にして阿南は未だ踏み出せずにいた。
「......!?」
阿南の左前方。丁度白間が居る辺りに一際大きな黒い染みが生まれた。
これまでの比ではなく、明らかに異質であった。
「白間!」
咄嗟に声を出した。白間も気が付いているらしく、声は返ってこなかったが、影を目で追っていた。
「何だぁここ......知らない学校だだ......あいつはどこへいったあぁあああ?」
――人の形といえるだろう。手足が在って、顔らしきものもある。
「だが、これは......」
阿南の喉が、痙攣を起こしたようにひくつく。
全身を光沢のある艶やかな肌色が覆っている。降りしきる雨が肌を伝い、地に流れ落ちる。
餓鬼の様に突き出した腹が歩くたびに揺れ、不快感を共にする。
人と同じ形状の鼻が顔の至る所に備え付けられ、ヒクヒクと何かを感じ取っている。
目は存在しておらず、口と大量の鼻だけが顔にあった。
「なんかわかんねーけど、これやばくねーか!?」
その場に留まるのは危険だと察し、阿南の元へ後退する白間。
異常に気が付いたのか、いつの間にか周防も巴も集結していた。
「見たことも聞いたこともない死蟲ね......」
語る巴の頬に汗が伝う。顔色も悪く、もう立っているのも限界の様だ。
隣で観察していた周防も、記憶を思い起こし該当するような死蟲が居ない事を確認する。
「いやぁー次から次へとよくもまぁ......」
珍しくも焦りを見せていた。
「良い匂いがする......腹を満たすことのできる匂いだ......母ちゃんの晩御飯だ......あぁいいあいあいいい」
流暢―-とは言えないが、人の言葉を喋る異形を前にして、皆一様に疑問を抱いた。
「母ちゃんって......どういうことだよ。死蟲はそんなもんねぇだろうが......」
皆の疑問を代弁した白間が、ぼそりと呟いた。
「んん?そっちか......今日はビーフシチューだったかぁ......ひひ......ケヒ」
ぼたぼたと、止めどなく溢れる涎を拭いながら、四人の方へ身体を向ける。
「頂きます頂ます頂ますいただだだだだ......あ......また今日も一人ぼっちで晩御飯かぁあああああああああ!!!!」
顔の鼻が一際大きく動く。何かを嗅ぎ取ったのか、目が無いはずなのに正確に狙いをこちらに定め、おぼつかない足取りで駆ける。
「――皆逃げて!早く!!」
今にも倒れそうな巴が声を振り絞り、立ち尽くす三人を叱咤する。
「手を合わせなきゃぁぁぁぁ!!!!チャンといい子にしておかないと母ちゃんに怒られるからぁぁぁ!!!!!」
巴の声に反応するように、忽然と足早になる。
「ダメだ!追いつかれる!!!」
走り出そうとしていた白間の背に、振りかぶった魔の手が迫る。
だが、その手が振り下ろされることは無かった。
「――重畳!間に合った!」
背中に触れるはずの手が、唐突に切り落とされ空中を舞う。
「あぁああ???」
怪訝な声を漏らし、切り落とされた手をまじまじと見つめる異形。
その異形の背後から、一人の高校生が姿を現す。
雨に濡れた髪は上質な絹の様に艶めき、完璧な形をした鼻の先に滴が流れる。
万人が賛美する声を伴い、純日本人とは思えない翠眼で切り落とした相手を睨み付ける。
「説明は必要ない。荒れ果てた学校、怪我を負った我が友......貴様が原因で相違ないな......餓鬼めッッ!」
「辰巳君......!?」
「あ、辰巳クンだー」
いつの間にか雨雲はその厚みを減らし、太陽の光が漏れ出していた。
――絶望と希望が、折り重なる。




